橋本 義隆(はしもと よしたか、1979年12月6日 - )は、岡山県和気郡日生町(現:備前市)出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

橋本 義隆
東北楽天ゴールデンイーグルス時代
(2013年6月5日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県和気郡日生町(現:備前市
生年月日 (1979-12-06) 1979年12月6日(44歳)
身長
体重
181 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 ドラフト3巡目
初出場 2005年6月9日
最終出場 2012年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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プロ入り前

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岡山県和気郡日生町(現:備前市)出身。中央大学時代は読売ジャイアンツ阿部慎之助バッテリーを組んでいた。2年秋から1部。東都大学1部リーグ通算3勝9敗、2部通算1試合勝敗なし。大学卒業後は社会人野球ホンダに所属し、角度のある140km/h台中後半のストレートとスライダー、フォーク、チェンジアップなど多彩な変化球を織り交ぜた投球を武器に、2004年第75回都市対抗野球大会での準優勝に貢献した(敢闘賞にあたる「久慈賞」を受賞)。2004年ドラフト会議北海道日本ハムファイターズから3巡目で指名を受け、入団。背番号は33

日本ハム時代

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即戦力として期待の掛かった2005年は中継ぎとして20試合に登板。翌2006年には先発に転向し4勝(2敗)をマーク、8月8日ソフトバンク戦では無四球完封勝利を飾った。

2008年藤井秀悟坂元弥太郎三木肇との交換トレードで、川島慶三押本健彦と共に東京ヤクルトスワローズへ移籍。背番号は35

ヤクルト時代

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ヤクルト時代
(2011年、浦添市民球場にて)

移籍1年目の2008年目はプロ入り後初めて1軍登板なしに終わり、ファームでも安定した成績を残すことができなかった。2009年は開幕を2軍で迎えたが、シーズン中盤に昇格して以降は主に敗戦処理やロングリリーフとして13試合に登板し勝ち負けなし、防御率は1.35だった。なお2009年に喫した自責点3点は全てホームランによる自責点であった。

2010年4月3日横浜ベイスターズ戦で4年ぶりの勝ち星を挙げたが、投球内容が悪かったため翌日登録抹消となる。結局18試合の登板に留まり、防御率5.68と結果を残すことは出来なかった。

2011年も17試合の登板に留まった。オフの12月12日楠城祐介との交換トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍することが発表された。

楽天時代

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2013年10月4日に球団より戦力外通告を受け[1]、現役を引退。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2005 日本ハム 20 0 0 0 0 0 2 0 1 .000 94 21.0 21 3 10 0 1 14 2 0 12 9 3.86 1.48
2006 17 12 1 1 1 4 2 0 1 .667 315 73.0 89 8 12 1 3 30 0 0 30 27 3.33 1.38
2007 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 34 8.0 7 0 3 0 0 4 0 0 3 3 3.38 1.25
2009 ヤクルト 13 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 76 20.0 12 3 6 1 0 12 0 0 6 3 1.35 0.90
2010 18 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 92 19.0 30 2 6 0 1 14 0 1 16 12 5.68 1.89
2011 17 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 81 18.2 26 2 4 0 0 17 0 0 11 9 4.34 1.61
2012 楽天 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 44 9.1 14 0 1 0 2 6 1 0 5 5 4.82 1.61
通算:7年 98 12 1 1 1 5 5 0 4 .500 736 169.0 199 18 42 2 7 97 3 1 83 68 3.62 1.43

記録

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背番号

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  • 33 (2005年 - 2007年)
  • 35 (2008年 - 2011年)
  • 38 (2012年 - 2013年)

脚注

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  1. ^ 来季の選手契約に関して楽天球団公式サイト2013年10月4日配信

関連項目

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外部リンク

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