春日丸(かすがまる)は、幕末明治期の日本の軍艦で、木製外輪船

春日丸 / 春日(艦)
1878年頃の春日[1]
1878年頃の春日[1]
基本情報
建造所 J. Samuel White&Cowes 社
ワイト島造船所
運用者  イギリス海軍(キャンスー)
Japanese Crest maru ni jyuji.svg 薩摩藩海軍(春日丸)
Flag of the Japanese Emperor.svg 新政府軍(春日艦)
 大日本帝国海軍
艦種 報知艦[2](通報艦[3])
母港 最終時:佐世保[4]
艦歴
起工 文久3年(1863年)[3]
竣工 慶応3年(1867年)[3][注釈 1]
就役 1867年11月3日(薩摩藩が購入)
1868年1月(日本に到着)
除籍 1894年2月2日[5]
その後 1896年雑役船[5]
1902年売却[5]
要目
排水量 1,015トン[6][7]または 1,269トン[2]
長さ 241.6ft(73.64m)[6]
全長 全身長:24丈[8](約72.73m)
29.3ft(8.93m)[6]
甲板幅:2丈6尺[8](約7.88m)
吃水 11.5ft(3.51m)[6]
明治5年時:1丈2尺[8](約3.64m)
ボイラー[7] 4基[6]
主機 2気筒揺動式機械 1基[6]
推進 外輪[6]、回転数28rpm[7]
出力 300NHP[6](推定[7])
試運転時:2,270IHP[6]
帆装 3檣[5]トップスル・スクーナー[3]
速力 16ノット[6]
試運転時:16.90ノット[6]
日本海軍時:10.0ノット[9]
燃料 445,700[9]
または明治5年時:500,000[8]
航続距離 70,000斤/日[8]
乗員 明治5年(1872年)時:125名[8]
1873年10月定員:130名+鍛冶長1名[10]
1885年12月25日附定員:148名[11]
兵装 箱館戦争[6]
100ポンド後装式自在砲 1門
60ポンド砲 2門
40ポンド砲 2門
12ポンド砲 1門
1890年[12]
30ポンド後装クルップ砲 1門
旧式長8cmクルップ砲 4門
旧式6ポンド後装アームストロング砲 2門
1インチ4連諾典砲 2基
その他 船材:
信号符字GQBJ[13]
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概要編集

慶応3年に薩摩藩イギリスから購入した軍艦。 当時としてはかなり大型で、快速(速力16ノット[6])の艦だった[5]。 薩摩藩時には阿波沖海戦宮古湾海戦函館湾海戦に参加、 当時は西郷従道東郷平八郎が乗艦していた[5]

明治3年に薩摩藩から政府に献納[6]明治5年海軍省が発足するとそのまま日本海軍の軍艦となり、 1875年(明治8年)の江華島事件では釜山に派遣、1877年(明治10年)の大和・京都巡幸では供奉艦となり、情勢不安(後に西南戦争)により清輝と共にそのまま鹿児島に回航した[5]1884年(明治17年)の朝鮮事変では朝鮮に派遣された[14]1894年(明治27年)に除籍、1902年(明治35年)売却された[5]

艦名編集

原名のキャンスー(Kiangsu)は、中国の江蘇省の「江蘇」の英語名[5]薩摩藩時の艦名は、朝鮮出兵時に薩摩藩が藩内の春日山の樹から作らせた船を春日丸といい、その名前を襲名した[5]。 またキャンスーに音が近いからとも言われる[5]。 『日本海軍艦船名考』では奈良県春日山によるとしている[15]

日本海軍時代は明治初期の軍艦には基本的に「艦」をつけたので、正式な艦名は春日艦となる[5]

艦型編集

32本煙突の木造外輪船[5]、 直立艦首としており、近代的な容姿をしていた[1]。 速力は16ノットが可能で、当時の汽船としては非常に高速の船だった[16]。 日本海軍では燃料消費の点から9ノットで使用しており[17]、 艦種は報知艦(通報艦[3])とされた[2]

主機は揺動式機械1基であり、日本の艦船で揺動式機械と明記されているのは春日丸が最初だった[7]

艦歴編集

本艦は当初、イギリスが清国海軍向けにキャンスーという名で建造していた艦であったが、清国が受け取りを拒否したために売りに出され[6]、 それを慶応3年11月3日(1867年11月28日)に薩摩藩赤塚源六が長崎にて約16万両で購入し、春日丸と改名して就役させた。

阿波沖海戦編集

 
春日丸の乗組員達(1869年8月)
後列右側の白い服の人物が東郷平八郎

慶応4年1月(1868年1月から2月頃)、春日丸は幕府海軍の軍艦「開陽丸」、「蟠龍丸」、「翔鶴丸」が封鎖する兵庫港に入港した。後に海軍提督になる東郷平八郎は、この時(1月3日)に三等砲術士官として春日丸に乗船している。

1月3日(1868年1月27日)夜、春日丸は僚艦「翔凰丸」、「平運丸」と共に兵庫港を出港し、平運丸は明石海峡方面に、本艦と翔凰丸は紀淡海峡方面に向かったところ、1月4日早朝に春日丸・翔凰丸を開陽丸が発見、開陽丸と春日丸は1,200 - 1,500mの距離で砲撃戦を行った。これが日本史上初の蒸気船同士による近代海戦である(阿波沖海戦)。

春日丸はこの海戦の後、鹿児島に帰港している。

明治元年編集

明治元年11月([868年11月から翌年1月頃)、函館の暴動鎮撫のために春日丸は東京に回航するよう達が出された[18]春日丸長崎での修理のために11月7日(1868年12月20日)敦賀を出発した所であると、敦賀の軍務官から返答が出されている[19]

宮古湾海戦編集

明治2年3月(1869年3月から4月頃)、春日丸は旧幕府軍討伐の遠征隊に参加する。旧幕府軍の残党は、北海道でジュール・ブリュネ等のフランス軍アドバイザーも合流して「蝦夷共和国」を樹立していた。

同年3月9日(1869年4月20日)、新政府軍の艦隊は品海を出港、天候不良のために東京湾を出られず、3月13日(新暦4月24日)浦賀を出港した[20]。 同年3月16日(新暦4月27日)から3月21日(新暦5月2日)に各艦は宮古湾に集結した[20]

3月25日(新暦5月6日)、宮古湾の北に停泊している時に、遠征隊は幕府の軍艦「回天丸」の奇襲を受けた[21]。回天丸は明治政府の新鋭装甲艦甲鉄」を急襲し、接舷切込みを仕掛けたが、甲鉄のガトリング砲春日丸の大砲により[要出典]撃退された[21](宮古湾海戦)。

各艦はこの後急いでボイラーを焚いて蒸気を上げて出港し、回天らを追った[22]春日丸は他艦より高速だったため先行し、途中で元秋田藩高雄丸(この時は榎本艦隊が使用)と遭遇、高雄丸は自ら坐礁して放棄された[22]春日丸は引き続き回天らを追ったが遭遇せずに3月26日(新暦5月7日)青森港に到着した[22]蟠龍丸乗員の回想では、夜のため春日丸は蟠龍丸に気づかずに追い越していったという[23]

函館湾海戦編集

 
箱館湾海戦を描いた絵。手前の艦隊の戦闘艦が「甲鉄」、後続する外輪船が「春日丸」

この後、春日丸は箱館湾海戦等、1869年5月の旧幕府軍降伏までの海事に参加していた。

明治2年編集

明治2年6月16日(1869年7月24日)、甲鉄(東艦)、春日丸陽春丸第一丁卯を兵部卿宮が巡視した[24]

明治3年編集

明治3年4月(1870年5月) 春日丸は鹿児島藩から献納され[25]、 船籍が明治新政府に移管され春日(艦)となる。

明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争が勃発し、中立を守るために太政官は7月28日(新暦8月24日)に小艦隊3隊を編成、春日富士山摂津の3隻は赤塚源六(富士山乗艦の予定)の指揮で兵庫港に派遣された[26][27][28]。 翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備は解かれた[29]

兵庫警備中の9月24日(新暦10月18日)に春日長崎回航が令達された[30]。 長崎は平穏だったため、修理の後に品海へ回航、11月19日(1871年1月9日)品海に到着し、ここで兵部省が船を受領した[31]。 その後は横浜港警備の予定とされた[31]。 『記録材料・海軍省報告書』によると11月(1870年12月から翌年1月)に春日は修理を完了し横浜に回航、各港警備の応援に回った[32]

明治4年編集

明治4年1月(1871年2月から3月頃)は横須賀でドック入りした[33]。 同年2月(1871年3月から4月頃)に北海道海域を測量することになり[34]、 2月29日(新暦4月18日)品海を出港した[35]東京湾を出た所で波浪が高くなり浦賀に避難、3月2日(新暦4月21日)12時に同地を出港し3月4日(新暦4月23日)8時に函館港に到着した[35]。 3月16日(新暦5月5日)に函館を出港し、イギリス艦(セルビア号[36])と共に根室に向かった[37]。 北海道東部の測量を終了し、5月7日(新暦6月24日)に函館に戻った[38]。 15日(新暦7月2日)頃に出港し、以降は北海道西部の測量を予定した[39]

9月(1871年10月から11月頃)、測量船とされ[40]、 11月(1871年12月から翌年1月頃)水路局の管轄になった[41]。 11月29日(1872年1月9日)品海から横須賀に回航した[42]。 この年の夏に春日は根室で大風波により一時岩の上に乗り上げており、11月に検査のためのドック入りを希望していた[43]。 12月13日(1872年1月22日)横須賀で入渠した所、破損箇所が見つかり修理と塗装を行って18日(1872年1月27日)出渠した[44]。 その後海水ポンプや士官などの修理を行った[45]

明治5年編集

明治5年1月(1872年2月から3月頃)、修理完了後は測量艦として海岸測量を予定していた[46]。 しかし3月(1872年4月から5月頃)に測量艦を止め、龍驤艦隊に編入された[47]。 3月22日(新暦4月29日)、品海から横浜港へ回航された[48]。 4月10日(新暦5月16日)から国内の海岸や各港の実地調査のため、龍驤、春日日進鳳翔の4隻が各港を巡ることになった[49]

江華島事件編集

明治5年(1872年)使節の花房義質代理公使を乗せて朝鮮に派遣される。「洋服を着た軍人と使節が乗る蒸気軍艦」であったため、折からの朝鮮の攘夷運動に拍車がかかった。 春日は8月28日(新暦9月30日)午前5時品海を出港、30日(新暦10月2日)午前1時10分兵庫港に着いた[50]。 ここで外務省職員を乗せて[50] 9月5日(新暦10月7日)出港、下関[51]厳原などに寄港し[52]、 9月15日(新暦10月17日)午後3時に有功丸と共に釜山港に着いた[53]。 9月24日(新暦10月26日)釜山を出港し[54]、 同日から浅海に停泊、26日厳原に移動し、春日はここで待機した[55]。 10月4日(新暦11月4日)呼子港に移動[56]、 石炭を搭載し10月15日(新暦11月15日)厳原に移動した[57]。 10月21日(新暦11月21日)外務省職員と陸軍官員を乗せて厳原発[58]、 10月26日(新暦11月26日)兵庫で陸軍官員が降船[59]、 春日は11月6日(新暦12月6日)に品海に帰港した[60]

1873年(明治6年)-1874年(明治7年)編集

1873年(明治6年)7月10日、修理が完成し品海に回航[61]、 22日更に横浜へ回航した[62]。 8月31日、台湾近海の測量が令達されが[63]、 見合わせとなった[64]。 その代わりに海路の研究として上海香港方面に回航するよう10月に海軍省から申し出があり、10月29日太政大臣に認められた[65]。 11月13日品海を出港し、へ進出[14]、 翌1874年(明治7年)5月24日長崎港に帰港した[14]

1875年(明治8年)編集

1875年(明治8年) 江華島事件にいたる外交交渉の段階で「雲揚」や「第二丁卯」などとともに釜山に派遣された。 春日は10月2日長崎を出港し、11月3日品海に帰港した[14]

1877年(明治10年)編集

1877年(明治10年)の大和・京都巡幸では供奉艦となった[5]。 途中鹿児島が情勢不安となり、伊東祐麿少将旗艦として清輝と共にそのまま鹿児島に回航[5]春日は2月13日神戸港を出港、10月10日品海に帰港した[14]

朝鮮事変編集

1884年(明治17年)朝鮮事変の勃発により、春日は11月25日横浜港を出港、翌1885年(明治18年)2月1日横浜港に帰港した[14]

除籍とその後編集

1894年(明治27年)2月2日春日は第五種(倉庫船荷船雑船[66])に編入され[4] (除籍[5])、 対馬水雷隊攻撃部附属とされた[67]1896年(明治29年)4月1日に艦船の分類が第一種軍艦、第二種軍艦、水雷艇、雑役船舟の4種類に変更となり[68]春日は雑役船舟となった[5]

竹敷要港水雷敷設隊では1902年(明治35年)に陸上兵舎が完成し、春日は不要となった[69]。 このため2月9日処分の上申が出され[69]、 4月7日佐世保鎮守府で売却するよう訓令が出された[70]。 10月27日付で売却済みの報告が出されている[71]

艦長編集

船将
艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 柳楢悦 少佐:明治4年2月17日(1871年4月6日) - 明治4年9月12日(1871年10月25日)
  • (代理) 伊東祐亨(伊東四郎) 大尉:明治4年(1871年)9月[72] - 明治4年(1871年)11月
  • (心得[73])伊藤雋吉 少佐:1871年10月27日(明治4年9月25日[73]) - 1872年4月15日
  • 伊東祐亨 大尉:明治5年(1872年)2月 - 1872年12月14日
  • 井上良馨 少佐:1872年12月15日 - 1874年10月14日
  • 磯辺包義 少佐:1875年4月14日 - 1880年6月17日
  • 松村正命 少佐:1881年6月17日 - 1883年8月16日
  • 浅羽幸勝 少佐:1883年8月16日 - 1884年1月21日
  • 佐藤鎮雄 少佐:1884年1月21日 - 1884年2月8日
  • 五藤国幹 少佐:1884年2月8日 - 2月21日
  • 青木住真 中佐:1884年5月19日 -
  • (心得)窪田祐章 大尉:1885年12月25日 -
  • 森又七郎 少佐:1887年3月28日 - 1889年4月17日
  • 遠藤増蔵 少佐:1889年4月17日 - 1890年7月15日
  • 伊藤常作 少佐:1890年7月15日 - 1891年12月14日
  • 小田亨 少佐:1891年12月14日 - 1893年5月20日
  • 副島種藤 少佐:1893年5月20日 -

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ #艦船名考(1928)pp.21-22では文久3年竣工としている。

出典編集

  1. ^ a b #日本海軍全艦艇史p.462、No.1120の写真解説。
  2. ^ a b c #日本近世造船史明治(1973)p.130、明治維新後諸藩海軍艦船表
  3. ^ a b c d e #日本近世造船史明治(1973)p.443、艦船年表、軍艦。
  4. ^ a b #M27達(上)/2月(3)画像2、明治27年2月2日達第8号
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #銘銘伝(2014)pp.85-86、春日(かすが)
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『幕末の蒸気船物語』p.140
  7. ^ a b c d e #帝国海軍機関史(1975)上巻p.221(一八七頁)
  8. ^ a b c d e f #M5公文類纂24/管轄艦船等の数並乗組人員共取調方他3件画像9
  9. ^ a b #帝国海軍機関史(1975)別冊表1
  10. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.153-155、明治6年10月闕日(軍務局)、表。同p.135、『備考 四、春日ハ本表ノ他鍛冶長(下士十二等)一人アリ』
  11. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.165-166、明治18年12月25日丙第72号、扶桑外十八艦定員
  12. ^ #明治23年公文備考4/兵器弾薬(1)画像7-68、春日兵器簿、砲銃ノ部
  13. ^ #公文類聚10編33巻 画像1『二月十八日 逓信省海軍艦船及西洋形商船ニ信号符字ヲ點付ス 逓信省達 第八号本年一月中海軍艦船及ヒ西洋形商船左ノ通信号符字ヲ點付ス十九年二月十八日 海軍艦船ノ部 信号符字 艦名 砲數 GQBC 龍驤Ru-jo 六 GQBF 筑波Tsuku-ba 八 GQBJ 春日Kasuga 五 GQBL 鳳翔 Hosyo 四 GQBN 富士山 Fujiyama 十二 GQBR 孟春Mo-shun 四 信號符字 艦名 砲數 GQBD 東Aduma 三 GQBH 日進Nisshin 七 GQBK 雷電Raiden 四 GQBM 石川Ishi-kawa 二 GQBP 天城Ama-ki 六 GQBS 清輝Sei-ki 六』
  14. ^ a b c d e f #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(3)画像46-47、旧春日。
  15. ^ #艦船名考(1928)pp.21-22、春日 かすが Kasuga.
  16. ^ 『幕末の蒸気船物語』p.141
  17. ^ 『幕末の蒸気船物語』pp.140-141
  18. ^ #M1公文類纂/東京へ回艦の旨春日丸へ達画像1
  19. ^ #M1公文類纂/東京へ回艦の旨春日丸へ達画像1
  20. ^ a b #元綱(2004)p.129
  21. ^ a b #元綱(2004)pp.130-131
  22. ^ a b c #元綱(2004)p.131
  23. ^ #元綱(2004)pp.131-132
  24. ^ #M2公文類纂/兵部卿官御巡視云々春日外3艦へ達画像1
  25. ^ #M1-M9海軍省報告書画像13、明治3年4月。
  26. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治3年7月28日(太政官)。
  27. ^ #帝国海軍機関史(1975)上巻p.290
  28. ^ #M1-M9海軍省報告書画像13、明治3年7月。
  29. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.33、明治4年3月7日(御沙汰)諸港守備ノ軍艦ヲ解クノ件「兵部省 諸港守衛トシテ出張之軍艦解備被仰付候間帰艦之儀其省ヨリ可相達候事」
  30. ^ #M3公文類纂9/長崎港へ出張可到旨春日艦へ達画像1
  31. ^ a b #M3公文類纂10/春日艦横浜港守衛被仰付方伺画像1
  32. ^ #M1-M9海軍省報告書画像14、明治3年11月。
  33. ^ #M4公文類纂19/横須賀ドック開廻艦用意金渡春日艦申出画像1
  34. ^ #M4公文類纂5/伊藤雋吉外2名春日艦へ測量乗組の達他2件画像1
  35. ^ a b #4公文類纂24/春日艦函館へ向出帆の件弾正台再問合画像19、3月7日春日艦長報告。
  36. ^ #4公文類纂24/春日艦函館へ向出帆の件弾正台再問合画像25-26、5月8日春日艦長報告。
  37. ^ #4公文類纂24/春日艦函館へ向出帆の件弾正台再問合画像21、3月16日春日艦長報告。
  38. ^ #4公文類纂24/春日艦函館へ向出帆の件弾正台再問合画像21、3月16日春日艦長報告。
  39. ^ #4公文類纂24/春日艦函館へ向出帆の件弾正台再問合画像23、5月8日春日艦長報告。
  40. ^ #M4公文類纂24/春日艦測量船申付画像1、第43号「春日艦 右測量船申付候事 辛未九月 兵部省」
  41. ^ #M4公文類纂24/日艦艦所轄の件云々画像1、丁四号大日記5丁、11月14日第698号。
  42. ^ #M4公文類纂24/春日艦横須賀廻艦の件届画像1
  43. ^ #M4公文類纂25/春日艦々底検査の件願画像1、79号、11月春日艦長。
  44. ^ #M4公文類纂25/春日艦ドック入検査の次第届画像1、第270号12月18日春日艦長報告。
  45. ^ #M4公文類纂25/春日艦レンス及海水ポンプ外修理の件画像1-2、第265号12月18日春日艦長報告。
  46. ^ #M5公文類纂25/春日艦測量用小蒸気御渡方の件画像1
  47. ^ #M5公文類纂24/春日艦測量艦止他1件画像1
  48. ^ #M5公文類纂24/春日艦横浜回艦の件他画像1
  49. ^ #M5公文類纂24/龍驤外3艦各港へ回航申付画像1
  50. ^ a b #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像3
  51. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像4
  52. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像5
  53. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像5-6
  54. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像9
  55. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像10
  56. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像11
  57. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像13
  58. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像14
  59. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像15
  60. ^ #M5公文類纂24/朝鮮航海日記(1)画像17
  61. ^ #M6公文類纂15/春日品海着艦1画像1
  62. ^ #M6公文類纂15/春日品海着艦3画像1
  63. ^ #M6公文類纂15/春日艦台湾近海為量測廻航1画像1
  64. ^ #M6公文類纂15/春日艦台湾近海為量測廻航2画像1
  65. ^ #M6公文類纂15/春日艦台湾近海為測量廻航9画像1-2
  66. ^ #海軍制度沿革8(1971)pp.52-53、明治23年8月13日(達291)海軍艦船籍條例。
  67. ^ #M27達(上)/2月(3)画像2、明治27年2月2日達第9号
  68. ^ #海軍制度沿革3-1(1971)pp.1157-1160、#海軍制度沿革8(1971)p.53。明治29年3月29日(勅令71)、4月1日施行、海軍艦船條例。
  69. ^ a b #M35公文雑輯5/春日処分方の件画像3-4、竹敷○第84号
  70. ^ #M35公文雑輯5/春日処分方の件画像1-2、海総第567号の2、第567号の3。
  71. ^ #M35公文雑輯5/春日処分方の件画像5、佐鎮第767号の2
  72. ^ #M4公文類纂11/中村中尉外1名当分水路掛外2件春日艦申出画像1
  73. ^ a b #M4公文類纂6/伊藤中助教少佐宣下及分課の達他1件画像1、「海軍少佐伊藤雋吉 水路局分課分課申付候事 但春日艦長心得ヲ以テ可相勤事 辛未九月廿五日 兵部省」

参考文献編集

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。(国立公文書館)
    • 公文類聚・第十編・明治十九年・第三十三巻・運輸三・船舶車輌・津港・河渠・橋道』。Ref.A15111235500。(国立公文書館)
    • 『明治元年 公文類纂 完 本省公文/弾薬舩達章 11月 東京へ回艦の旨春日丸へ達』。Ref.C09090001400。
    • 『明治元年 公文類纂 完 本省公文/弾薬舩達章 11月 春日丸自国へ帰艦云々鶴賀軍務官より申出』。Ref.C09090001500。
    • 『公文類纂 明治2年 完 本省公文/海軍日誌 6月 兵部卿官御巡視云々春日外3艦へ達』。Ref.C09090018200。
    • 『公文類纂 明治3年 巻9 本省公文 艦船部/諸達並雑記 9月 長崎港へ出張可到旨春日艦へ達』。Ref.C09090115600。
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/弁官往復 11月 春日艦横浜港守衛被仰付方伺』。Ref.C09090134500。
    • 『公文類纂 明治4年 巻6 本省公文 黜陟部3/戊1号大日記 伊藤中助教少佐宣下及分課の達他1件』。Ref.C09090232400。
    • 『公文類纂 明治4年 巻8 本省公文 黜陟部5/海軍諸達 伊藤雋吉外2名春日艦へ測量乗組の達他2件』。Ref.C09090255900。
    • 『公文類纂 明治4年 巻11 本省公文 黜陟部8/丁1号大日記 中村中尉外1名当分水路掛外2件春日艦申出』。Ref.C09090281600。
    • 『公文類纂 明治4年 巻19 本省公文 理財部3/海軍願伺 横須賀ドック開廻艦用意金渡春日艦申出』。Ref.C09090330900。
    • 『公文類纂 明治4年 巻24 本省公文 艦船部/丁4号大日記 春日艦艦所轄の件云々水路局伺』。Ref.C09090382600。
    • 『公文類纂 明治4年 巻24 本省公文 艦船部/甲1号大日記 春日艦測量船申付の達』。Ref.C09090384600。
    • 『公文類纂 明治4年 巻24 本省公文 艦船部/外務刑部弾正台往復 春日艦函館へ向出帆の件弾正台再問合』。Ref.C09090385800。
    • 『公文類纂 明治4年 巻24 本省公文 艦船部/癸号大日記 春日艦横須賀廻艦の件届』。Ref.C09090390300。
    • 『公文類纂 明治4年 巻25 本省公文 艦船部/癸号大日記 春日艦々底検査の件願』。Ref.C09090399200。
    • 『公文類纂 明治4年 巻25 本省公文 艦船部/癸2号大日記 春日艦レンス及海水ポンプ外修理の件伺』。Ref.C09090400100。
    • 『公文類纂 明治4年 巻25 本省公文 艦船部/癸2号大日記 春日艦ドック入検査の次第届』。Ref.C09090400200。
    • 『公文類纂 明治5年 巻24 本省公文 艦船部1/乙3号大日記 外務省より掛合 管轄艦船等の数並乗組人員共取調方の件他3件』。Ref.C09110628400。
    • 『公文類纂 明治5年 巻24 本省公文 艦船部1/省中布告 所轄達 春日艦測量艦を止む他1件』。Ref.C09110630900。
    • 『公文類纂 明治5年 巻24 本省公文 艦船部1/省中布告 所轄達 春日艦測量艦を止む他1件』。Ref.C09110630900。
    • 『公文類纂 明治5年 巻24 本省公文 艦船部1/丙1号大日記 春日艦達 横浜回艦の件他1件』。Ref.C09110632400。
    • 『公文類纂 明治5年 巻24 本省公文 艦船部1/廻港日乗 龍驤外3艦達 各港へ回航申付の件』。Ref.C09110633100。
    • 『公文類纂 明治5年 巻25 本省公文 艦船部2止/丁6号大日記 水路局申出 春日艦測量用小蒸気御渡方の件』。Ref.C09110650600。
    • 『公文類纂 明治5年 巻24 本省公文 艦船部1/無名 同通達 春日艦朝鮮航海日記並外務省応接書抜率(1)』。Ref.C09110639000。
    • 『公文類纂 明治5年 巻24 本省公文 艦船部1/無名 同通達 春日艦朝鮮航海日記並外務省応接書抜率(1)』。Ref.C09110639100。
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/諸届留 春日艦届 品海着艦』。Ref.C09111577100。
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/諸届留 春日艦届 品海着艦』。Ref.C09111577300。
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/癸3套秘事大日記 春日艦台湾近海為量測廻航』。Ref.C09111584800。
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/甲3套送達大日記 太政官え伺 春日艦台湾近海為量測廻航』。Ref.C09111584900。
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/癸1套秘事大日記 太政官え窺 春日艦台湾近海為測量廻航』。Ref.C09111586400。
    • 『明治23年 公文備考 兵器弾薬部 図書部 医事衛生部 人事部 巻4/兵器弾薬(1)』。Ref.C06090901000。
    • 『明治35年 公文雑輯 巻5 艦船2/35年4月7日 竹要敷第84号雑役船春日処分方の件』。Ref.C10127676500。
    • 『明治27年 達 上巻/2月(1)』。Ref.C12070032800。
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/軍艦(3)』。Ref.C14010005700。
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻三(2)』明治百年史叢書 第174巻、原書房、1971年7月(原著1939年)。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻四の1』明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 海軍有終会/編『近世帝国海軍史要(増補)』明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 元綱数道『幕末の蒸気船物語』成山堂書店、2004年4月。ISBN 4-425-30251-6
  • 官報

関連項目編集