大分川
日本の河川
大分川(おおいたがわ)は、大分県中部を流れる大分川水系の本流で、一級河川である。古くは堂尻川、寒川とも呼ばれた。
大分川 | |
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![]() 大分川下流域 | |
水系 | 一級水系 大分川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 55 km |
平均の流量 |
15.75 m³/s (明碩橋観測所 2000年) |
流域面積 | 650 km² |
水源 | 由布岳(大分県) |
河口・合流先 | 別府湾(大分県) |
流域 |
![]() 大分県大分市・由布市 |
地理編集
九重連山の東側に位置する由布岳(標高1,584m)の南西麓に発し、南西方向に流れて由布院盆地を貫流した後、次第に向きを変えて概ね東流。下流では大野川とともに大分平野を形成し、大分市市街地を東西に分けながら北流に転じ、別府湾に注ぐ。
名称の由来編集
13世紀ごろは沿岸に河原市が多く立っていたから、「市河」と呼ばれた[1]。
「大分川」は「大分郡」の郡名に由来すると思われる。「大分」の語源については諸説があり、定かではない[2][3][1]。
- 『豊後国風土記』によると、この地域を巡幸した景行天皇は広々とした田んぼを見て、「碩田国」(おおきだのくに)と名付けた。後に「大分」と書かれるようになった。
- 大分平野の地形は狭くて複雑であるから、「多き田」から来たとの説がある。
- 半田康夫によると、「分」は「段」と共に「キダ」と訓まれていたため、「大分」は大分川によって刻まれた河岸段丘等による地形を示す。
- 渡辺澄夫によると、「キダ」は「段」で「きれめ・きざみ・だん」の意味、「分」は「わかち・わかれ」の意味で、「分離」の意味において両者は相通ずるから、「おおきだ」は「大きくきざみ分けられた所」の意味である。つまり、「大分」は地形が錯綜する「刻まれた地形」という表現で、同じく河岸段丘等による地形を示すと考えられる。
歴史編集
古くは、天平12年(740年)頃までに成立したとされる『豊後国風土記』に記載が見え、年魚(鮎)が多く捕れると記されている。
承和15年(848年)には、大分川で白亀が捕獲され、朝廷に献上された。朝廷はこれを大瑞として、承和から嘉祥への改元が行われた(『続日本紀』)[4]。
1953年(昭和28年)の昭和28年西日本水害では、舞鶴橋が流失し、大分川の氾濫により大分市街地のほとんどが浸水する被害を受けた。この水害を機に支流の芹川に洪水調節用の芹川ダムが建設された。
流域の自治体編集
主要な支川編集
主要な派川編集
主要な橋梁編集
上流から下流の順に記す。
- 湯平大橋(大分県道537号湯平温泉線)
- 庄内大橋(国道210号)
- 小野屋大橋(国道210号)
- 挾間大橋(大分県道618号籠原挾間線)
- 同尻橋
- 天神橋(国道210号)[6]
- 国分橋
- 小野鶴橋
- 高速大分川橋(大分自動車道)
- 明磧橋(国道442号)
- 府内大橋(国道10号・国道210号)
- 大分川水管橋[7]
- 広瀬橋
- 通路線大分川橋梁(鉄道橋)
- 豊肥線大分川橋梁(豊肥本線(鉄道橋))
- 日豊線大分川橋梁(日豊本線(鉄道橋))
- 宗麟大橋(都市計画道路庄の原佐野線)
- 滝尾橋(大分県道21号大分臼杵線)
- 舞鶴橋(国道197号・国道217号)
- 弁天大橋(大分県道22号大在大分港線)
ダム編集
- 櫟木ダム
なお、大分川ダムは、大分川の本流ではなく、支流の七瀬川に建設されている。
流域の観光地編集
並行する交通編集
脚注編集
- ^ a b “第1章 大友氏遺跡の概要と価値”. 大分市. p. 6. 2019年9月8日閲覧。
- ^ “県名の由来 - 大分県ホームページ”. www.pref.oita.jp. 2019年9月8日閲覧。
- ^ 大分市. “大分市のあらまし” (日本語). 大分市. 2019年9月8日閲覧。
- ^ 膳伴公氏(かしわでのとものきみうじ) 連綿と続く古代氏族の系譜 - 大分歴史事典
- ^ a b 大分川水系の流域及び河川の概要 (PDF) 国土交通省河川局
- ^ 大分川水系河川維持管理計画 (PDF) 国土交通省九州地方整備局大分河川国道事務所、2012年4月、p.44(天神橋から下流の橋梁の名称等は特記がない限り本資料による)
- ^ 平成27年度大分川水系流域・水系浸水想定区域図・重要水防箇所一覧 (PDF) 国土交通省九州地方整備局大分河川国道事務所
外部リンク編集
- 大分川 - 国土交通省