平井 豊光(ひらい とよみつ、1936年[1] - 2013年3月2日[2])は、日本実業家馬主

ひらい とよみつ

平井 豊光
生誕 1936年[1]
日本の旗 日本 大阪府[1]
死没 2013年3月2日(77歳没)[2]
日本の旗 日本 東京都中央区[2]
職業
肩書き
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経歴 編集

玩具の企画製造販売を行う株式会社栄進堂の代表取締役会長[3]を務めた。

2013年3月2日敗血症のため[5]入院先の東京都中央区内の病院で死去。77歳没。

馬主活動 編集

 
平井の勝負服

日本中央競馬会および地方競馬全国協会馬主として知られた。勝負服の柄は赤、黒縦縞、黒袖、冠名は主に「エイシン」(英語表記は「Eishin」)を用いた。ほか、外国産牝馬には「ガール」、1999年産の外国産馬には「スワン」、地方競馬でデビューした馬には「エーシン」[注 1]なども冠名として用いた。

2011年時点で中山馬主協会の参与[4]となっており、東日本大震災の際には被災地へ義援金500万円を寄付した[4]

弟で、栄進堂監査役の平井泰男、長男[3][6]平井宏承も馬主である。また、次男で栄進堂代表取締役社長[7][6]平井克彦も馬主であり、豊光の死後にエイシンフラッシュなどの所有馬を馬主登録を承継する形で引き継いでいる。なお、エイシンオスマンなど栄進堂名義に変更された馬も一部いる[注 2]

オーナーブリーダーとして 編集

1978年[8]栄進牧場を開設[1]オーナーブリーダーとしても活動していた。外国産牝馬を多く所有し、引退後に同牧場で繁殖入りさせることで日本国外の血統を積極的に国内へ取り入れている。そのため、競走馬としての実績がなくても繁殖入りしている馬もいる。また、登録抹消後に日本国外へ再輸出して繁殖入りさせるケースもある(日本で交配してから輸出するケースもある)。

ほか、外国産馬以外では、不出走に終わったエイシンサンディサンデーサイレンス産駒という理由で種牡馬入りさせた(繋養先はレックススタッド)。エイシンサンディはミツアキサイレンスなどの活躍馬を出し、一定の成功を収めた。

主な所有馬 編集

栄進堂名義および宏承、克彦の所有馬については、同項目の主な所有馬を参照。

GI級競走優勝馬 編集

斜字は地方重賞。

中央・交流重賞優勝馬 編集

地方重賞優勝馬 編集

その他の所有馬 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ただし、後年には栄進堂名義の所有馬も「エーシン」の冠名を用いている。
  2. ^ エイシンオスマンについては、豊光の死去直後の復帰戦となった東風ステークス(2013年3月10日)では、これまでの平井豊光名義で出走し、次走の福島民報杯(同年4月7日)には移転先である栄進堂名義で出走している。JRAホームページより年度別全成績(PDF)を参照のこと。
  3. ^ 豊光の没後、克彦の名義で2013年の毎日王冠を制している。

出典 編集

  1. ^ a b c d e 「杉本清の競馬談義 第64回」『優駿』、日本中央競馬会、1990年7月、82-85頁“昭和7年大阪生まれ。” 
  2. ^ a b c エイシン軍団総帥・平井豊光氏死去 フラッシュで悲願ダービーV”. スポニチアネックス (2013年3月7日). 2023年2月17日閲覧。
  3. ^ a b c 水戸正晴 (2010年5月31日). “【ダービー】平井宏承氏「夢のよう」”. ウマニティ. 2012年1月9日閲覧。
  4. ^ a b c “エイシン”平井オーナーが義援金500万円を寄付”. netkeiba (2011年4月18日). 2022年10月18日閲覧。
  5. ^ 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.485
  6. ^ a b 【NHKマイルC】栄進軍団、2人の息子が継承”. スポニチアネックス (2013年5月2日). 2023年2月22日閲覧。
  7. ^ エーシントップ馬主・栄進堂、史上初の同一馬主4連勝を達成”. スポニチアネックス (2013年1月7日). 2013年4月6日閲覧。
  8. ^ 「今月の記録室 第51回オークス(GI) エイシンサニー」『優駿』、日本中央競馬会、1990年7月、144頁。 

外部リンク 編集