鳳翔(ほうしょう、旧仮名でほうしゃう[4])は日本海軍砲艦[20]長州藩イギリスに発注したが、日本に回航後に明治政府に献納された[12]。 小型艦ながら初期の日本海軍の貴重な戦力となった[12]

鳳翔
1878年頃、横須賀軍港での鳳翔[1]
1878年頃、横須賀軍港での鳳翔[1]
基本情報
建造所 A Hall & Co.[2]
(イギリスアバディーン)[3]
運用者 長州藩(山口藩)[4]
 大日本帝国海軍[5](兵部省[5])
艦種 砲艦[3]
建造費 代価:125,000ドル[6]
母港 最終時:[7]
艦歴
発注 慶応3年1月[8](1867年2月頃)
進水 1868年[4]
竣工 1869年[4]
就役 明治2年1月(1869年2月頃)山口藩が領収[6]
明治4年6月8日(1871年7月25日)兵部省が受領[9]
除籍 1899年3月13日[7]
その後 1906年4月19日廃船[4]
1907年4月9日売却[4]
要目
排水量 316英トン[10][11]
または常備:321英トン[12]
トン数 173トン[3]
長さ 224[8](41.485m)
全身長:131尺[13](39.97m)
垂線間長 121尺[14](36.67m)
24尺[14](7.27m)
甲板幅:21尺9[13][8](6.64m)
深さ 9尺2寸[3](2.79m)
または9尺3寸[14](2.82m)
吃水 前部:7尺6寸(2.30m)、後部8尺6寸(2.61m)[8]
または 8尺5寸[3](2.58m)
ボイラー円缶 2基[15]
主機 2気筒横置直動レシプロ 1基[14][15]
注射復水器[15]
推進 1軸[15]
出力 110IHP[15][3]
帆装 3バーク[3]
帆数:15枚[14]
速力 7.5ノット[15]、または7ノット[10]
1889年時:6ノット[16]
燃料 炭団:110,000[8](約66トン)
航続距離 燃料消費:15,000斤[8]、または5昼夜[14]
乗員 准士官以上8名、下士12名、火水夫45名、計65名[8]
1874年9月総員:上士官9人、下士13人、卒44人、計66人[17]
兵装 1874年9月[8][18]
110ポンド・シャント砲(前装3條砲) 1門
40ポンド・フレッケレー砲(後装20條砲) 1門
20ポンド・バアハアシェール砲(後装16條砲) 2門
1894年[12]
40ポンド瓦式単装砲 1門
20ポンド瓦式単装砲 2門
搭載艇 3隻[14]
その他 船材:[3]
信号符字:GQBL[19]
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艦名は「が翅を伸ばして上空を飛び舞う」意味[10]

艦型編集

3バーク型の木造砲艦[3]。 機関は2気筒横置直動機関1基で[14][15] 110IHP[3][15]、 速力は7.5ノット[15]から6ノット[16]の記録がある。 Conway's All The World's Fighting Ships, 1860-1905.(以下Conway(1860-1905)と略記)では240IHP,11ノットとしている[2]。 また燃料は石炭810英トンとしているが[2]排水量(300トン前後)に比べて明らかに大きすぎる。

要目は主に公文書(『記録材料・海軍省報告書第一』[3]、『公文類纂』[14][13])や『帝国海軍機関史』[8]などによったが、 船体主要寸法には以下のように様々な値がある。

  • 『日本近世造船史 明治時代』:幅24 ft (7.32 m)、吃水8 ft (2.44 m)。長さは316になっているが排水量の値の誤植で排水量の値は121になっている。これを長さとすると121 ft (36.88 m)[5][21]
  • 『日本海軍史』第7巻:長さ36.96m、幅7.37m、吃水2.44m[22]
  • 『日本海軍特務艦船史』:垂線間長36.70m、最大幅7.37m、吃水2.44m[12]
  • 『日本補助艦艇物語』:垂線間長120 ft 5 in (36.70 m)、最大幅21 ft 2 in (6.45 m)、吃水8 ft 0 in (2.44 m)[23]
  • Conway(1860-1905):垂線間長144 ft (43.89 m)、幅22 ft (6.71 m)、吃水6 ft 9 in (2.06 m)[2]

兵装編集

明治4年の献納時には、前部マストと中部マストの間に100ポンド自在砲1門、中部マストと後部マストの間に40ポンド後装自在砲1門、艦首付近に20ポンド後装砲を両舷に各1門の計4門を装備した[14]。 砲弾は100ポンド砲が107発、40ポンド砲が70発、20ポンド砲が207発を搭載した[14]。 また1889年(明治22年)時には100斤瓦砲1門、20斤瓦砲2門、12斤那砲2門の計5門を装備した[16]。 『世界の艦船』では「新造時は下記(注:明治27年は40ポンド砲1門、20ポンド砲2門)の砲装に加えて前装式の100ポンド瓦砲1基を搭載し、18年(1885年)頃に撤去したようである」とされる[12]。 また「兵装についてはさまざまな記録がある」とされる[12]。 その他の文献での兵装は以下の通り。

  • 『近世帝国海軍史要』:10インチ砲 1門[11]
  • 『日本海軍史』第7巻:砲5門[22]
  • 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』:小砲1門[24]
  • 『日本補助艦艇物語』:竣工時に40ポンド砲1門、20ポンド砲2門、12cm砲2門[23]
  • Conway(1860-1905):7インチ砲1門、5.5インチ砲1門[2]

艦歴編集

長州藩時編集

本艦は前述の通り長州藩が対幕府戦に備えて[24] イギリス人カラバに依頼して[8]、 イギリス・アバディーンで建造[3]1868年進水、1869年竣工した[25]。 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』によると明治元年(1868年)竣工、もしくはその時既に竣工済みであったとの説もある、とのこと[24] (たとえば『記録材料・海軍省報告書第一』によると1861年建造[3])。 『日本近世造船史 明治時代』では起工慶応2年(1866年)、竣工明治3年(1870年)としている[21]

明治2年1月(1869年2月頃)に三田尻で受取[6]鳳翔丸と命名[4]戊辰戦争の支援のため品川沖に回航されたが戦闘には参加しなかった[12]。 同年7月13日(新暦8月10日)、遠州沖で暴風に遭い、マスト3本を切断して清水港に吹き寄せられた[6]。 明治3年3月(1870年4月)に長崎で修理を行った[6]。 明治4年2月29日(1871年4月18日)に山口藩から雲揚丸鳳翔丸の献納の申し出があり[26]鳳翔丸は5月29日(新暦7月16日)品海に到着[27]、 6月8日(新暦7月25日)に兵部省が受領[9]、 艦名は鳳翔(艦)となった[28]

『日本海軍史 第7巻』によると明治3年6月(1870年7月前後)に山口藩(長州藩)が購入し鳳翔丸と改名、明治4年5月18日(1871年7月4日)に新政府に献納された[29]

11月15日(1871年12月26日)に鳳翔は六等艦に定められた[30]

明治5年編集

明治5年4月12日(1872年5月18日)、鳳翔日進と共に中艦隊に編入された[31]

1874年(明治7年)編集

1874年(明治7年)の佐賀の乱征台の役に参加した[4]。 ただし『恩給叙勲年加算調査』には記録されていない[32]

北海道回航編集

4月25日鳳翔北海道回航を指示された[33]海底電線を引くために青森港近海の測量を行うためで[34]、 5月20日午前10時に大坂丸と共に品川港を出港する予定とした[35]

鳳翔は7月20日函館を出港、千島を巡回し8月18日根室港に帰着した[36][注釈 1]。 ここで鳳翔に函館でのプロイセン王国領事殺害の報告が入り、鳳翔は根室を21日出港し函館へ回航した[36]鳳翔襟裳岬沖で暴風に遭い、マスト2本が折れるなどの被害が出、函館には26日頃到着した[36]。 9月8日に鳳翔大坂丸千代田形に帰京の命令が出され[37]鳳翔は11日に室蘭に回航、その後に鍬ヶ崎(宮古港)、山田港に寄港し[38]、 9月21日午後7時32分に品海に帰着した[39]

1875年(明治8年)-1876年(明治9年)編集

1875年(明治8年)10月28日、中艦隊は解隊、鳳翔中艦隊から除かれた[40]

朝鮮派遣編集

江華島事件の後、在留邦人保護の為に朝鮮へ2度派遣された[24]1875年(明治8年)11月30日横浜港を出港、朝鮮での警備を行い、翌1875年(明治9年)1月23日下関に帰港した[32]。 1月27日下関を出港して再び朝鮮へ向かい、3月28日長崎港に帰港した[32]

1877年(明治10年)編集

西南戦争編集

1877年(明治10年)の西南戦争、日奈久攻略にも参加した[4]。 2月21日神戸を出港、鹿児島へ向かい[32]、 10月10日品海に帰港した[32]

1879年(明治12年)編集

1879年(明治12年)3月31日横浜港を出港、朝鮮へ向かい[32]、 9月15日横浜港に帰港した[32]

1881年(明治14年)編集

1881年(明治14年)8月16日に浅間付属練習艦に指定され[4]、 以降は練習艦任務に就いた[12]

1886年(明治19年)編集

1886年(明治19年)3月13日航海練習艦に指定された[4]

1889年(明治22年)編集

1889年(明治22年)5月16日、鳳翔は航海練習艦に指定された[41]

1890年(明治23年)編集

1890年(明治23年)8月23日、鳳翔は第一種に定められた[4][42]

1891年(明治24年)編集

1891年(明治24年)8月23日、練習艦鳳翔海軍兵学校附属に定められた[43]

日清戦争編集

日清戦争では呉軍港の警備に就いた[4]。 『日本特務艦船史』によるとこの時は佐世保鎮守府長官の指揮下、長崎港に回航し湾口の警備に就いている[12]1894年(明治27年)4月4日、鳳翔は練習艦の役務を解かれ[44]、 7月25日警備艦に指定された[45]

1895年(明治28年)2月28日、警備艦の役務を解かれ[46]、 3月24日再び練習艦に指定された[47]

1898年(明治31年)編集

1898年(明治31年)3月21日に類別等級が制定され、鳳翔は二等砲艦に類別された[20]

除籍編集

1899年(明治32年)3月13日に除籍[7]、 18日に雑役船に変更され[4]、 海軍兵学校付属とされた[48]

1906年(明治39年)3月20日売却の上申、船体は修理によりまだ使用可能だったが、艤装品や附属品の腐食が進み、修理の価値なしと見られた[49]。 4月19日売却認許[50]、 翌1907年(明治40年)4月9日に売却報告が出された[51]。 金額は10,005円だった[52]

艦長編集

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 福島敬典 大尉:明治4年6月(1871年7月から8月) - 明治5年4月(1872年5月頃)
  • 山崎景則 少佐:1873年3月3日 - 1880年6月14日
  • 松岡方祇 少佐:1886年3月15日 - 1886年4月12日
  • (心得)田尻唯一 大尉:1886年4月12日 - 1886年6月23日[53]
  • 田尻唯一 少佐:1886年6月23日[53] -
  • 田口義尚 少佐:1889年5月15日 -
  • 坂田昌熾 少佐:1890年12月1日 - 1891年7月23日
  • 内田正敏 少佐:1891年7月23日 - 10月12日
  • (兼)内田正敏 少佐:1891年10月12日 - 12月14日
  • (兼)矢部興功 少佐:1891年12月14日 - 1893年10月12日
  • (兼)早崎源吾 少佐:1893年10月12日 - 1893年12月20日
  • 早崎源吾 少佐:1893年12月20日 - 1894年4月14日
  • 藤田幸右衛門 少佐:1894年6月27日 - 1894年7月2日
  • 酒井忠利 少佐:1895年10月28日 - 1896年4月1日
  • 安住保弘 大尉:1896年4月1日 - 12月4日
  • 真崎宏治 大尉:1896年12月4日 -
  • (兼)松村直臣 大尉:1897年6月1日 - 12月27日
  • (兼・心得)河野左金太 大尉:1898年4月1日 - 6月28日
  • (兼)河野左金太 少佐:1898年6月28日 - 1899年3月13日

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(4)画像3によると根室到着は7月22日になっている。

出典編集

  1. ^ #日本海軍全艦艇史p.429、No.1024の写真解説
  2. ^ a b c d e #Conway(1860-1905)p.235
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m #M1-M9海軍省報告書画像23-24、明治四年辛未艦船総数表
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.8、鳳翔『ほうしょう・ほうしゃう』
  5. ^ a b c #造船史明治(1973)p.188、兵部省所管艦船表、軍艦。
  6. ^ a b c d e #機関史(1975)上巻p.470
  7. ^ a b c #明治32年達/3月画像7、明治32年3月13日達第42号「呉鎮守府所管 予備艦 鳳翔 右軍艦籍ヨリ除名セラル」
  8. ^ a b c d e f g h i j #機関史(1975)上巻p.469
  9. ^ a b #M4公文類纂26/鳳翔丸請取済画像1「山口藩鳳翔艦之儀献艦願済相成候ニ付去八日受取候条以後諸艦同様相心得可申候此旨相達候也 辛未六月十日 兵部省 海軍所」
  10. ^ a b c #浅井(1928)p.29、鳳翔 ほうしやう Hôsyô.
  11. ^ a b #近世帝国海軍史要(1974)p.884
  12. ^ a b c d e f g h i j #特務艦船史(1997)p.74
  13. ^ a b c #M7公文類纂13/管轄(2)画像21-23、明治7年事1套坤大日記第288号、別冊
  14. ^ a b c d e f g h i j k #M4公文類纂26/鳳翔丸請取済15-18
  15. ^ a b c d e f g h i #帝国海軍機関史(1975)別冊表1、「明治維新以前の機関」関係表
  16. ^ a b c #明治22年公文備考3/演習(2)画像13
  17. ^ #M7公文類纂13/管轄(2)画像35-36、明治7年事1套坤大日記第288号、各艦乗組現員
  18. ^ #M7公文類纂13/管轄(2)画像44-48、明治7年事1套坤大日記第288号、各艦内ノ砲銃及其種類
  19. ^ #公文類聚10編33巻 画像1『二月十八日 逓信省海軍艦船及西洋形商船ニ信号符字ヲ點付ス 逓信省達 第八号本年一月中海軍艦船及ヒ西洋形商船左ノ通信号符字ヲ點付ス十九年二月十八日 海軍艦船ノ部 信号符字 艦名 砲數 GQBC 龍驤Ru-jo 六 GQBF 筑波Tsuku-ba 八 GQBJ 春日Kasuga 五 GQBL 鳳翔 Hosyo 四 GQBN 富士山 Fujiyama 十二 GQBR 孟春Mo-shun 四 信號符字 艦名 砲數 GQBD 東Aduma 三 GQBH 日進Nisshin 七 GQBK 雷電Raiden 四 GQBM 石川Ishi-kawa 二 GQBP 天城Ama-ki 六 GQBS 清輝Sei-ki 六』
  20. ^ a b #海軍制度沿革8(1971)pp.60-61、明治31年3月21日(達35)、軍艦及水雷艇類別等級。
  21. ^ a b #造船史明治(1973)p.444、艦船年表、軍艦。
  22. ^ a b 『日本海軍史』第7巻pp.200-201
  23. ^ a b #日本補助艦艇物語pp.374-375
  24. ^ a b c d 片桐 2014, p. 187.
  25. ^ は『日本海軍史 第7巻』による。『世界の艦船』でも1869年竣工としている。
  26. ^ #M4公文類纂26/鳳翔雲揚献艦願画像1-2
  27. ^ #M4公文類纂26/鳳翔艦品川着画像1、「先般辨官ヘ御願仕置候ゴンボート鳳翔丸去ル廿九日品海來着仕候間早々御請方相成候様奉願候以上 辛未六月二日 山口藩 兵部省御中」
  28. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p187による。このころの軍艦の正式名称には艦名の後に「艦」がつき、1887年(明治20年)まで「鳳翔」の正式な艦名は「鳳翔艦」。
  29. ^ 『日本海軍史』第7巻pp.425-426
  30. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.58、明治4年11月15日(兵部省146)、諸艦等級ヲ定ムルノ件。
  31. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治5年4月12日
  32. ^ a b c d e f g #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(4)画像3、舊鳳翔
  33. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(2)画像18
  34. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像23
  35. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像19,21
  36. ^ a b c #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像29-30、明治7年8月26日(鳳翔報告)第179号
  37. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像25
  38. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像33
  39. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像31
  40. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治8年10月28日
  41. ^ #M22達(上)/5月画像23、明治22年5月16日達第144号
  42. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.58、明治23年8月23日(達304)、軍艦種別ノ件。
  43. ^ #M24達(下)/10月画像4、明治24年10月12日達第201号
  44. ^ #M27達(上)/4月(1)画像1、明治27年4月4日達第52号
  45. ^ #M27達(下)/7月画像19、明治27年7月25日達第126号
  46. ^ #明治28年達/2月画像5、明治28年2月28日達第10号
  47. ^ #明治28年達/3月画像16、明治28年3月24日達第28号
  48. ^ #明治32年達/3月画像15、明治32年3月18日達第48号「舊軍艦鳳翔ヲ海軍兵学校ニ付属セシム」
  49. ^ #M39公文備考24/売買、譲与(1)画像45-46、明治39年官房第1417号(呉鎮第321号の2)
  50. ^ #M39公文備考24/売買、譲与(1)画像43-44、明治39年官房第1417号の2
  51. ^ #M40公文備考24/売却及処分画像40、明治40年呉鎮第791号
  52. ^ #M40公文備考24/売却及処分画像41-42、明治40年呉工第1280181号の2(艦本第1338号)
  53. ^ a b 『官報』第895号、明治19年6月26日。

参考文献編集

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    • 『公文類纂 明治4年 巻26 本省公文 艦船部/府藩縣往復 鳳翔艦品川着に付請取方山口縣願』。Ref.C09090401300。
    • 『公文類纂 明治4年 巻26 本省公文 艦船部/海軍所往復 右鳳翔丸請取済の件海軍所達』。Ref.C09090401400。
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    • 『公文類纂 明治7年 巻15 本省公文 艦船部3/航泊出入(5)』。Ref.C09112104700。
    • 『明治22年 公文備考 演習 艦船 水路 巻3/演習(2)』。Ref.C06090880800。
    • 『明治39年 公文備考 艦船14 巻23/売買、譲与(1)』。Ref.C06091751900。
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    • 『明治22年 達 上巻/5月』。Ref.C12070025600。
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    • 『明治27年 達 下巻/7月』。Ref.C12070033900。
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    • 『明治32年 達 完/3月』。Ref.C12070042200。
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/軍艦(4)』。Ref.C14010005800。
  • Rober Gardiner, Roger Chesneau, Eugene Kolesnik ed. (1979). Conway's All The World's Fighting Ships, 1860-1905. (first American ed.). Mayflower Books. ISBN 0-8317-0302-4 
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  • 海軍有終会/編『近世帝国海軍史要(増補)』明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。
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  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5
  • 『日本海軍特務艦船史』世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。
  • 福井静夫『日本補助艦艇物語』福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 官報

関連項目編集