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「摂津」
艦歴
建造所 アメリカ
起工
進水
就役 慶応4年6月(1868年)購入
除籍 1886年2月17日
その後 1888年9月20日売却
要目
排水量 920トン
全長 長さ:51.5m
全幅 8.7m
吃水 4.5m
機関 300馬力
速力
航続距離
燃料
乗員
兵装 砲8門

摂津艦(せっつかん)は日本海軍軍艦。艦名は摂津国から採られる。日本海軍での1874年以降の正式艦名は「摂津艦」であるが、通常は摂津と記述される。幕末に購入、艦歴の後半では主に練習船として使用された。

艦歴編集

本艦の元は汽船「コヤホッグ」で、三檣シップリッグ砲艦アメリカで建造され、南北戦争の際には北軍で使用されていた。

慶応4年6月(1868年7月から8月)に外国人から購入、同年(9月8日より明治に改元)12月(1869年1月から2月)に摂津丸と命名された。翌明治2年(1869年)に広島藩に貸与されている。

1870年(明治3年)7月に普仏戦争が勃発し、その防備のために兵庫港に派遣された。

明治4年(1871年)広島藩から返還、9月18日(1871年10月31日)に一番貯蓄船(いちばんちょちくせん)と改名、11月15日(1871年12月26日)には五等艦と定められ、翌年に機関が撤去された。

1874年(明治7年)7月24日摂津(艦)と改名[1]、四等艦とされ、海軍省内堀に係留され練習艦として使用された。1876年(明治9年)11月より横浜で貯蓄船とされ、1878年(明治11年)12月以降は兵学校練習船に指定された。

1886年(明治19年)2月17日に除籍されたが兵学校授業船として引き続き使用された。1888年(明治21年)に兵学校が東京築地から広島県江田島に移転となり、本船は売却された。

艦長編集

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • (代理)磯辺包義:明治2年1月(1869年) - 明治2年12月26日(1870.1.27)[2]
  • 相浦紀道 大尉:1871年7月27日 - 9月15日[3]
  • 山崎景則 中佐:1882年10月16日 - 1883年12月15日[4]
  • 吉島辰寧 少佐:1883年12月15日 - 1885年4月23日[5]
  • 伊月一郎 少佐:1885年4月27日 - 6月22日
  • 平山藤次郎 少佐:1885年6月22日 - 8月25日
  • 伊月一郎 少佐:1885年8月25日 -

脚注編集

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  1. ^ 『海軍制度沿革』巻8、1940、p.354。国立国会図書館デジタルコレクション コマ197 「◉第一貯蓄船ヲ攝津艦ト改稱ノ件 明治七年七月二十四日(記三套二九) 第一貯蓄船之儀自今原名ニ復シ攝津艦改稱候條爲心得此旨相達候事」
  2. ^ 『日本海軍史』第9巻、665頁。
  3. ^ 『日本海軍史』第9巻、86頁。
  4. ^ 『日本海軍史』第10巻、536頁。
  5. ^ 『日本海軍史』第10巻、569頁。

参考文献編集

関連項目編集