掲子内親王

文徳天皇の七女。陽成朝の伊勢斎宮。無品

掲子内親王(ながこないしんのう)は、文徳天皇の第七皇女陽成天皇朝の伊勢斎宮清和天皇らの異母妹[1]。名は揚子あるいは楊子とも表記する。無品

掲子内親王
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不詳
薨去 延喜14年2月23日914年3月22日
別名 揚子、楊子
位階 無品
父母 父:文徳天皇、母:藤原今子/紀静子
兄弟 惟喬親王源能有惟条親王惟彦親王清和天皇
晏子内親王恬子内親王述子内親王慧子内親王珍子内親王儀子内親王掲子内親王礼子内親王、濃子内親王、勝子内親王、源憑子、源謙子、源列子、源済子、源奥子、源富子、源淵子、源脩子、
斎宮 元慶6年4月7日882年5月2日)- 元慶8年(884年
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元慶6年(882年)4月7日、清和上皇の崩御により退下した識子内親王(清和天皇皇女)と交替して斎宮に卜定される。同7年(883年)8月24日、野宮に入るが、同8年(884年)陽成天皇の退位により群行せず野宮から退下。延喜14年(914年)2月23日に没する。

脚注

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  1. ^ 掲子内親王の生母については、更衣紀静子とする説(『帝王編年記』)、後宮藤原今子とする説(『本朝皇胤紹運録』)などがある。