岩持 静麻(いわもち しずま、1919年大正8年)2月25日[1][2][注釈 1] - 2005年平成17年)11月9日[3])は、日本の政治家全国農業協同組合中央会(JA全中第六代)会長。岩手県議会議員(5期)。旧姓沼倉[2]

来歴 編集

岩手県西磐井郡萩荘村(現・一関市)に生まれる[2]。3歳の時に父を事故で失い、以後、母は女手一つで7人の子供を育てる[4]1933年昭和8年)市野々尋常高等小学校卒[5]1937年(昭和12年)宮城県農学校(現・宮城県農業高等学校)入学[6]1941年(昭和16年)同校卒業[6]。同年官立盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)入学[6]1943年(昭和18年)同校卒業[6]。同年農林省(現・農林水産省)に入り、農政局農業保険課に勤務する[7]。入省直後に陸軍に召集される[7]1944年(昭和19年)陸軍経理学校に入り、幹部候補生を経て、見習士官となり、南方に派遣される[7]1945年(昭和20年)仏印マレーと転戦し、タイ終戦を迎え、終戦直後に主計少尉に任官し、同時に予備役となる[8]1946年(昭和21年)帰国[8]。帰国後、農林省に復職するが、東京は焦土となり、物価高で暮らしにくいため、帰郷し、岩手県庁農地課に勤務する[9]。同年岩持継子と結婚し、「岩持」に改姓する[9]。結婚後、岩手郡御明神村(現・雫石町)の青年学校講師、同村農地委員となる[10]

1947年(昭和22年)御明神村議会議員に立候補し、当選、村議会議長となる[10][11]。同年御明神村中学校講師となる[10]1951年(昭和26年)岩手県議会議員選挙に無所属で立候補するが落選[12]1954年(昭和29年)御明神村長選挙に立候補し当選する[11]。翌年に雫石町と合併するまで務めた。1955年(昭和30年)岩手県議会議員選挙に日本民主党から立候補し、初当選[13]。以来5期務める。保守合同による自由民主党結党後は岩手県支部連合会幹事長、総務会長、政務調査会長の三役を歴任した[13][14]

その一方、1948年(昭和23年)御明神農業協同組合理事組合長[15]、1951年(昭和26年)盛岡地方農業協議会会長[16]1958年(昭和33年)岩手県農業協同組合中央会副会長[17]1969年(昭和44年)岩手県農業協同組合中央会会長[18]、同年全国農業協同組合中央会理事[18]1974年(昭和49年)同副会長[19]、同年雫石町農業協同組合組合長理事[19]1975年(昭和50年)(株)岩手畜産流通センター取締役社長、岩手県農協共済福祉事業(株)取締役会長[20]、(株)インテルナもりおか取締役会長[21]1976年(昭和51年)岩手県農業信用基金協会会長、岩手県管理基金審議会会長、社団法人岩手県園芸協会会長、東北くみあい飼料(株)取締役社長[22]1978年(昭和53年)岩手県農業協同組合中央会、岩手県信用農業協同組合連合会、岩手県経済農業協同組合連合会、岩手県共済農業協同組合連合会各会長[23]1981年(昭和56年)全国農業協同組合中央会会長[24]1987年(昭和62年)クミアイ醤油取締役社長[25]、全国農協中央会顧問[25]1988年(昭和63年)盛岡新渡戸会会長、(株)岩手畜産流通センター代表取締役社長、岩手県農業会議会長[25]1989年(平成元年)岩手チキンフーズ代表取締役会長[26]1992年(平成4年)北東北くみあい飼料取締役会長[26]1994年(平成6年)(財)新渡戸基金理事長[27]1997年(平成9年)新岩手農業協同組合理事長[28]となった。

栄典 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『岩手人名辞典』32頁では生年月日を「1919・9・21(1919年9月21日)」と記載。

出典 編集

  1. ^ 『岩手人名大鑑』45頁。
  2. ^ a b c 『岩持静麻 農の心を求めて』26頁。
  3. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』169頁。
  4. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』44頁。
  5. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』46頁。
  6. ^ a b c d 『岩持静麻 農の心を求めて』281頁。
  7. ^ a b c 『岩持静麻 農の心を求めて』282頁。
  8. ^ a b 『岩持静麻 農の心を求めて』283頁。
  9. ^ a b 『岩持静麻 農の心を求めて』284頁。
  10. ^ a b c 『岩持静麻 農の心を求めて』285頁。
  11. ^ a b 『岩手県町村合併誌』602頁。
  12. ^ 1952年版『岩手年鑑』57頁。
  13. ^ a b 『雫石町史』420頁。
  14. ^ 『雫石町史』421頁。
  15. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』286頁。
  16. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』287頁。
  17. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』292頁。
  18. ^ a b 『岩持静麻 農の心を求めて』297頁。
  19. ^ a b 『岩持静麻 農の心を求めて』301頁。
  20. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』304頁。
  21. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』306頁。
  22. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』307頁。
  23. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』310頁。
  24. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』313頁。
  25. ^ a b c 『岩持静麻 農の心を求めて』326頁。
  26. ^ a b 『岩持静麻 農の心を求めて』326頁。
  27. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』328頁。
  28. ^ 『岩持静麻 農の心を求めて』329頁。

参考文献 編集

  • 『岩手県町村合併誌』岩手県総務部地方課、1957年。
  • 『雫石町史』第2巻、雫石町、1989年。
  • 『岩手人名大鑑』岩手日報社、1996年。
  • 瀬川理右エ門著『岩持静麻 農の心を求めて』JA岩手県五連岩持静麻会長顕彰事業実行委員会、1999年、非売品。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。