戸田 誠司(とだ せいじ、1958年3月4日 - )は、日本の音楽プロデューサー作曲家編曲家東京都出身。主な担当パートはギターベースボーカルシンセサイザーなど。

戸田 誠司
生誕 (1958-03-04) 1958年3月4日(66歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル J-POP
テクノポップ
職業 音楽プロデューサー
ベーシスト
担当楽器 ベース
ギター
シンセサイザー
活動期間 1983年 -
レーベル 日本コロムビアShan-Shan
ポニーキャニオンT・E・N・T
共同作業者 SHI-SHONEN
FAIRCHILD

プロフィール 編集

中央大学在学中に渡辺等友田真吾らと「極東通信」を結成。後に福原まりが参加し「SHI-SHONEN」に発展。ちなみに当時4人全員が「リアル・フィッシュ」のメンバーでもあった(他のメンバーは美尾洋乃とリーダーの矢口博康)。

1982年、SHI-SHONENのデモテープが当時日本コロムビアのディレクターであった三野明洋(後にイーライセンスを創業)の目にとまり、ジューシィ・フルーツのアルバム『27分の恋』の制作を任される。「ジューシィ・フルーツ&戸田誠司」名義でアルバム全編を編曲し、ミュージシャンとしてのデビューよりも先にサウンドプロデュースを担当した作品が世に出る格好となった。

SHI-SHONENは、翌1983年に日本コロムビア内のレーベル「Shan-Shan」よりメジャーデビュー。ノン・スタンダードレーベルへの移籍や幾度かのメンバーチェンジを経て活動を停止した。

戸田とYOUの2人にギタリストの川口浩和を加え「FAIRCHILD」を結成し、1988年ポニーキャニオン「T・E・N・T」レーベルより再デビュー。当時はアミューズに所属していた。1993年に解散。

その後は、作曲家、音楽プロデューサー、ゲームプロデューサーなどとして活躍するかたわら、戸川純率いるヤプーズにも参加しギターを担当している。2004年には9年ぶりのソロアルバム『There She Goes』を発表した。

作品リスト 編集

アルバム 編集

  • Hello World :) (1995年)
  • ポリゴン番長 (1996年)
  • There She Goes (2004年)

サウンドトラック 編集

DVD 編集

  • There She Goes Again (2005年)

対談集 編集

  • TECHNO BRAIN (ソフトバンク) (1997年)

TV 編集

ゲームミュージック 編集

楽曲提供・アレンジ 編集

  • 作詞・作曲・編曲
    • 月の裏側/伊武雅刀
    • BE MY BOY/内田有紀

プロデュース 編集

関連項目 編集

  • X68000 - シャープ発売のコンピュータ。初期からの著名人ユーザーとして有名。パソコン通信BBS「北京」など

外部リンク 編集