日本ハウスホールディングス

株式会社日本ハウスホールディングス(にほんハウスホールディングス)は、東京都千代田区に本社のある建設会社東京証券取引所プライム市場上場企業である。1969年2月13日に盛岡市にて設立された。

株式会社日本ハウスホールディングス
NIHON HOUSE HOLDINGS CO.,LTD.
種類 株式会社
市場情報
東証プライム 1873
2013年7月16日上場
略称 日本ハウスHD
本社所在地 日本の旗 日本
102-0072
東京都千代田区飯田橋4-3-8
日本ハウスHD飯田橋ビル
設立 1969年2月13日
業種 建設業
法人番号 6400001001397 ウィキデータを編集
事業内容 在来木造住宅の設計・施工・監理・販売
宅地建物取引業
建材資材・住宅関連商品の販売
代表者 代表取締役会長 成田和幸
代表取締役社長 真田和典
資本金 38億7,337万円(2019年10月末時点)
発行済株式総数 45,964,842株
売上高 連結438億8,500万円
(2019年10月期)
営業利益 連結40億6500万円
(2019年10月期)
純利益 連結25億300万円
(2019年10月期)
純資産 連結228億2,400万円
(2019年10月末現在)
総資産 連結428億1,900万円
(2019年10月末現在)
従業員数 連結1,309名(2019年10月末現在)
決算期 10月末日
会計監査人 KDA監査法人
主要株主 自社社員持株会 8.54%
ステートストリートバンクアンドトラストカンパニー 4.78%
みずほ銀行 2.88%
日盛会持株会 2.83%
みずほ証券 2.79%
(2019年10月末現在)
外部リンク https://www.nihonhouse-hd.co.jp/
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概要 編集

設立時の会社名は東日本ハウス株式会社(ひがしにほんハウス)。社名は「東日本」だが、西日本にも営業網を広げていた(最南端は鹿児島県)。東日本ハウス時代のキャッチフレーズは「近代和風の東日本ハウス」。2015年5月1日付で現社名となり、ブランド名は『日本ハウスHD』で展開する。

2002年、代表取締役に成田和幸が就任。グループ多角化経営を整理、本業回帰路線に変更。注文住宅事業、企画型提案住宅事業、リフォーム事業、マンション販売事業を事業主軸とする。1988年8月に株式を店頭公開、2013年11月に東京証券取引所2部への市場変更、2014年4月に東京証券取引所1部へ指定替えを果たす。

沿革 編集

  • 1969年2月 - 中村功、岩手県盛岡市本町通にて「東日本ハウス株式会社」を設立。
  • 1971年3月 - 木造注文住宅の本格販売を開始する。
  • 1972年3月 - 仙台支店を設置(東北地方展開の一歩として)。
  • 1974年3月 - 宇都宮営業所を設置(関東地方進出)。
  • 1975年2月 - 札幌支店を設置(北海道地方進出)。
  • 1976年4月 - 静岡支店を設置(中部地方進出)。
  • 1978年1月 - 岡山営業所(現:支店)を設置(中国地方進出)。
  • 1979年
    • 3月 - 大分支店を設置(九州地方進出)。
    • 6月 - 在来工法住宅としては初となる「耐震工法」を完成する。
  • 1987年
    • 1月 - 東大阪営業所を設置(近畿地方進出)。
    • 7月 - 高松営業所(現:支店)を設置(四国地方進出)。
  • 1988年8月 - 同社株式を店頭登録(現在のジャスダック)。
  • 2005年3月 - 本社を盛岡市と東京都千代田区の2社体制となる。
  • 2008年6月 - 本社機構を東京本社に統合・集約する。
  • 2013年11月 - 東京証券取引所二部に市場変更。
  • 2014年4月 - 東京証券取引所一部に指定替え。
  • 2015年5月 - 「株式会社日本ハウスホールディングス」に商号変更[1]
  • 2016年2月 - 登記上の本店を岩手県盛岡市から東京都千代田区(本社所在地)に変更する[2]

関連会社 編集

現在
  • 日本ハウスホテル&リゾート(旧・ホテル東日本)
  • 日本ハウスウッドワークス北海道
  • 日本ハウスウッドワークス中部
  • 東京工務店
  • 日本ハウスコミュニティーサービス
過去

その他 編集

かつて東京都銀座に自社ビルディングであるチャンドラ・ボースビルを持っていたことがあった。1997年に購入し、銀河高原ビールの東京拠点および貸しビルとして運用していた。管理は、映画『プライド・運命の瞬間』の製作のための受け入れ子会社である東京映像制作が行っていた。しかし、映画『ムルデカ17805』や本業の不振もあって、2007年に売却された。

テレビ東京トーク番組渡部昇一の新世紀歓談」の単独スポンサーだった。

創業者の中村功は政治学習団体「経営者漁火会」を組織し、それを母体に中村が党首となって保守右派政党青年自由党を結党した。青年自由党は1995年1998年参院選に出馬しているが、中村を含め全員落選している。

息子の中村力1993年第40回衆議院議員総選挙旧岩手1区から出馬し当選。自由民主党自由国民会議に所属し、1期務めた。その後自民党に入党し数回国政選挙に出馬するが落選。みんなの党に移籍し、岩手県議選に出馬するが落選している。

2022年には人気YouTuberの吉田製作所が、駐車場の設計を巡って当社を動画で強烈に批判し、話題となった[3]

受賞 編集

2011年1月1日〜放送のテレビコマーシャルより)

テレビコマーシャル出演 編集

出典 編集

  1. ^ 商号の変更に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)東日本ハウス、2015年1月30日https://www.nihonhouse-hd.co.jp/pdf/newsrelease/20150130.pdf 
  2. ^ 国税庁 法人番号公表サイト”. 国税庁. 2017年6月4日閲覧。
  3. ^ 1億円かけたのに…人気YouTuberのマイホームを巡って騒動(FRIDAY)”. Yahoo!ニュース. 2022年10月30日閲覧。

外部リンク 編集