戸山公園

東京都新宿区にある都立公園

北緯35度42分19.2秒 東経139度42分16.4秒 / 北緯35.705333度 東経139.704556度 / 35.705333; 139.704556

戸山公園
戸山公園(大久保地区)西側入口
分類 都立公園
所在地
座標 北緯35度42分19.2秒 東経139度42分16.4秒 / 北緯35.705333度 東経139.704556度 / 35.705333; 139.704556座標: 北緯35度42分19.2秒 東経139度42分16.4秒 / 北緯35.705333度 東経139.704556度 / 35.705333; 139.704556
面積 18.6ha
開園 1954年8月16日
運営者 東京都公園協会
2011~2015年度指定管理者
事務所所在地 東京都新宿区大久保3-5-1
公式サイト 公式サイト
テンプレートを表示
戸山公園(箱根山地区)入口

戸山公園(とやまこうえん)は、東京都新宿区にある都立公園である。敷地は明治通りを挟んで、大久保地区(西側)と箱根山地区(東側)に完全に分かれている。地名としては、戸山二丁目・三丁目と大久保三丁目にまたがる。

概要 編集

当地一帯は、江戸時代には尾張藩徳川家下屋敷であった。2代藩主徳川光友により、回遊式庭園「戸山荘」または「戸山山荘」[注釈 1]として整備され、敷地内には箱根山に見立てた築山の玉円峰(現在の箱根山)、東海道小田原宿を模した建物など二十五景がしつらえられた。寛政年間には11代将軍徳川家斉の訪問を受けるなど、水戸藩徳川家の小石川上屋敷と並ぶ有数の大名庭園であった。推定1798年9月の戸山山荘を描いた谷文晁による絵巻『紙本淡彩戸山山荘図』が現存しており、1981年に重要文化財に指定されている[1]。その後は数度の火災水害により荒廃したが、尾張藩の財政難などもあり復興されなかった。

明治維新後、戸山荘は明治政府に明け渡される。跡地には1873年(明治6年)に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校陸軍の練兵場などに利用された。戦後軍事施設はすべて廃止された。1949年(昭和24年)、跡地に戸山ハイツの建設が開始され、1954年(昭和29年)には敷地の一部を公園として整備し、「戸山公園」として開園した。

公園付近は、戸山ハイツといった団地や大学高校といった文教施設や、社会体育館や障害者センターなど公的な施設が多い。多くは、戦前まで軍事施設が並んでいたところである。

公園には、遊具や緑地スペースのほか、標高44.6mの箱根山がある。

毎年10月の体育の日には、穴八幡宮の伝統行事であり、新宿区指定無形民俗文化財に指定されている流鏑馬が開催される。当日は穴八幡宮から戸山公園まで行列が練り歩き、大勢の観客で賑わう。また、箱根山付近はが多く植えられ、花見の名所となっている。

歴史 編集

  • 元禄年間 - 尾張徳川家の下屋敷に回遊式庭園「戸山荘」が出来る。
  • 安政年間 - 火災により、焼失。以降再興はなされず。
  • 1873年 - 屋敷跡に陸軍戸山学校が開校。一帯は、軍事施設が立ち並ぶ。
  • 1945年 - 一連の軍事施設が廃止される。米軍の接収を経て、跡地は公園や住宅施設として整備される。
  • 1954年8月16日 - 開園。

主な施設 編集

 
箱根山登山道
 
陸軍戸山学校記念碑
  • 箱根山 - 江戸時代に作られた築山。標高44.6mと山手線内では一番高い地点。
  • 陸軍戸山学校記念碑

近接施設 編集

大久保地区 編集


箱根山地区 編集

アクセス 編集

最寄りの公園出入口までのおよその時間を記す。

大久保地区 編集

鉄道
バス(
  • 高71(高田馬場駅 - 九段下)、早77(新宿駅西口 - 早稲田)、池86(渋谷駅 -池袋駅東口)学習院女子大学前より徒歩2分

箱根山地区 編集

鉄道
バス
  • 高71(高田馬場駅 - 九段下)、早77(新宿駅西口 - 早稲田)、池86(渋谷駅 -池袋駅東口)、橋63(小滝橋車庫 -新橋駅)、飯62(小滝橋車庫 -都営飯田橋駅)、宿74(新宿駅西口 - 東京女子医大前)大久保通りより徒歩1分(南側)
  • 学02(高田馬場駅 - 早大正門)など馬場下町より徒歩7分(北側)

利用時間・料金 編集

大久保地区・箱根山地区のいずれも常時開園。入場無料。

関連作品 編集

小説 編集

  • 西山ガラシャ『公方様のお通り抜け』日本経済新聞出版社 2016年 - 第7回(2015年日経小説大賞受賞、尾張藩徳川家下屋敷「戸山荘」造園をテーマにした時代小説

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「戸山荘」の名称を使用しているものとしては小沢圭次郎明治庭園記』、「戸山山荘」の名称を使用しているものとしては後述の谷文晁の『紙本淡彩戸山山荘図』がある

出典 編集

  1. ^ 文化庁; NII. “紙本淡彩戸山山荘図〈谷文晁筆/〉 文化遺産データベース”. 文化遺産データベース. 文化庁. 2017年9月3日閲覧。

参考文献 編集

  •  日本園芸研究会 編「『明治庭園記』」『明治園芸史』日本園芸研究会、東京、1915年。NDLJP:954476 

外部リンク 編集