ヴィトール・メイラ (Vitor Meira, 1977年3月27日 - ) は、ブラジルのレーシングドライバー。インディカー・シリーズに参戦していた。インディ500で2位に2回入賞している[1]

ヴィトール・メイラ
Vitor Meira
2008年
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1977-03-27) 1977年3月27日(47歳)
出身地 ブラジルの旗 ブラジル
ブラジリア
IRL インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2002
所属 A.J.フォイト・エンタープライゼズ
車番 14
過去所属 パンサー・レーシング
レイホール・レターマン・レーシング
チーム・メナード
出走回数 112
優勝回数 0
ポールポジション 2
シリーズ最高順位 5位 (2006)
選手権タイトル
2000 フォーミュラ3・スダメリカーナ
受賞
2008 スコット・ブレイトン トロフィー

2002年にテキサス・モーター・スピードウェイパンサー・レーシングの公開テストに参加した後、8月11日にケンタッキー・スピードウェイチーム・メナードからデビューした。およそ1か月後にテキサス・モーター・スピードウェイでポールポジションを獲得[2]、レースを3位で終えた[3]

インディカー 編集

2003年 編集

メイラは2003年にチーム・メナードから初めてインディ500に参戦、ルーキーとして12位でフィニッシュした[1]。続く7戦をジョンズ・マンビルがスポンサードするメナードの2番車をドライブしたが、ケンタッキー・スピードウェイでのプラクティス中のクラッシュで3戦を欠場した。手首の怪我から復帰後は終盤2戦に出走し、最終戦では4位に入賞した。

2004年 編集

2004年にはレイホール・レターマン・レーシングに移籍、契約の関係から序盤2戦を欠場した。インディジャパン300ではクラッチトラブルに苦しみ17位という期待外れの結果であったが、シーズンの残りを彼はセントリックス・ファイナンシャルがスポンサーとする17番車で戦った。7月25日のミルウォーキー・マイルでは自身2度目のポールポジションを獲得した[4]

2005年 編集

メイラは2005年に長年のスポンサー、ジョンズ・マンビルとメナードからの支援を受け、レイホールと3年の契約を結んだ。この年の注目すぺき結果はインディ500でのダン・ウェルドンに次ぐ2位であった[1]。メイラはシーズンを7位で終え、7回のトップ5、11回のトップ10フィニッシュを記録した。資金の大半を失い、シートを喪失。チームは翌年ポール・ダナをドライバーとして起用した。

2006年 編集

2006年、メイラはブラジルに戻ってエリオ・カストロネベスのチームでストックカーをドライブすることを考えていた。しかしブラジリアに帰るため荷物をバッグに詰めているとき、パンサー・レーシングのオーナー、ジョン・バーンズからの電話を受ける。パンサーは長年のスポンサー、ペンゾイルとエンジンサプライヤーのシボレーを失い、オーナー陣はチームを維持するため古い車両やパーツ、機材を売却していた。多数のチームがインディアナポリスでそのドアを閉じたという推測の後、2006年2月10日にパンサー・レーシングがメイラを起用して2006年シーズンに参戦するというニュースが報じられた。2006年シーズンを通して、パンサー・レーシングとメイラが走らせたダラーラホンダには多数のスポンサーが支援した。このシーズン、勝利は無かったもののメイラは7回のトップ5、12回のトップ10でキャリアにおける最高の5位でシーズンを終えた。出走50戦を超えて未勝利であったが、この時点で彼は2位に7回入賞していた。

2007年 編集

 
2007-2008のオフシーズン、バーバー・モータースポーツ・パークでテストを行うメイラ。

2008年にパンサー・レーシングと3年契約を結んだあと、メイラは長年インディカーでスポンサー活動を行っていたデルファイ・コーポレーションと契約し、デルファイは2年間スポンサーすることが決定した。

メイラは長年のガールフレンドであり2006年3月に婚約していたアドリアーナと、2008年3月22日にラスベガスのリトル・ホワイト・ウェディング・チャペルで結婚した。

2008年 編集

2008年、パンサー・レーシングは陸軍州兵がメインスポンサーとなり、デルファイはセカンドスポンサーとなった。しかしながら鈴木亜久里が支援する武藤英紀アンドレッティ・グリーン・レーシングから出走する余波を受け、1台体制での参戦を余儀なくされた。

メイラはこの年のインディ500で2位に入賞し、それは2005年に次いで2回目であった。メイラは最終的な勝者のスコット・ディクソンをレース中追い回し、終盤の混雑で引き離されるまでに0.4秒差まで詰め寄った。メイラは195ラップ目にファステストラップを記録した[1]

2009年 編集

2009年はダレン・マニングに代わってA.J.フォイト・エンタープライゼズの14番車をドライブした。2009年のインディ500でメイラはピットでの火災を乗り切ったが、174ラップ目にラファエル・マトスとクラッシュし脊柱下部を骨折した。手術は必要なかったが、コルセットでの治療が行われた[5]。シーズンの残りは欠場となった[6]

2010年 編集

怪我からの復帰戦、故郷のブラジルでメイラは3位入賞し表彰台に上った。これがその年の最高成績となった。メイラは12位でシーズンを終え、トップ10フィニッシュは6回であった。

2011年 編集

2011年も引き続いてA.J.フォイト・エンタープライゼズで14番車をドライブしたが、5位が最高位で16位でシーズンを終えた。

記録 編集

アメリカン・オープンホイール 編集

(key)

インディカー 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2002 チーム・メナード  
HMS
 
PHX
 
FON
 
NZR
 
INDY
 
TXS
 
PPIR
 
RIR
 
KAN
 
NSH
 
MIS
 
KTY
15
 
STL
9
 
CHI
8
 
TX2
3
25位 96
2003  
HMS
 
PHX
 
MOT
 
INDY
12
 
TXS
12
 
PPIR
16
 
RIR
22
 
KAN
20
 
NSH
19
 
MIS
21
 
STL
9
 
KTY
DNS
 
NZR
 
CHI
 
FON
11
 
TX2
4
22位 170
2004 レイホール・レターマン・レーシング  
HMS
 
PHX
 
MOT
17
 
INDY
6
 
TXS
6
 
RIR
2
 
KAN
2
 
NSH
12
 
MIL
5
 
MIS
5
 
KTY
7
 
PPIR
7
 
NZR
10
 
CHI
5
 
FON
21
 
TX2
4
8位 376
2005  
HMS
4
 
PHX
11
 
STP
5
 
MOT
15
 
INDY
2
 
TXS
9
 
RIR
20
 
KAN
3
 
NSH
16
 
MIL
9
 
MIS
14
 
KTY
2
 
PPIR
5
 
SNM
9
 
CHI
7
 
WGL
18
 
FON
3
7位 422
2006 パンサー・レーシング  
HMS
16
 
STP
5
 
MOT
10
 
INDY
10
 
WGL
2
 
TXS
6
 
RIR
2
 
KAN
3
 
NSH
3
 
MIL
15
 
MIS
2
 
KTY
6
 
SNM
3
 
CHI
6
5位 411
2007  
HMS
4
 
STP
16
 
MOT
17
 
KAN
8
 
INDY
10
 
MIL
5
 
TXS
5
 
IOW
9
 
RIR
9
 
WGL
17
 
NSH
10
 
MDO
17
 
MIS
18
 
KTY
10
 
SNM
9
 
DET
15
 
CHI
18
12位 334
2008  
HMS
10
 
STP
19
 
MOT1
16
 
LBH1
DNP
 
KAN
22
 
INDY
2
 
MIL
22
 
TXS
7
 
IOW
15
 
RIR
20
 
WGL
22
 
NSH
6
 
MDO
6
 
EDM
19
 
KTY
4
 
SNM
7
 
DET
17
 
CHI
27
13位 324
A.J.フォイト・エンタープライゼズ  
SRF2
14
2009  
STP
9
 
LBH
14
 
KAN
22
 
INDY
21
 
MIL
Inj
 
TXS
Inj
 
IOW
Inj
 
RIR
Inj
 
WGL
Inj
 
TOR
Inj
 
EDM
Inj
 
KTY
Inj
 
MDO
Inj
 
SNM
Inj
 
CHI
Inj
 
MOT
Inj
 
HMS
Inj
28位 62
2010  
SAO
3
 
STP
15
 
ALA
18
 
LBH
11
 
KAN
10
 
INDY
27
 
TXS
10
 
IOW
7
 
WGL
19
 
TOR
11
 
EDM
16
 
MDO
15
 
SNM
15
 
CHI
9
 
KTY
23
 
MOT
17
 
HMS
6
12位 310
2011  
STP
8
 
ALA
12
 
LBH
9
 
SAO
17
 
INDY
15
 
TXS1
8
 
TXS2
11
 
MIL
24
 
IOW
18
 
TOR
5
 
EDM
12
 
MDO
10
 
NHM
10
 
SNM
22
 
BAL
9
 
MOT
25
 
KTY
16
 
LVS
16位 287
1 同日に開催された
2 ノンタイトル戦
チーム 出走数 ポールポジション 勝利数 表彰台
(勝利以外)**
トップ10
(表彰台以外)***
インディ500勝利数 チャンピオン獲得数
10 4 130 2 0 15 56 0 0

インディ500 編集

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2003 ダラーラ シボレー 26 12 メナード
2004 Gフォース ホンダ 7 6 レイホール・レターマン
2005 パノス ホンダ 7 2 レイホール・レターマン
2006 ダラーラ ホンダ 6 10 パンサー
2007 ダラーラ ホンダ 19 10 パンサー
2008 ダラーラ ホンダ 8 2 パンサー
2009 ダラーラ ホンダ 14 21 フォイト
2010 ダラーラ ホンダ 30 27 フォイト
2011 ダラーラ ホンダ 11 15 フォイト

アメリカン・ル・マン・シリーズ 編集

エントラント クラス シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2006 ハイクロフト・レーシング LMP1 MG-Lola EX257 AER P07 2.0L Turbo I4 D SEB TEX MID LIM UTA POR AME MOS PET
ovr:3
cls:3
MON 20位 19
2007 アンドレッティ・グリーン・レーシング LMP2 Acura ARX-01a アキュラ 3.4L V8 M SEB STP LNB TEX UTA LIM MID AME MOS DET PET
ovr:Ret
cls:Ret
MON NC -

A1グランプリ 編集

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 DC ポイント
2006-07 ブラジル NED
SPR
NED
FEA
CZE
SPR
CZE
FEA
BEI
SPR
BEI
FEA
MYS
SPR
MYS
FEA
IDN
SPR
IDN
FEA
NZL
SPR
NZL
FEA
AUS
SPR
AUS
FEA
RSA
SPR
RSA
FEA
MEX
SPR
MEX
FEA
SHA
SPR

14
SHA
FEA

19
GBR
SPR
GBR
SPR
18位 9

ストックカー・ブラジル 編集

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2012 Officer ProGP シボレー・ソニック INT
27
CTB
8
VEL RBP LON RIO SAL CGD TAR CTB BSB INT 13位* 13*
* 現在進行中

参照 編集

  1. ^ a b c d Vitor Meira Career Stats”. Indianapolis Motor Speedway. 2010年1月9日閲覧。
  2. ^ Rookie Vitor Meira wins pole”. United Press International (2002年9月14日). 2010年3月30日閲覧。
  3. ^ “Photo finish: IRL championship decided by inches at Texas 500”. CNN Sports Illustrated. (2002年9月16日). http://sportsillustrated.cnn.com/motorsports/news/2002/09/15/irl_hornish_ticker/ 2010年3月30日閲覧。 
  4. ^ Meira wins pole at The ミルウォーキー・マイル”. NBC Sports. Associated Press (2004年7月24日). 2010年3月30日閲覧。
  5. ^ “Meira breaks two vertebra in crash-filled Indy 500”. USA Today. (2009年5月24日). http://www.usatoday.com/sports/motor/2009-05-24-2691482124_x.htm 2010年5月27日閲覧。 
  6. ^ アーカイブされたコピー”. 2009年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月25日閲覧。

外部リンク 編集

タイトル
先代
Hoover Orsi
フォーミュラ3・スダメリカーナ チャンピオン
2000
次代
Juliano Moro
受賞
先代
トニー・カナーン
スコット・ブレイトン アウォード
2008
次代
サラ・フィッシャー