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岡部 達(おかべ たつ[1]1934年11月17日[2] - )は、日本アナウンサー

おかべ たつ
岡部 達
プロフィール
出身地 大日本帝国の旗 台湾 台北州
(現: 台湾台北市
生年月日 (1934-11-17) 1934年11月17日(84歳)
最終学歴 早稲田大学教育学部
職歴 ラジオ東京→TBSアナウンサー ほか
活動期間 1957年 - 1986年
1988年 - 1992年
ジャンル スポーツ、音楽、報道・情報
出演番組・活動
出演経歴 スポーツ中継
3時にあいましょう
など
その他 退職後は、TBSアナウンススクール特別講師などを務める。

日本統治時代台湾台北市出身[3]ラジオ東京→TBS[注釈 1]で活動していた。


経歴・人物編集

早稲田大学教育学部[4]を卒業して[5]1957年4月にラジオ東京(現・TBS)へアナウンサー5期生として入社(同期には青柳純一金坂光春仁村秀雄山本文郎麻生雅子石川知子大場ゆかり草間範子佐藤美智子鈴木美江須藤孝子前田和子町田教子[注釈 2]三好和子[7]。主にスポーツ実況(野球、ボクシング、フィギュア、ラグビー、アイスホッケー)やラジオDJを担当していた[8]1963年11月1日に報道局運動部兼ニュース部アナウンサーとなる[9]。1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴い報道局運動部兼アナウンサー研修室付[10]1970年7月にラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道運動部勤務の後[8]1977年3月にラジオ本部アナウンス室(1983年6月29日にラジオ本部アナウンス部に組織変更[11])のみ所属となる[8]近代オリンピックでは1964年東京)と1972年札幌)の二度にわたり実況を担当[5]。このうち、札幌の開会式ではテレビ中継を担当した[8]ボクシング中継では具志堅用高WBA世界Jフライ級(ライトフライ級)チャンピオン初挑戦(対ファン・ホセ・グスマン)を担当[8]以来、13回目のタイトル防衛戦まで担当した(王座陥落の14回目は、平原晋太郎が担当[注釈 3])。1986年5月に秘書室へ異動[8]しアナウンス職から離れる。

1988年2月のテレビ本部社会情報局異動[8]後は、4月から1992年3月までの4年間城戸真亜子と共にワイドショー番組『3時にあいましょう』のメインキャスターを務めた。

1992年6月にテレビ総局ネットワーク局JNNネットワーク協議会事務局へ異動[8]後、1994年11月にTBSを定年退職[8]。定年退職後は、短期大学講師やTBSアナウンススクール特別講師を務める[5]

詳細情報編集

出演番組編集

スポーツ中継編集

スポーツ中継以外編集

ラジオ
  • 若い目のパリ(1961年)[8]
  • 今週のベストテン(1963年)[8]
  • フェザー・シルバー・タイム(1963年)[8]
  • パーソナル・ダイヤル(1967年)[8]
  • ミュージックパトロール(1970年)[8]
  • ミュージック・オン・ステージ(1974年)[8]
テレビ

出演映画編集

注釈編集

  1. ^ 1960年11月29日より、東京放送へ社名変更。2001年10月にラジオ部門がTBSラジオ&コミュニケーションズへ、2009年4月にテレビ部門がTBSテレビへそれぞれ分離され、放送持株会社東京放送ホールディングス(TBSHD)」となった。
  2. ^ 町田教子は立教大学在籍中に1956年5月嘱託採用、編成局嘱託アナウンサー。大学卒業後に、社員採用されて5期生アナウンサーとなる。『TBSアナウンサーの動き』では、社員採用を1957年5月としている。[6]
  3. ^ 第14回目は、当時岡部のみが担当していたフィギュアスケート中継の日程とぶつかったため担当できなかった[12]。『TBSアナウンサーの動き』にある岡部の活動記録には、「具志堅用高の世界Jフライ級チャンピオン初挑戦以来、タイトル防衛戦すべて放送」という記述が見られるがすべて担当していたわけではない。[8]

出典編集

  1. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。「読み おかべ たつ」と記載。
  2. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「生年月日 1934年11月17日」と記述。
  3. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「出身地 台北市」と記述。
  4. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「出身校 早稲田大学教育学部」と記述。
  5. ^ a b c d e f g 外部リンク(TBSアナウンススクール講師一覧)
  6. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、東京放送、2002年1月、9頁。「56.5 <嘱託採用>3人 編成局嘱託 榎本 和恵…日本大学芸術部卒業。「女性テレビノート」 〜 <56.10 退社>〜ラジオ東京放送劇団 町田 教子…立教大学在籍中、1955年KR「かなりやゲーム」「歌くらべ学校めぐり」の司会など TV「ホモちゃんの天気予報」 〜 (57.5 社員採用) 松浦 淑恵…JOKK劇団〜山陽放送。「女性テレビノート」 〜 <56.10 退社>〜ラジオ東京放送劇団」
  7. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、東京放送、2002年1月、9-11頁。「57.4 <5期生>15人入社(男5・女10) 応募2600人 青柳 純一 岡部 達 金坂 光春 仁村 秀雄 山本 文郎 麻生 雅子 石川 知子 大場ゆかり 草間 範子 佐藤美智子 鈴木 美江 須藤 孝子 前田 和子 町田 教子 三好 和子」
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、東京放送、2002年1月、9-10頁。「岡部 達…[63.11 報道局運動部兼ニュース部][67.11 報道部運動部兼アナウンサー研修室付][70.7R本部アナウンス室兼TV本部報道局運動部][77.3 R本部アナウンス室][83.6 R局アナウンス部][86.5 秘書室][88.2 TV本部社会情報局][92.6TV総局ネットワーク局JNNネットワーク協議会事務局][94.11 定年] 『DJ、スポーツ中継(野球、ボクシング、フィギュア、ラグビー、アイスホッケー)』 R「若い目のパリ(61)」「今週のベストテン(63)」「フェザー・シルバー・タイム(63)」「パーソナル・ダイヤル(67)」「ミュージックパトロール(70)」「ミュージック・オン・ステージ(74)」 TV「スポーツデスク('75〜'76)」「3時にあいましょう(88)」 ☆72.2.3 「札幌オリンピック」開会式テレビ担当。 ☆具志堅用高の世界Jフライ級チャンピオン初挑戦以来、タイトル防衛戦すべて放送。」
  9. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、東京放送、2002年1月、16頁。「1963年11月1日 『報道局への大量異動』 ◇運動部兼ニュース部へ異動 渡辺謙太郎、吉川久夫、岡部 達、池田孝一郎、石井 智、藤田和弘、山田二郎、新村尚久」
  10. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、東京放送、2002年1月、22-23頁。「1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 <報道局運動部勤務者兼アナウンサー研修室付> 岡部 達、池田孝一郎、石井 智、藤田和弘、山田二郎、新村尚久、石川 顕、平原晋太郎」
  11. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、東京放送、2002年1月、28頁。「1983年6月29日 『組織変更』ラジオ本部アナウンス室を『ラジオ本部アナウンス部』とする。」
  12. ^ 『炎の声』、p.12に掲載された岡部の発言より。

参考文献編集

  • 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。
  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
    • 付録のDVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録されたPDFファイル
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)
      • 1997年に東京放送から発行された社内報掲載記事『座談会 炎の声』(新旧TBSスポーツアナウンサーによる座談会)の再録

関連項目編集

外部リンク編集