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住吉川(すみよしがわ)は、神戸市東部を流れる河川二級水系の本流である。六甲山麓から短く下る急流であるため扇状地が形成され、中流では天井川となっている。

住吉川
住吉川 2006年2月21日撮影
新反高橋から北望。
両岸の部分はかつての「ダンプ道路」
水系 二級水系 住吉川
種別 二級河川
延長 8 km
平均の流量 -- m³/s
流域面積 12 km²
水源 六甲山(兵庫県)
水源の標高 931 m
河口・合流先 大阪湾(兵庫県)
流域 兵庫県神戸市
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国道2号線の南から六甲山を望む

急流に加えて生活排水も流入しないため、市街地にも拘らずが棲息するほどの清流。またこの水が、灘五郷における酒造の一端を担っている。反面、阪神大水害をはじめ幾度かの水害をももたらしてきた。人々のランニングのコースともなっている。

倚松庵をはじめ両岸には大規模な邸宅が多く、旧住吉村の流れを受け継ぐ阪神間モダニズム住宅地の一角をなす。

目次

地理編集

六甲山(標高931m)南麓に発し、上流は五助橋断層に沿って南西方向へ流れる断層谷であり、山塊を深く侵食・分断して、同断層の露頭が見られる五助堰堤で南へ向きを変える。山間部を抜ける辺りで支流の西谷川をあわせ、市街地に流れ下る。中流部で天井川となり、東海道本線が河底の下をトンネルで抜ける。ここから河口までは六甲ライナーが流路に沿う。谷崎潤一郎の旧邸である倚松庵を西に見て阪神魚崎駅を過ぎ、六甲アイランドを正面に迎えて大阪湾東神戸港)へ注ぐ。

歴史編集

住吉川は、地理と歴史が密接に関連している。以下に順を追って詳説する。

住吉川は、六甲山系のなかでもいちばん標高の高い六甲山からの水の流れであるゆえ、高低差により発生する急流で上流の土砂を多く下流に運び、なだらかな扇状地を形成した。利水のよさから、江戸時代まではおおむね集落のなかった旧菟原郡部のなかで住吉川流域の扇状地では古くから集落が形成されてきたとされる一方で、降雨時の集落への浸水を防ぐための堤防が築かれたことで上流から運ばれた土砂の堆積範囲が集中化し河床が上昇、天井川化が進行したとされる。

近代化にあたり、明治初期にいち早く国が鉄道省線(現在の東海道本線大阪神戸間。以下、時代に応じて省線あるいはJR線)を敷設。当時の鉄道車両の動力性能上、勾配がほぼない水平な路盤形成が必要であったことから、既に天井川となった住吉川の地下を鉄道が通るように建設された(芦屋川や、六甲道駅周辺高架化前の石屋川も同様:1871年に完成した日本最古の鉄道用地下トンネルである)。また、東海道本線が全般的にほぼ直線の線形で敷設されたなかで、摂津本山駅から六甲道駅西側にかけてはゆるやかにカーブが連続するのは、住吉川と石屋川、およびそれらの川を中心に形成されたそれぞれの扇状地を、(当時の地形で)ほぼ同一の標高で通過できるルートが選択されたためである。

大正に入り、阪神国道(現在の国道2号)の建設が行われることになった。このとき、当時の住吉村六甲村は、阪神国道の勾配を可能な限り小さくするべく、住吉川と石屋川の底浚い(河床に堆積した土砂を撤去して川の高さを下げる)工事を実施している。両河川およびその周辺の地形を変える、歴史に残る大きな工事となった。ただし、既に鉄道省線が両河川の地下にトンネルを建設し営業運転を開始していたため、省線より上流の底浚いができなかった。そのため、省線と阪神国道の間の部分で、両河川は急に川底が下がる地形となり、急流化を防ぐ目的で河床が段々化されている。省線と阪神国道の距離がやや離れていた石屋川では阪神国道はほぼ高低のない横断となったが、住吉川では省線と近接位置にあることから底浚いに限界があり、両岸約数百メートルにわたって勾配のある横断となった。JR線以南についてはこの地形のまま現在にいたる。なお、現在でも国道43号上に建設された阪神高速神戸線は住吉川を境にして上下線とも登り勾配が続いており住吉川の扇状地帯であることが伺える。

一方、JR線以北については、1938年の阪神大水害で地形の変化があった。阪神大水害で住吉川が氾濫したことはよく知られているが、これは、六甲山から流れてきた巨岩や巨木が阪急神戸線の住吉川橋梁(鉄橋)に引っかかり、これらが川の流れをせき止め、周辺にあふれたものである。その流れの勢いおよび量は想像を絶するもので、阪急の鉄橋ごと下流に流されながら埋もれたとされ、結局、その所在が不明のまま巨岩は陸軍工兵隊によって現場で爆破、粉砕処理された(この処理のうちに鉄橋も粉砕化されたとの説もある)。この阪神大水害でJR線以北の河床および堤防が高くなった。当時の阪神急行電鉄(阪急)は、この高くなった住吉川を乗り越える形で復旧を行い、岡本駅から住吉川橋梁まで急勾配が連続する線形となった(この復旧に際し、地下トンネルとはせずにあえて連続急勾配で乗り越えるものとした背景は明らかにされていないが、小林一三が地下トンネルを嫌っていたことが関係しているとの説がある[1])。

1960年代、渦森山を切り開いて渦森台団地を造成する際、川の両岸の河川敷の部分に専用道路を建設し、土砂を運搬した(当時の神戸市長である原口忠次郎の発案になるという[1])。この道路には「ダンプ道路」の異名が付けられた。造成が完成した後は「清流の道」という遊歩道になっている。

流域の自治体編集

兵庫県
神戸市東灘区灘区(支流の一部))

流域の観光地など編集

生態系編集

川魚では神戸市内の河川で一般的に見られるオイカワカワムツカワヨシノボリの他にタカハヤアマゴなどが生息。アユも人工の小滝が多いながら中下流域でみられる。昆虫はトビケラ類、カゲロウ類、カワゲラ類の他上流ではゲンジボタルが見られる。その他サワガニカワニナなど多数の水生生物が棲む。また全域に渡り堆積した砂の上からヨシが群生しておりヨシ原を形成するが、キショウブウチワゼニグサオオカワヂシャクレソンなどの外来種が侵入して分布を拡げている[2]。水鳥はアオサギカルガモカワセミなどが見られる。

河口は砂礫混じりの狭い干潟であるが、生物種が豊富で、都市部における生態系の宝庫である。例えば無数のフジツボムラサキイガイマガキナガレカンザシといった着生生物、各種の巻貝ヤドカリカニ類、潮間帯の転石やテトラポット上にはタテジマイソギンチャクが付いていることがある。

テヤハル川編集

近畿方言の敬語において、京都や大阪では「はる」、神戸や播州では「て(や)」を用いる(例:言っておられる=言うてはる/言うとってや)。1958年に鎌田良二が「はる」と「て(や)」の境界を調査したところ、住吉川を挟んで本山町以東では「はる」、御影町以西では「て(や)」が優勢であることが判り、鎌田は本山町と御影町の間が大阪弁神戸弁の境界といえる旨を報告した。そのことから、方言研究者の間では住吉川のことを「テヤハル川」と呼ぶことがある。もっとも、現在の神戸市では大阪弁の影響によって「て(や)」が衰退しており、「はる」と「て(や)」の境界は住吉川よりも西へ移っている。

支流編集

  • 西谷川
    • 大月地獄谷
      • 大西谷
      • 赤滝谷
        • 紅葉谷
    • 大月谷
    • 西山谷
  • 黒五谷
  • 五助谷
  • 西滝ヶ谷
    • 水晶谷
      • 極楽渓
  • 住吉谷
    • 田辺谷
    • 三条谷
    • 東谷
    • 黒岩谷
      • おこもり谷

脚注編集

  1. ^ 実際に三宮駅への延伸を巡って神戸市から地下での乗り入れの要請に対し、小林が拒否して高架で乗り入れたという経緯がある。
  2. ^ 藤井聖子、角野康郎 (2007)「神戸市住吉川におけるウチワゼニグサの分布拡大の記録」水草研究会誌 87 pp.12-15

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集