日本住血吸虫
日本住血吸虫(にほんじゅうけつきゅうちゅう、学名:Schistosoma japonicum)は、扁形動物門吸虫綱二生吸虫亜綱有壁吸虫目住血吸虫科住血吸虫属に属する動物。哺乳類の門脈内に寄生する寄生虫の一種である。中間宿主は淡水(水田や側溝、ため池)に生息する小型の巻貝のミヤイリガイ(別名カタヤマガイ)。最終宿主はヒト、ネコ、イヌ、ウシなどの様々な哺乳類である。日本住血吸虫がヒトに寄生することにより起こる疾患を、日本住血吸虫症という。
日本住血吸虫 | ||||||||||||||||||||||||
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![]() 日本住血吸虫(Schistosoma japonicum)の虫卵
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分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Schistosoma japonicum Katsurada, 1904 | ||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||
ニホンジュウケツキュウチュウ |
特徴編集
紐状の形の、細長い吸虫。雌雄異体で、雌は黒褐色で細長く、雄は雌よりも淡い色で太くて短い。雄の腹面には抱雌管と呼ばれる溝があり、ここに雌が挟み込まれるようにして、常に雌雄一体になって生活する。体長は雄が9-18 mm、雌が15-25 mm。虫卵の大きさは70-100×50-70 μm。ヒトを含む哺乳類の血管(門脈)内に寄生し、赤血球を栄養源にする。
生活環編集
最終宿主動物の糞便とともに排出された卵は水中で孵化し、繊毛を持つミラシジウム(またはミラキディウム/miracidium)幼生となる。ミラシジウム幼生はミヤイリガイの体表を破って体内に侵入し、そこで成長するとスポロシスト幼生となる。スポロシスト幼生の体内は未分化な胚細胞で満たされており、これが分裂して胚に分化し、多数の娘スポロシスト幼生となってスポロシスト幼生の体外に出る。娘スポロシスト幼生の体内の胚細胞は、長く先端が二又に分岐した尾を持つセルカリア (cercaria) 幼生となって娘スポロシスト幼生と宿主の貝の体表を破って水中に泳ぎ出す。ミヤイリガイは水田周辺の溝などに生息しており、その水に最終宿主が皮膚を浸けたときに、セルカリアが皮膚分解酵素を分泌して皮膚から侵入し感染する。その後肝臓の門脈付近に移動して成体となる。成体は成熟すると雌雄が抱き合ったまま門脈の血流を遡り、消化管の細血管に至ると産卵する。卵は血管を塞栓するためその周囲の粘膜組織が壊死し、卵は壊死組織もろとも消化管内にこぼれ落ちる。
分布編集
日本住血吸虫発見の歴史編集
- 1904年 - 岡山医学専門学校(現・岡山大学)の桂田富士郎が、有病地の一つであった甲府盆地(山梨県)からネコを持ち帰り、その体内から吸虫を発見。日本住血吸虫と命名した。
- 1913年 - 九州大学の宮入慶之助が中間宿主としてミヤイリガイを特定。感染ルートを解明した。
日本の個体群が最初に医学的、生物学的に記載されたため日本住血吸虫と名付けられた。日本人が国外に広げた日本特有の寄生虫という訳ではない。
日本住血吸虫症の症状編集
まずセルカリアが侵入した皮膚部位に皮膚炎が起こる。次いで急性症状として、感冒様の症状が現れ、肝脾腫を認める場合もある。慢性期には虫が腸壁に産卵することから、発熱に加え腹痛、下痢といった消化器症状が現れる。好酸球増多も認められる。虫卵は血流に乗って様々な部位に運ばれ周囲に肉芽腫を形成するが、特に肝臓と脳における炎症が問題になり、肝硬変が顕著な例では、身動きができないほどの腹水がたまる症状が出て、死に至る。また脳においては、てんかん、痙攣などの症状が現れる。
このように日本住血吸虫が重篤な症状を引き起こすのは、成体が腸の細血管で産卵した卵の一部が血流に乗って流出し、肝臓や脳の血管を塞栓することによるところが大きい。
右の顕微鏡写真は、病理解剖で見つかった結腸と肝臓の住血吸虫卵の痕跡。かつての流行地での生活履歴を物語る所見である。第二次世界大戦中に中国南方、東南アジア(フィリピンなど)に従軍した折の感染であることも多い。
日本における過去の有病地編集
日本では、古くから山梨県の甲府盆地底部、福岡県・佐賀県の筑後川流域、広島県深安郡旧神辺町片山地区(現:福山市)が三大流行地であり[1]、風土病として知られていた。
最大の有病地である山梨県ではこれを「地方病」と呼び、古くは「流行地には娘を嫁に出すな。」という俗諺が生じていた。同県では、日本住血吸虫対策を行ったことで、肝硬変による死亡率が約2/3にまで激減するほど、人々の生命を脅かす存在だった[2]。
日本における日本住血吸虫対策と撲滅編集
日本住血吸虫症(地方病)にはプラジカンテルと言う特効薬があるが、感染を繰り返す度に肝臓が破壊されることで障害が蓄積するため、感染に対する治療だけを行っても根本的な解決には至らない。そこで「水田、用水路には素足で入らないこと」等の感染予防指導を行い、同時に日本住血吸虫の生活環自体を破壊することを考えた。
日本住血吸虫の中間宿主であるミヤイリガイは、水田の側溝などに生息し、特に水際の泥の上にいる。そこで、それまで素堀で作られていた水田の側溝をコンクリート製のU字溝に切り替えたり、PCPなどの殺貝剤を使用したりするなど、ミヤイリガイが生息できない環境を造る取り組みが行われた。
日本では第二次世界大戦後に圃場整備が進んだことから、ミヤイリガイも日本住血吸虫病も瞬く間に減少し、1978年以降、新規患者の報告はなくなった。
1996年2月、国内最大の感染地帯であった甲府盆地の富士川水系流域の有病地を持つ山梨県は、日本住血吸虫病流行の終息を宣言した。115年にわたる対策の成果であった(詳細は「地方病 (日本住血吸虫症)」を参照)。
また、西日本における主要な感染地帯であった筑後川流域では、筑後大堰の建設を機に、河川を管理する建設省(現・国土交通省)、堰を管理する水資源開発公団(現・水資源機構)、流域自治体の三者が共同して、1980年より湿地帯の埋立て等の河川整備を堰建設と同時に行い、徹底的なミヤイリガイ駆除を図った。この結果、1990年には福岡県が安全宣言を発表し、その後10年の追跡調査を経て新規患者が発生していないことを確認し、2000年に終息宣言を発表した。ミヤイリガイの最終発見地となった久留米市には「宮入貝供養碑」が建立され、人為的に絶滅に至らしめられたミヤイリガイの霊を弔っている(詳細は筑後川#日本住血吸虫症の撲滅を参照)。
利根川流域(埼玉・茨城・千葉県)はかつて有病地で、1970年に河川敷で放牧されていた乳牛に再発生した。このため千葉県が自衛隊に依頼してミヤイリガイ生息地を火炎放射器で焼き払ったうえに客土で覆い、放牧地として使わなくする措置をとった[3]。
ただし、全てのミヤイリガイが絶滅したわけではない。現在でも千葉県小櫃川流域[4]及び最大の有病地であった山梨県甲府盆地北西部の釜無川流域では、継続的に生息が確認されている。
日本国外での日本住血吸虫対策編集
中華人民共和国や、フィリピンをはじめとする東南アジアではいまだに感染地域が残り、プラジカンテルに対する耐性の出現も報告されている。またアフリカ等ではマンソン住血吸虫、ビルハルツ住血吸虫、東南アジアではメコン住血吸虫の感染も問題になっている。ワクチン等の予防手段はないので、感染地では淡水の生水を皮膚に接触させないことが重要である。
脚注編集
- ^ 小島荘明『寄生虫病の話 身近な虫たちの脅威』(中公新書、2010年)p.15
- ^ 行政施策と肝硬変死亡東京都健康安全研究センター 平成8年度厚生科学研究
- ^ 小島荘明『寄生虫病の話 身近な虫たちの脅威』(中公新書、2010年)p.14-16
- ^ 千葉県レッドデータブック(2011年改訂版) - 貝類 pp.434 (PDF)
外部リンク編集
- 住血吸虫症とは
- 日本住血吸虫って何?
- 日本住血吸虫撲滅の記録
- 「日本住血吸虫感染経路実験地の碑」建立について
- 山梨県とミヤイリガイ
- [科学映像館]