メインメニューを開く

松平義建

美濃高須藩第10代藩主

松平 義建(まつだいら よしたつ)は、江戸時代後期の大名美濃国高須藩10代藩主。通称は範次郎。官位従四位下侍従掃部頭摂津守左少将。自身に特筆すべき治績は少ないが、息子は高須四兄弟を筆頭に多くが幕末期に活躍した。

 
松平義建
Matsudaira Yoshitatsu.jpg
松平義建像
時代 江戸時代後期
生誕 寛政11年12月13日1800年1月7日
死没 文久2年8月20日1862年9月13日
別名 通称:範次郎
戒名 芳潤院建誉魁翠乗斎
墓所 岐阜県海津市行基寺
官位 従四位下侍従掃部頭摂津守左少将
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
美濃高須藩
氏族 水戸徳川家高須松平家
父母 父:松平義和、母:平松氏
兄弟 義質義建容敬遠藤胤昌、宣姫
正室:徳川治紀五女・規姫
側室:古森氏、奥山氏/今西亀、千代
源之助、徳川慶勝武成、整三郎、
徳川茂徳容保定敬、鐡丸、義勇、幸
テンプレートを表示

生涯編集

寛政11年12月13日1800年1月7日)、松平義和(保友)の次男として江戸の水戸藩小石川邸で出生した。父・義和は当時水戸徳川家の部屋住み身分であったが、文化元年(1804年)に高須松平家に末期養子として入り、高須藩を相続した。兄・義質が早世したため、文化10年4月23日1813年5月23日)、父の嫡子となる。

文化12年4月28日1815年6月5日)、11代将軍・徳川家斉御目見する。文化13年12月16日1816年2月1日)、従四位下侍従・掃部頭に叙任される。

文政年中に摂津守に改める。父の死去により、天保3年3月6日1832年4月6日)に家督を相続する。同年12月28日1833年2月17日)、左少将に任官される。

嘉永3年10月16日1850年11月19日)、隠居し、五男の義比(後の徳川茂徳)に家督を譲った。文久2年8月20日1862年9月13日)、64歳で死去した。

系譜編集

 
高須四兄弟(明治11年9月撮影)
左から定敬、容保、茂栄、慶勝

高須四兄弟編集

松平義建の子供のうち慶勝茂栄容保定敬の4人を高須四兄弟と呼ぶことがある。