入江洋佑

日本の俳優
入江洋祐から転送)

入江 洋佑(いりえ ようすけ、1934年10月1日[1] - 2019年8月5日)は、日本俳優。東京市本郷(現在の東京都文京区本郷)[2]出身。

いりえ ようすけ
入江 洋佑
別名義 入江 洋吉
生年月日 (1934-10-01) 1934年10月1日
没年月日 (2019-08-05) 2019年8月5日(84歳没)
出生地 日本の旗日本東京都文京区
民族 日本人
ジャンル 俳優
活動期間 1952年 - 2019年
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来歴・人物 編集

都立小石川高校卒業[1]俳優座養成所第3期生。養成所卒業後の1954年、劇団三期会(後の東京演劇アンサンブル)設立に参加し[1]、劇団の主要メンバーとして活躍する。

この間の1952年東映映画『泣き虫記者』で映画デビュー。大映映画『秘密』(1952年)『続十代の性典』(1953年)などに出演し大映と契約。『赤線地帯」(1956年溝口健二監督)や『地上』(1957年吉村公三郎監督)、『浮草』(1959年小津安二郎監督)などに出演して印象深い演技を残す。

1960年代からは舞台を中心に活動、またテレビにも創成期から出演していた。

2006年以降は志賀澤子と共同で劇団アンサンブルの代表を務めていた。

2019年8月5日、胃癌のため都内の病院にて死去[3]。9月14日に劇団アンサンブルにより送る会が行われた[4]

出演作品 編集

映画 編集

  • 続十代の性典(1953年、大映東京
  • 続々十代の性典(1953年、大映東京)
  • 十代の誘惑(1953年、大映東京)
  • 十代の秘密(1954年、大映東京)
  • 春琴物語(1954年、大映東京)
  • 真白き富士の嶺(1954年、大映東京)
  • 薔薇いくたびか(1955年、大映東京)
  • 赤線地帯 (1956年、大映東京)
  • 女中さん日記 (1956年、大映東京)
  • 処刑の部屋 (1956年、大映東京)
  • あさ潮ゆう潮(1956年、大映東京)
  • スタジオは大騒ぎ(1956年、大映東京)
  • 惚れるな弥ン八 (1956年、大映東京)
  • あこがれの練習船 (1956年、大映東京)
  • 高校生と殺人犯(1956年、大映東京)
  • いとはん物語(1957年、大映東京)
  • 満員電車(1957年、大映東京)
  • 永すぎた春(1957年、大映東京)
  • 湖水物語(1957年、大映東京)
  • くちづけ(1957年、大映東京)
  • 地上(1957年、大映東京)
  • 十七才の断崖(1957年、大映東京)
  • 母 (1958年、大映東京)
  • 俺たちは狂ってない(1958年、大映東京)
  • 別れたっていいじゃないか(1958年、大映東京)
  • 白鷺(1958年、大映東京)
  • 母のおもかげ(1959年、大映東京)
  • 薔薇の木にバラの花咲く (1959年、大映東京)
  • 夜の闘魚(1959年、大映東京)
  • 浮草(1959年、大映東京)
  • 女は抵抗する(1960年、大映東京)
  • 歌行燈(1960年、大映東京)
  • うるさい妹たち(1960年、大映東京)
  • 性犯罪法入門(1969年、大映京都
  • 甘い秘密(1971年、近代映画協会
  • 鬼の詩(1975年、鐡プロ=ATG

テレビドラマ 編集

舞台 編集

  • 人間蒸発(1964年) - 死人B[5]
  • 母(1964年) - 教師ニコライ·ウエツソウチコフ([5][注 1]
  • 男は男だ(1964年) - ボーリー・ベーカー[6][注 2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 戸田皓久とのダブルキャスト[5]
  2. ^ 伊藤克とのダブルキャスト[6]

出典 編集

  1. ^ a b c 新劇便覧 1965, p. 243, 新劇俳優名鑑
  2. ^ キネマ旬報社「日本映画俳優全集 男優編」70頁
  3. ^ https://www.asahi.com/articles/DA3S14130460.html 入江洋佑さん死去
  4. ^ http://www.tee.co.jp/?p=901 入江洋佑と伊藤克を送る会
  5. ^ a b c 新劇便覧 1965, pp. 421–422, 三期会
  6. ^ a b 『芸能』12月号、芸能発行所、1964年、65頁。 

外部リンク 編集