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台湾総督府総務長官時代

後藤 文夫(ごとう ふみお、1884年明治17年)3月7日 - 1980年昭和55年)5月13日)は、大正昭和官僚政治家。「天皇陛下の警察官」を自称し、新官僚の代表と見られた。戦後、日本の原子力発電導入に尽力した。

来歴編集

栄典編集

家族編集

長男は法務大臣後藤正夫、次男は東京学芸大学名誉教授の後藤米夫[6]

脚注編集

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  1. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)12頁
  2. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  3. ^ a b c 『青年と歩む後藤文夫』
  4. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  5. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  6. ^ a b c 日外アソシエーツwhoplus』「後藤文夫(ゴトウフミオ,政治家)」の項

参考文献編集

評伝編集


公職
先代:
賀来佐賀太郎
  台湾総督府総務長官
第9代:1924 - 1928
次代:
河原田稼吉
先代:
山本悌二郎
  農林大臣
第10代:1932 - 1934
次代:
山崎達之輔
先代:
山本達雄
  内務大臣
第53代:1934 - 1936
次代:
潮恵之輔