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名演小劇場

愛知県名古屋市にある映画館

名演小劇場(めいえんしょうげきじょう、Meien Cine Salon)は、愛知県名古屋市東区東桜にある映画館ミニシアター)。かつては劇場であり、現在も映画興行のほかに演劇公演も行っている。

名演小劇場
Meien Cine Salon
Nagoya Meien Shogekijo 2014-01A.JPG
地図
情報
正式名称 名演小劇場
完成 1972年1月9日
開館 1972年
客席数 サロン1 - 105席
サロン2 - 49席
用途 映画上映、演劇公演
旧用途 演劇公演
運営 株式会社名演会館[1]
所在地 461-0005
愛知県名古屋市東区東桜2-23-7
位置 北緯35度10分12.7秒
東経136度54分55.8秒
座標: 北緯35度10分12.7秒 東経136度54分55.8秒
最寄駅 名古屋市営地下鉄東山線新栄町駅
最寄IC 名古屋高速都心環状線
東新町出口」及び「東新町入口
外部リンク 公式ウェブサイト

沿革編集

  • 1972年 - 名演会館ビル完成、劇場「名演小劇場」が開館
  • 2003年 - 本格的な映画館「名演小劇場」に改装
  • 2004年 - スクリーンを増設して2スクリーン体制に

データ編集

歴史編集

劇場として編集

1954年、名古屋初の自主的演劇鑑賞組織(労演)として名古屋演劇同好会(略称 : 名演[4])が発足。当時は演劇公演を主催する商業劇場はほとんどなく、鑑賞団体が劇団と交渉して演劇公演を企画する形が一般的だったため、1968年には名演の会員数が過去最高の9,258人に達した。1966年中日劇場が開場し、名鉄ホールとともに新劇の興行を始めると、劇団が直接商業劇場と交渉するようになり、演劇鑑賞団体の位置づけが揺らいでいった。[5]

名演は中日劇場、名鉄ホール、愛知文化講堂名古屋市民会館など名古屋市内のホールを使用して演劇公演を企画していたが、かねてから自前の劇場を欲していた。1972年1月9日、総工費8,500万円をかけて東区東桜に名演会館ビルが竣工し、ビルの4階から5階には固定座席(150席)・補助席(50席)合わせて200席を持つ名演小劇場が入った。名演は全国の演劇鑑賞組織で初めて自前の劇場を持った団体である[5]。名演会館ビル建設の呼びかけ人には千田是也杉村春子宇野重吉など、当時の演劇界の重鎮が名を連ねており、その他にも全国の演劇関係者・全国の文化関係者・地元劇団などが名演会館ビル建設に協力している。名演の主催による舞台公演が興行の中心に据えられたが、舞台公演の合間には映画興行も行っていた。1960年代後半以後、商業劇場の発展によって全国的に鑑賞組織が衰退し、1973年の名演の会員数は4,283人と、1968年のピーク時の半分以下に減少した。1980年代以降には、上演する劇団の固定化、観客層の高齢化、相次ぐ公共ホールの建設、厳しい財政状況などの問題が生じた。[5][6]

映画館として編集

2003年2月、名演小劇場は1スクリーン(サロン1)を有する映画館としてリニューアルオープン。劇場時代、名演会館ビルの1階は喫茶店と事務所に使用されていたが、2004年には49席のスクリーン(サロン2)に改装された。名演小劇場はサロン1とサロン2の2スクリーン体制となり、またサロン1も改装されて座席数は105席に減少。この年から映画上映を興行の中心に据え、本格的な映画館として再出発を切った。他の映画館が上映に二の足を踏んでいた是枝裕和監督の『誰も知らない』を引き受けると、第57回カンヌ国際映画祭で主演の柳楽優弥最優秀主演男優賞を受賞したこともあって、ミニシアターとしては異例の2万人近くの観客を動員する大ヒットを記録。現在の興行の中心は映画上映だが、年7回は演劇の公演を行っている。[6][2]

関連項目編集

名古屋市のミニシアター
2代目桂枝光
  • 「桂小つぶ」時代の1979年に初舞台を踏んだ。

参考文献編集

  • 『映画館名簿』 時事映画通信社 各年版

脚注編集

  1. ^ a b 『映画館名簿 2014年版』
  2. ^ a b 名演小劇場港町キネマ通り
  3. ^ 『映画館名簿』、各年版
  4. ^ 1954年の発足時は名古屋演劇同好会だったが、1966年には名古屋勤労者演劇協議会に改名、1973年には名古屋演劇鑑賞会に改名。略称はいずれも名演である。
  5. ^ a b c 栗木英章 『夢・時代とともに 戦後名古屋の演劇史』 世界劇場会議名古屋 2011年、pp.158-163
  6. ^ a b 名演二十五年史編集委員会 『名演25年の歩み 1954-1979』 名古屋演劇鑑賞会 1979年

外部リンク編集