小沢 馨(おざわ かおる、1930年10月20日 - 2016年9月28日[1])は岡山県出身の元プロ野球選手、元高校野球監督

小沢 馨
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県
生年月日 (1930-10-20) 1930年10月20日
没年月日 (2016-09-28) 2016年9月28日(85歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1950年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

来歴・人物 編集

岡山県立倉敷工業高等学校で、1949年第31回全国高等学校野球選手権大会投手として出場し、ベスト4を記録した。大阪タイガースの入団テストを受け、合格しタイガースに入団。倉敷工業でバッテリーを組んでいた藤沢新六もタイガースに入団した。しかし、一軍に呼ばれることはなく、1950年オフに僅か一年で退団。日鉄鉱業二瀬鉱業所に移籍した。このとき藤沢も同じく日鉄二瀬に移籍した。

その後、母校倉敷工業の野球部監督に就任し、1957年選抜高等学校野球大会に春初出場、ベスト4を記録した。以後、1975年に監督を引退するまでに、春の甲子園9回(1957年1958年1959年1964年1967年1968年1972年1974年1975年)、夏の甲子園5回(1959年1961年1962年1967年1968年)の計14回甲子園に出場した。ただ、全国の壁は厚くベスト4(3回)が最高の成績であった。甲子園での17勝は、岡山県の高等学校を率いた監督としては、2014年現在最多である[2]

監督時の教え子に、室山皓之助(元阪神)・三宅博(元阪神)・小橋優(元国鉄)・杉本喜久雄(元広島)・槌田誠(元巨人 - ヤクルト)・鎌田豊(元広島)・杉本郁久雄(元阪神)・秋山重雄(元近鉄)・菱川章(元中日 - 日拓)・兼光保明(元近鉄)がいる。

2016年、死去[3]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集

  • 一軍公式戦出場なし

背番号 編集

  • 34(1950年)

甲子園での監督成績 編集

  • 春:出場9回・10勝9敗
  • 夏:出場5回・7勝5敗
  • 通算:出場14回・17勝14敗 勝率.548 (勝利数歴代38位タイ、2014年現在)[2]

脚注 編集

関連項目 編集