七島 (名古屋市)
七島(ななしま)は、愛知県名古屋市港区の町名。現行行政地名は七島一丁目及び七島二丁目[WEB 7]。また、庄内川と新川の中州に南陽町大字七島新田が一部残存している[1]。住居表示未実施[WEB 7]。本項目では、南陽町の大字及び新田としての七島新田についても解説する。
七島 | |
---|---|
北緯35度6分7.17秒 東経136度50分0.56秒 / 北緯35.1019917度 東経136.8334889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 港区 |
支所 | 南陽支所 |
面積 | |
• 合計 | 0.2657231 km2 |
人口 | |
• 合計 | 417人 |
• 密度 | 1,600人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
455-0852[WEB 3] |
市外局番 | 052(名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
南陽町大字七島新田 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 港区 |
支所 | 南陽支所 |
面積 | |
• 合計 | 0.842836398 km2 |
人口 | |
• 合計 | 0人 |
• 密度 | 0.0人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
455-0853[WEB 6] |
市外局番 | 052(名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理 編集
名古屋市港区西部に位置する[2]。東は南陽町七島新田、南は藤高一丁目・同三丁目、北は東茶屋一丁目・同二丁目・同三丁目・同四丁目に接する[2]。
南陽町大字七島新田には現在4つの小字が庄内川及び新川周辺に存在する。このうち字庄内川西縁・珍寿野・流作場は、庄内川と新川に挟まれた領域に位置し、東に当知町字草野、西に南陽町大字藤高新田字新川東縁・新川西縁、北に南陽町大字茶屋新田字一番割宮東にそれぞれ接する[WEB 8]。字腰檀は庄内川の西岸に位置し、東に七島、南に南陽町大字藤高新田字イノ割、北に南陽町大字茶屋新田字一番割宮東がそれぞれ接する[WEB 8]。
七島では、主に稲や麦の栽培が行われており、伝統芸能の神楽が保存されているという[3]。
字一覧 編集
南陽町大字七島新田には小字が残る。南陽町大字七島新田及びその前身である海東郡七島新田の小字は以下の通り[4][WEB 8]。消滅した字については背景色 で示す。
字 | 読み | 備考 |
---|---|---|
腰檀 | こしだん | 1882年時点では記載なし。 |
庄内川西縁 | しょうないかわにしより | |
珍寿野 | ちんじゅの | 1882年時点では記載なし。 |
流作場 | りゅうさくば | |
後末新田 | のちすえしんでん | |
大縄場 | おおなわば | |
新川西緑 | しんかわにしみどり | |
南蔵地 | みなみぞうち | |
江西割 | えにしわり | |
堤越檀 | つつみこしだん |
歴史 編集
町名の由来 編集
七島新田の名に由来する[1]。新田が開発される以前は新川東部にまで広がる広大な島であったため、この名がついたと言われる[3]。
七島新田 編集
七島新田は、1788年(天明8年)に近在の愛知郡下之一色村の木村権左衛門なる人物により開かれたものである[1]。当時の七島新田は、現在の南陽町大字七島新田の全域のほか、現在の七島・藤高・東茶屋の各一部に該当する[5][3]。七島新田は尾張国海東郡に属し、全域を尾張藩領、大代官所支配地とした[3]。石高は82石余[3]。1811年(文化8年)に名古屋大船町の伊藤忠左衛門の手に渡った[1]。
1889年(明治22年)、合併に伴い茶屋村大字七島新田となった。その後南陽村大字七島新田を経て1955年(昭和30年)に名古屋市へと編入された[3]。七島新田は、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風により農地に大きな被害を被ったため、昭和以降は土地改良事業や圃場整備が行われた[3]。
行政区画の沿革 編集
七島新田 編集
- 1889年(明治22年)10月1日 - 海東郡七島新田が合併に伴い、茶屋村大字七島新田となる[6]。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 合併に伴い、海東郡南陽村大字七島新田となる[6]。
- 1913年(大正2年)7月1日 - 海部郡成立に伴い、同郡南陽村大字七島新田となる[6]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 町制施行に伴い、海部郡南陽町大字七島新田となる[6]。
- 1955年(昭和30年)10月1日 - 合併に伴い、名古屋市港区南陽町大字七島新田となる[6]。
- 1976年(昭和51年)- 一部が東茶屋1~4丁目に編入される[3]。
- 1981年(昭和56年)12月5日 - 一部が藤高一丁目・藤高三丁目・七島一丁目・七島二丁目にそれぞれ編入される[5]。
七島一丁目・七島二丁目 編集
- 1981年(昭和56年)12月5日 - 港区七島一丁目が南陽町大字七島新田・南陽町大字茶屋新田の各一部により、七島二丁目が南陽町大字七島新田・南陽町大字茶屋新田・南陽町大字藤高新田の各一部によりそれぞれ成立する[5]。
世帯数と人口 編集
2019年(平成31年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
七島一丁目 | 121世帯 | 301人 |
七島二丁目 | 45世帯 | 116人 |
計 | 166世帯 | 417人 |
人口の変遷 編集
国勢調査による人口の推移
2000年(平成12年) | 520人 | [WEB 9] | |
2005年(平成17年) | 458人 | [WEB 10] | |
2010年(平成22年) | 450人 | [WEB 11] | |
2015年(平成27年) | 427人 | [WEB 12] |
学区 編集
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 13]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 14]。
丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
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七島一丁目 | 全域 | 名古屋市立南陽小学校 | 名古屋市立南陽東中学校 | 尾張学区 |
七島二丁目 | 全域 |
施設 編集
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その他 編集
日本郵便 編集
脚注 編集
WEB 編集
- ^ “愛知県名古屋市港区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2017年10月7日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年3月20日). 2019年3月21日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月17日閲覧。
- ^ a b “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “愛知県名古屋市港区南陽町大字七島新田 (231112050) 国勢調査町丁・字等別境界データセット”. Asanobu KITAMOTO. 2021年7月29日閲覧。
- ^ a b “愛知県名古屋市港区南陽町七島新田の郵便番号”. 日本郵便. 2021年7月29日閲覧。
- ^ a b 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2015年10月21日). “港区の町名一覧”. 名古屋市. 2020年11月15日閲覧。
- ^ a b c “名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2021年7月29日閲覧。「港区南陽町七島新田」のページを参考とした。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2005年7月1日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成12年国勢調査) 港区” (XLS). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2007年6月29日). “平成17年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 港区” (XLS). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2012年6月29日). “平成22年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 港区” (XLS). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2017年7月7日). “平成27年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口” (XLS). 2017年10月8日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年4月14日閲覧。
文献 編集
参考文献 編集
関連項目 編集
外部リンク 編集
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