松井 孝允(まつい たかみつ、1987年12月15日 - )は、日本レーシングドライバー広島県福山市出身。

経歴

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レーシングカートでキャリアをスタート。2006年にFJ1600岡山シリーズで四輪レースデビューし、年間4勝を挙げてチャンピオンを獲得した。翌2007年にトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)入りし、若手ドライバーの育成シリーズであるフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)にステップアップしたが、2008年シーズン後にそのTDPを放出された。

その後 土屋エンジニアリング土屋武士により社員に採用され、働きながら経験を積んだ。2009年にスーパー耐久にST-4クラスからホンダ・シビックで参戦し、1勝を挙げてチャンピオンを獲得した。2010年には再びFCJに挑戦、シリーズランキング2位となった[1]。2013年にはポルシェ・カレラカップ、2014年にはJAF-F4アジアン・ル・マン・シリーズにスポット参戦[2]している。

2015年にはSUPER GTに復帰する土屋エンジニアリングから86MCで参戦。パートナーの土屋武士は「松井をGT500に上げる」という使命に燃えており、松井はその期待に応え菅生で初勝利を上げた。同年ニュルブルクリンク24時間レースにもTOYOTA GAZOO Racingからレクサス・RCでデビューし、SP-3Tクラス4位完走を果たした。

2016年にはSUPER GTに並行して全日本F3選手権のNクラスにスポット参戦し、2連勝を収めた[3]。またGTでは、最終戦もてぎで土屋のスタートで10番手まで後退したが、土屋は早めにピットインしてタイヤ無交換で松井に交代。松井はその後タイヤを持たせながらも素晴らしい速さを見せ、トヨタ・プリウスをかわし優勝。勇退する土屋のキャリアの最後をドライバー・チームチャンピオン獲得で飾り、その才能を示した。

しかしながらGT500昇格とはならず、以降も2022年までつちやエンジニアリングのエースとして活動を続けていた。2023年にTEAM MACHに移籍する。

2018年より、Netz Toyama Racingネッツトヨタ富山)からGR86/BRZ Cupに参戦し、2022年7月の菅生でプロフェッショナルシリーズ初優勝し、2022年シリーズポイントランキングで5位入賞した。

戦績

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全日本フォーミュラ3選手権

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チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
2016年 TEAM SAMURAI トヨタ N SUZ
1
SUZ
2
FSW
1
FSW
2
OKA
1
OKA
2
SUZ
1
SUZ
2
FSW
1

10
FSW
2

11
TRM
1
TRM
2
OKA
1
OKA
2
SUG
1
SUG
2
SUG
3
6位 24

SUPER GT

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チーム マシン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2015年 VivaC team TSUCHIYA トヨタ・86 MC GT300 OKA
6
FSW
Ret
CHA
7
FSW
5
SUZ
23
SUG
1
AUT TRM 11位 35
2016年 GT300 OKA
6
FSW
3
TRM
7
SUG
2
FSW
13
SUZ
22
CHA
1
TRM
1
1位 78
2017年 GT300 OKA
4
FSW
15
AUT
1
SUG
3
FSW
29
SUZ
18
CHA
15
TRM
5
5位 45
2018年 つちやエンジニアリング GT300 OKA
3
FSW
Ret
SUZ
2
CHA
19
FSW
5
SUG
24
AUT
24
TRM
8
7位 39
2019年 GT300 OKA
Ret
FSW
18
SUZ
5
CHA
4
FSW
26
AUT
16
SUG
27
TRM
18
19位 17
2020年 HOPPY team TSUCHIYA ポルシェ・911 GT3R GT300 FSW
19
FSW
20
SUZ
14
TRM
8
FSW
11
SUZ
9
TRM
6
FSW
14
20位 10
2021年 GT300 OKA
7
FSW
13
SUZ
23
TRM
6
SUG
19
AUT
10
TRM
5
FSW
6
14位 21
2022年 トヨタ・GRスープラ GT300 OKA
22
FSW
11
SUZ
Ret
FSW
WD
SUZ
15
SUG
10
AUT
16
MOT
Ret
34位 1
2023年 TEAM MACH トヨタ・86 MC GT300 OKA
15
FSW
22
SUZ
19
FSW
18
SUZ
21
SUG
22
AUT
18
MOT
18
NC 0

エピソード

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  • 土屋武士とは最初、FTRSで先生と生徒の関係であった。土屋は「才能だけをとったら充分日本のトップになれるものを持っている」[4]と松井の才能を高く評価しながらも、「気持ちが弱い」という弱点を指摘しており、松井のGT300初優勝の際も「まだGT500に上がるにはここ(心)の強さが足りない」と語っている[5]
  • 愛車はトヨタ・86で、職場で自らチューニングを行っている。

脚注

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関連項目

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外部リンク

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