佐伯昌優
佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、将棋棋士、九段。2002年、引退。坂口允彦九段門下。棋士番号は79。鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。
佐伯昌優 九段 | |
---|---|
名前 | 佐伯昌優 |
生年月日 | 1936年8月4日(86歳) |
プロ入り年月日 | 1959年10月1日(23歳) |
引退年月日 | 2002年3月31日(65歳) |
棋士番号 | 79 |
出身地 | 鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町) |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 坂口允彦九段 |
弟子 | 中村修、北浜健介、斎田晴子、高橋和、中村真梨花 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 佐伯昌優 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 2回 |
通算成績 | 542勝682敗(.443) |
竜王戦最高クラス | 2組(1期) |
順位戦最高クラス | B級1組(5期) |
2017年8月24日現在 |
棋歴編集
5歳の頃、将棋を趣味としていた兄の影響を受けて将棋を覚える[1]。
1952年に奨励会入会。1959年前期の予備クラスにおいて関東優勝をし、東西決戦で関西の星田啓三六段[2]に勝ち、1959年10月1日付けで四段昇段(プロ入り)。
順位戦では、初参加から2期目の第16期(1961年度)C級2組で10勝2敗・1位となり初昇級。1年置いて、第18期(1963年度)C級1組順位戦で8勝3敗・2位の成績でB級2組に昇級。
1962年、第6回古豪新鋭戦で米長邦雄(三段)に勝ち決勝進出するが、大内延介(三段)に敗れて準優勝。しかし、翌年の同棋戦(第7回)で2年連続で決勝に進出し、大原英二に勝って棋戦初優勝。
1964年度、第14回東西対抗勝継戦に出場し、6人抜きを達成(優勝扱い)。
1972年、第21期棋聖戦の本戦で丸田祐三、二上達也に勝ち、準決勝進出(有吉道夫に敗れる)。
第29期(1974年度)B級2組順位戦で7勝3敗・2位の成績を挙げ、A級へ一歩手前のB級1組へ昇級。以降、B級1組には連続5期在籍(自己最高位)。
1980年度は負け越し、順位戦でB級2組に降級したものの、1981年5月にかけて、第6期棋王戦本戦で森雞二を破り、第30回NHK杯戦本戦で谷川浩司に勝ち、第38期棋聖戦本戦で花村元司を破り、第29回王座戦本戦では内藤國雄を破るなど、各棋戦の本戦で活躍した。
第35回(1985年度)NHK杯戦で、加藤一二三(3回戦)、森雞二(準々決勝)を破り、ベスト4。準決勝で内藤國雄に敗れる。
第2期(1989年度)竜王戦3組で準優勝(2組昇級)。決勝の相手は、この期に竜王となる羽生善治五段であった。なお、本戦トーナメントでは初戦で森下卓に敗れる。
第51期(1992年度)の順位戦B級2組では降級を喫するも当時、順位戦で26連勝をしていた森内俊之を破っている。同組に上がったばかりの森内はこの黒星が大きく響き、9勝1敗ながらも順位1つの差で頭ハネに遭った。
第30回(1996年度)早指し将棋選手権で、南芳一・加藤一二三らに勝ち、4回戦進出(中原誠に敗れる)。
1999年度のC級2組順位戦を終えた2000年、宣言によりフリークラスに転出。2002年にフリークラス規定により定年引退。
人物編集
昇段履歴編集
主な成績編集
棋戦優勝編集
- 優勝合計2回
表彰編集
主な著書編集
- 将棋必修・この一手(1966年,梧桐書院)
- 駒落将棋必勝法(1966年,虹有社)
- 段級判定詰将棋新作234題(1967年,有紀書房)
- 実力を上げる 将棋新作問題集(1977年1月,有紀書房、ISBN 4-638-07221-6)