ヴァロワの領主一覧
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ヴァロワ(Valois, ラテン語:Pagus Valensis)は、フランス北部、ピカルディのオワーズ川渓谷にあった地域である。1328年にヴァロワ伯がカペー家の後にフランス王家としてヴァロワ家を興すまで、西フランク王国およびフランス王国の領地であった。ボーヴェ、ヴェクサン、ヴェルマンドワ、そしてランの各伯領と同様に、ヴァイキングによるパリへの攻撃に対する一連の防御として、しばしば個人または一族によって保持されていたオワーズ流域の領地の一部であった。
中世のヴァロワ伯領および公領はフランス北部にあった。ピカルディの一部でありながら、支配圏としてはイル=ド=フランスに含まれていた[1]。首都はクレピー=アン=ヴァロワであった[2]。
ヴァロワ伯
編集カロリング家
編集- ピピン2世 - ヴェルマンドワ伯、イタリア王ベルナルドの息子
- ピピン3世(886年頃 - 893年) - ピピン2世の息子、ヴェルマンドワ伯
- エルベール1世(893年頃 - 895年) - ピピン3世の弟
ヴェクサン伯家
編集- エルマンフロワ(895年頃 - 919年) - アミアン伯、ヴェクサン伯
- ラウル1世(915年 - 926年) - アミアン伯、ヴェクサン伯、エルマンフロワの娘エルデガルドと結婚
- ラウル2世(926年 - 943年) - アミアン伯、ヴェクサン伯、ラウル1世の息子
- ゴーティエ1世(943年 - 992年以降) - アミアン伯、ヴェクサン伯、ラウル2世の弟または息子
- ゴーティエ2世白伯(998年頃 - 1017年以降) - アミアン伯、ヴェクサン伯、ゴーティエ1世の息子
- ラウル3世(1017/24年 - 1038年) - ゴーティエ2世の息子
- ラウル4世(1038年 - 1074年) - アミアン伯、ヴェクサン伯、ラウル3世の息子
- シモン(1074年 - 1077年) - アミアン伯、ヴェクサン伯、ラウル4世の息子、修道士となり姉妹アデライードの夫が継承
- アデライード - シモンの姉妹
カロリング家ヴェルマンドワ伯
編集- エルベール4世(1077年 - 1080年) - ヴェルマンドワ伯、ピピン2世の子孫、アデライードと結婚しヴァロワ伯となる
- ウード1世(1080年 - 1085年) - ヴェルマンドワ伯、エルベール4世の息子、廃位され結婚によりサン=シモン領主となる
- アデライード - ウード1世の姉妹、ユーグ1世と結婚
カペー家ヴェルマンドワ伯
編集- ユーグ1世(1085年 - 1101年) - ヴェルマンドワ伯、フランス王アンリ1世の息子
- ラウル1世(1102年 - 1152年) - ヴェルマンドワ伯、ユーグ1世の息子
- ユーグ2世(1152年 - 1160年) - ヴェルマンドワ伯、ラウル1世とエレオノール・ド・シャンパーニュの息子
- ラウル2世(1160年 - 1167年) - ヴェルマンドワ伯、ラウル1世とペトロニーユ・ダキテーヌの息子
- フィリップ・ダルザス(1167年 - 1185年) - フランドル伯、結婚によりヴェルマンドワ伯およびヴァロワ伯となる
- ブランシュ・ド・カスティーユ(1240年 - 1252年)
- ジャン・トリスタン(1269年 - 1270年)
ヴァロワ家
編集王領となる
- フィリップ2世(1344年 - 1375年) - オルレアン公
王領となる
- ルイ1世(1386年? - 1406年) - オルレアン公
ヴァロワ公
編集- シャルル・ド・ヴァロワ(1406年 - 1465年)
- ルイ(1465年 - 1498年) - フランス王ルイ12世となる
王領となる
- フランソワ(1498年 - 1515年) - フランス王フランソワ1世となる
王領となるが、王家の女性に与えられている[3]。
- マルグリット・ド・ヴァロワ(1582年 - 1615年)
王領となる
- ガストン(1626年 - 1660年)
- ジャン・ガストン・ドルレアン(1650年 - 1652年)
- フィリップ1世(1660年 - 1701年)
- フィリップ・シャルル・ドルレアン(1664年 - 1666年)
- アレクサンドル・ルイ(1673年 - 1676年)
- フィリップ2世(1701年 - 1723年)
- ルイ(1723年 - 1752年)
- ルイ・フィリップ1世(1752年 - 1785年)
- ルイ・フィリップ(1773年 - 1785年)
- ルイ・フィリップ2世(1785年 - 1793年)
- ルイ・フィリップ(1793年 - 1850年)
このようにヴァロワ家はシャルル1世の子孫であり、いくつかの系統に分かれており、そのうちの3系統がフランス王位についた。
- 1328年から1498年まで統治したフェリペ6世に始まる直系
- 1498年から1515年まで統治したルイ12世のヴァロワ=オルレアン家
- 1515年から1589年まで統治したアングレーム伯ジャンの子孫であるヴァロワ=アングレーム家
その他のヴァロワ家の支流には、ヴァロワ伯シャルル1世の次男シャルルの子孫であるアランソン家、ジャン2世の次男ルイの子孫であるヴァロワ=アンジュー家、そしてジャン2世の四男フィリップの子孫であるヴァロワ=ブルゴーニュ家がある[4]。
脚注
編集- ^ de Hesseln, Robert (1771). Dictionnaire universel de la France. p. 481
- ^ Mish, Frederick C., Editor in Chief. "Valois". Webster’s Ninth New Collegiate Dictionary. 9th ed. Springfield, MA: Merriam-Webster Inc., 1985. ISBN 0-87779-508-8, ISBN 0-87779-509-6 (indexed), and ISBN 0-87779-510-X (deluxe).
- ^ Chisholm 1911, p. 864.
- ^ Chisholm 1911, pp. 864–865.
参考文献
編集- Anselme, (Père), Histoire généalogique et chronologique de la Maison Royale de France, des pairs, grands officiers de la couronne & de la maison du Roy, 1726.
- Fouquier-Cholet, Eloi, Q.A. Histoire des comtes héréditaires de Vermandois, Saint-Quentin, 1832.
- Mabillon, Jean, Annales ord. Sancti Benedicti. Ticinense. Lucae, 1739.
- Moreri, Louis, Le Grand Dictionnaire Historique, Paris, 1743–1749.
- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Valois, Counts and Dukes of". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 27 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 864–865.