深見東州

日本の宗教家、実業家

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深見東州(ふかみとうしゅう、本名半田晴久(はんだはるひさ)1951年3月18日- )は、ワールドメイト(世界中に愛をワールドメイト)のリーダー。社会福祉活動を展開し、神道家芸術家学者評論家オペラ歌手画家書家能楽師実業家など、幅広い知識をもつ多芸多才な文化人である。普遍的な宗教性こそが大切であると考え、狭い宗教の枠を越えて、多面的に公共の福祉に役立つことを第一としている。主に、芸術活動や神道家としての活動等を行う際は、深見東州(ふかみとうしゅう)という通名を使用している(以前は、深見青山という通名を使用していた)。学術活動や評論活動及び公益活動や実業家としての活動を行う際は、本名の半田晴久(はんだはるひさ)で活動している。また、劇団活動や小説家詩人として作家活動を行う際は、戸渡阿見(ととあみ)というペンネームを使用している。さらに、上記のあらゆる活動を行う人物として登場する際はレオナルドTOSHUというペンネームを名乗り、ラジオパーソナリティ名やツイッター上で使用している。長谷川幸延(小説家劇作家)は、親戚にあたる。

在福岡カンボジア王国名誉領事。2004年11月、インターナショナル・ロータリーより、ポール・ハリス賞受賞(WA Rotary Club Paul Harris Fellow)。2005年6月、紺綬褒章受章。

略歴

1951年兵庫県西宮市で生まれる。同志社大学経済学部卒。武蔵野音楽大学特修科(マスタークラス)声楽専攻修了。西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院修了、創造芸術学修士(MA)。中国国立清華大学美術学院美術学学科博士課程修了、文学博士(Ph.D)。中国国立浙江大学大学院中文学部博士課程修了。文学博士(Ph.D)。カンボジア大学総長、人間科学部教授教授。中国国立浙江工商大学日本言語文化学院教授。その他、英国、中国の大学で客員教授として教鞭をとる。英国国立ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)Honorary Fellow 。ジュリアード音楽院名誉人文学博士。

在福岡カンボジア王国名誉領事。カンボジア王国首相顧問(オフィシャル・アドバイザー)。アジア・エコノミックフォーラム ファウンダー(創始者)、チェアマン。中国国家一級美術師、中国国家一級声楽家、中国国家二級京劇俳優。高校生国際美術展実行委員長。東アジア美術交流祭会長。現代日本書家協会顧問。社団法人日本デザイナーズ協会理事。社団法人日本ペンクラブ会員。現代俳句協会会員。宝生流能楽師、社団法人能楽協会会員。宝生東州会会主。「東京大薪能」主催者代表。その他、茶道師範、華道師範、書道教授者。カンボジア王国コマンドール友好勲章、ならびにロイヤル・モニサラポン十字勲章受章。またカンボジア政府モニサラポン・テポドン最高勲章、ならびにソワタラ勲章大勲位受章。中国合唱事業特別貢献賞、西オーストラリア州芸術文化功労賞受賞。紺綬褒章受章。西オーストラリア州首都パース市、及びスワン市の名誉市民(「the keys to the City of Perth」、「the keys to the City of Swan」)など。福祉活動、芸術活動、公益活動、宗教活動の他、国内外に十数社を経営し、実践派経営コンサルタントとして多くのシンポジウム、講演会を主催、経営評論活動を行っている。

その他、ラジオパーソナリティーとしても知られ、現在は週2本のレギュラー番組を担当。ラジオ番組名「さわやかTHIS WAY」(FM全国ネット)、「レオナルドTOSHUの遊びがNight」(FM NACK5)。

福祉活動

福祉について、3つのことを大切にしている。一つ目は「福祉とは障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いのことである」ということ。二つ目は、「民間のやるべき福祉とはなにか」ということである。民間人は大きすぎない規模で成果を目の当たりにできるユニークなものをするべきで、福祉を行うことの喜びを身をもって感じられることが大切だと考えている。三つ目は、「福祉を通じて心の交流をする」ということであり、心の通う福祉こそが本当に活きた福祉であると考えている。

ブラインドゴルフ(視覚障害者ゴルフ)

1988年に、日本で初めて、ブラインドゴルフ倶楽部を設立し、日本に初めてブラインドゴルフを紹介した「日本のブラインドゴルフの父」として知られる。視覚障害者福祉の必要性に目覚めたのは、日本ブラインドゴルフ振興協会の初代会長となった松井新二郎(当時は日本盲人職能開発センター所長)との出会いにより、「視覚障害者があらゆる障害者の中でも恵まれない環境にある」と聞いたのがきっかけであるという。その後、1987年オーストラリアパースにあるゴルフ場で、ブラインドゴルファーを目の当たりにし、深く感動する。その後、自ら主宰するセミナーで、一番ヶ瀬康子の(当時は日本女子大教授)「福祉とは障害のある方が自己実現することを手伝うことだ」という言葉に感銘を受け、福祉活動の原点とは、障害者に、自己実現できる場所や環境を提供することであると考えるようになる。民間の「ゴルフの社会貢献」として、有意義でユニークで、前人未踏の試みを行い、ゴルフ文化の創造に尽くすことを目指し、ブラインドゴルフの世界的な推進活動を展開している。

カンボジアでの福祉活動

24時間無料救急病院(シアヌーク病院)の建設

1996年12月カンボジアの首都プノンペンに、24時間無料救急病院シアヌーク病院を建設することを決意。カンボジア政府から無料で提供された土地に、丹下健三氏無料設計による二階建、40ベッド、緊急集中治療設備を擁した近代的な24時間体制の救急無料病院を、リーダーをつとめるワールドメイトを通じて建設する。この病院の運営は、自らがリーダーを務めるワールドメイトが毎年2億円の運営費を拠出し、ワールドメイトと米国医療法人「ホープ・ワールドワイド(Hope Worldwide)」(キリスト教系国際チャリティー組織)が、同等のパートナーとして協力している。同病院では、1996年12月から2010年2月までに、103万人を越える患者が訪れ、全て無料で診療を行なった。(1996年12月~2010年2月までに、31万3,725人の救急医療、21万7,432人の医療外来患者訪問、30万9,890人の医療特別クリニック、11万7,254人のCRC患者訪問、6万3281人の外科診療。さらに、8,598人の内科入院、7,086人の外科入院、1万2,423件の手術&処置を行った)カンボジア人の医療スタッフたちは、臨床経験を通じて、高度な医療知識や責任感を身につけることができ、カンボジア全体の医療レベルの向上にも寄与している。また、カンボジアに250あるNGOのうち、シアヌーク病院は規模も最大であり、グローバルファンドにおける250のNGOの代表にもなっていた。2003年1月に第二病棟が完成した時、ワールドメイトを通じた活動を表し、シアヌーク国王より民間で初めてコマンドール勲章を授与される。これは、カンボジア王国の最高位の国家勲章の一つであり、外国人に与える最高の勲章である。2004年11月1日、第三病棟が完成[1][2]

クメールルージュの犠牲者へ義捐金

「クメールルージュによるジェノサイドの被害者への補償、および追悼のためのDr.HANDA ファンド」会長。クメール・ルージュの犠牲者の現状を知り、自ら3千万円を寄付し、義捐金制度を設立する。その後、2007年5月時点で、ワールドメイトから寄付された義捐金を手渡しで確実に犠牲者へ授与する活動を、4度行っている。これまでに、クメールルージュの遺族3万世帯が義捐金を授与されている。その際、遺族の体験を記録している。
1970年代後半クメールルージュによって、知識層を中心に、当時のカンボジア国民の半数(300万人)が虐殺されたと言われている。残された未亡人子供たちは、心にトラウマを持ち、最貧生活を送る者が多い。その中の2割の未亡人は、身寄りもお金もないため、お寺を住居とし、僧侶の食べ残しで生活することを余儀なくされている。その人々を対象に、一般人の半年分の収入に当たる金銭と米をワールドメイトが寄付し、この義援金を遺族らに手渡しで渡している。これは単に義援金を送るだけでなく、傷つき、生きる望み失いかけた人々に対して、大きな励ましのメッセージにもなるものとして、物心両面からの救済活動となっている[3]
こうした功績により、2006年10月、カンボジア王国政府より、モニサラポン・テポドン最高勲章受章(福祉分野の最高賞)し、2007年12月にはソワタラ勲章大勲位(福祉分野の二番目の賞)を受賞する[4]

孤児への支援

プノンペン郊外にある「ワールドメイト未来の光孤児院」会長をつとめている。代表をつとめる団体を通じ、約300名の子供たちのための支援を継続的に行い、孤児院内に寮やコンピューターハウスを建設、寄贈している。さらに、里親制度を設立し孤児の里親として生活費や学費を毎月援助している。
ワールドメイト未来の光孤児院の設立をしたヌオン・バリー院長は、1994年にフランスのフィガロ賞を受賞し、1998年にはアジアのノーベル賞といわれる、フィリピンのラモン・マグサイサイ賞を受賞する。

カンボジア大学

2003年、カンボジア大学を共同設立し、初代総長、人間科学部教授を務める。カンボジア王国の次期世代のリーダーの育成をめざし、「カンボジアのハーバード大学」を目指して設立された。2007年より、フンセン首相の提案により、「サムデック・フンセン・ハンダ・ナショナル・スカラーシップ」も始まり、成績優秀な生徒が、奨学生としてカンボジア大学に入学できる制度も充実している。2008年12月、こうした功績が認められ、カンボジア政府推薦、新国王より、ロイヤル・モニサラポン十字勲章(教育分野の最高賞)を受賞する。

小学校の建設

2005年からは、学校がない貧しい地域の子供たちのために、小学校の校舎を20校建設したいというフンセン首相の希望を受け、代表をつとめるワールドメイトが「フンセン小学校プロジェクト」を支援することとなり、20校が完成している(2008年6月時点)。20校完成を祝い、カンボジア政府主催の祝賀セレモニーが行われた。

中国での福祉活動

中国における児童福祉の貢献に対し、IFACの代表として、2002年6月、「中国児童慈善家」ベスト10人に、唯一の日本人としてノミネートされ、中国国家民政部より表彰される。2001年、中国の伝統文化の振興と繁栄を目的として、中国国家文化部に「造形舞台芸術創作及び学術研究成就賞」を設立。毎年、美術・書道・古典芸術や芸能など、特筆すべき創作や研究において素晴らしい成果をあげた芸術家と研究者を選考し、表彰するというもの。国家によるこのような表彰制度は、中国においてはこれが初めてである。(日本の人間国宝制度に値する)

小学校建設の計画

2000年4月、自らが会長をつとめるIFACの寄付により、中国児童少年基金会と地元の教育委員会の三者が協力し、毎年10校ずつ、合計130校の小学校を、最貧地域に建設する「春蕾小学校」建設を推進している。このプロジェクトでは、校舎の建設のみならず、学内の備品、1000冊以上の蔵書の図書館、スライドやコンピュータ等を寄贈している。さらに、「露天舞台(野外体育館のようなもの)」を作り、開校式では、この舞台で中国の伝統芸能である京劇公演や、歌、おどり、漫才などを開催し、地域の人達全員が楽しめるようにしている。こうした文化的催しは、貧しい地方では、何年間に一度あるかないかのことで、近隣の村からも何万人もの村人が見物に集まる。

貧しい子どもへの学費支援

中華全国婦女連合会により進められている、中国児童少年基金会の「春蕾計画」の一環として、中国全土の11の貧しい少数民族地区出身の優秀な生徒がつどう「春蕾クラス」の学費を、IFACが支援している。当初、香港の事業家が出資していたが、事業不振により支援を打ち切る予定だった「春蕾クラス」30人の高校、大学の学費の支援を申し出たのがきっかけであった。2007年6月、「春蕾クラス」30名全員が無事に大学を卒業した。また、2001年9月より、芸術分野の才能に秀でた女子学生11名で構成される天津市三毛芸術学校の「春蕾芸術クラス」の支援をIFACが行っている。他にも、2001年9月北京市私立樹人学校に「第2期 東州春蕾クラス」を設立し、32名の支援を行っている。(「春蕾クラス」の最大の支援団体)さらに、2001年6月より、中国敦煌市文化経済顧問である縁により、「支援百名孤児就学計画」として、敦煌の孤児100名の学費もIFACが支援している。

イギリスでの福祉活動

王立盲人協会(RNIB)副総裁に、日本人で初めて就任する。同副総裁の英国国教会(元)カンタベリー卿と協力し、宗教・言語・民族が複雑に絡み合う地域での、青少年の正しい育成を目指し、新しい教育プログラムを実施している。

オーストラリアでの福祉活動

2004年10月、西オーストラリア州芸術文化功労賞受賞。オーストラリア全国人権教育委員就任時に、オーストラリア全国人権教育委員会より、国際名誉市民の称号を授与される。西オーストラリア州首都パース市名誉市民。西オーストラリア州スワン市名誉市民。西オーストラリア州立エディスコーエン大学では、ワールドメイトを通じて「ハンダスタジオ」を寄贈するなど、教育支援を推進している。また、パースのスピーチ&ヒアリングセンター(聾唖センター)内に、専門図書館兼遠隔教育センターを設立し、耳の不自由な子供たちへの支援を行った。

アルバニアでの福祉活動

アルバニア、ジロカストロ市名誉市民。2001年5月、アルバニアの中でも最貧地域のブトリントに、ワールドメイトを通じて最初の近代的な小学校を建設し、寄付。その他、ワールドメイトを通じてジロカストロに初の職業訓練校を建設し、その付近の荒廃した病院を近代的な病院として再建する。

アフリカでの福祉活動

ワールドメイトを通じ、タンザニアの僻地にある村に、日々の交通手段に使うボートを寄贈。このボートは交通手段としてだけではなく、エビ漁にも使われ、その収益をボートの燃料代などにあてて維持されている。また、ワールドメイトにより、ガーナの心臓財団に体温計等を寄贈する。ガーナでは、輸入ものの体温計は非常に貴重である。

芸術活動

NPO法人世界芸術文化振興協会会長として、またマルチ・プロフェッショナル・アーティストとして、書画展やオペラ、音楽コンサート、演能会などの芸術活動を世界中で展開し、チャリティー活動や日本文化芸術の紹介につとめている。声楽、絵画、作詞、作曲、演奏、指揮、俳句、クラシックバレエ、京劇、俳優など、多彩な活動を行っている。中国ではプロの芸術家として、国家一級美術師(2002年9月)、国家一級オペラ歌手(2002年10月)、国家二級京劇俳優(2002年12月)に認定されている。社団法人日本ペンクラブ会員。音楽や芸術に関しては、自ら実践し、世界の芸術を紹介しながら、ジャンルを超えた芸術活動を行うという信念を持っている。また、後進の育成にも熱心である。

オペラ・声楽・歌手・演奏

戸渡阿見オペラ団主宰。ジュリアード音楽院名誉人文学博士。中国国家一級声楽家(中国歌劇舞劇院 海外芸術顧問、正団員)。日本語、英語、中国語に加え、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ロシア語の歌を歌う。1991年、40歳から、本格的に声楽を志し、音大を受験する。1997年、46歳で武蔵野音楽大学を卒業すると、翌年、西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院に入学し、研鑽を積み卒業(MA取得)。ユーリシッチ氏(世界五大バリトン)に師事す[5]

オペラ出演・総合プロヂュース

1997年3月、オペラ「俊寛」の康頼役でオペラ歌手としてデビュー。2001年、50歳から本格的にオペラを始め、2002年11月14日、オペラ「『聖徳太子』~和を以て貴しとなす」での主演(厩戸皇子役)を皮切りに、毎年、IFACオペラの総合プロデューサーをつとめる傍ら、主演や準主演の出演をこなしている。このIFACオペラは、日本の風俗と西洋の名作オペラとを大胆に融合させる演出が特徴であり、すべて原語での上演ではあるが、登場人物の全役名はすべて漢字である。2003年8月28日、オペラ『元禄のトラビアータ』慈兵衛流門(ジェルモン)役。2004年9月2日、オペラ『大正時代のボエーム』磨千絵浪(マルチェッロ)役。2005年9月15日、オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』主演:日賀朗(フィガロ)役。2006年[[9月16日]、オペラ『リゴレット in ジャパン』主演:詈業劣徒(リゴレット)役。2007年9月13日及び2008年9月19日、オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』主演:春舌夫(ファルスタッフ)役。2009年9月27日、オペラ『ゼウスの化身 怪人ドン・ジョンバンニ』主演:貪・女蛮兄(ドン・ジョバンニ)役。2010年9月24日及び9月26日、オペラ「『ナブッコ』~我が愛する地球よ!」主演:名武鼓(ナブッコ)役。等。

歌手・演奏

1994年、「アラウンド・ザ・ワールド」(ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール)に歌手として出演。1996年、「世界を華麗な舞台に」(ニューヨーク、カーネギーホール)に歌手として出演。1997年、「ニューイヤーコンサート」(ロンドン)に歌手として出演。1998年、「サマーコンサート」(ロンドン)、「前衛芸術コンサート」(オーストラリア)に歌手として出演。その他、国内外で50回以上のコンサートやリサイタルに、歌手として出演している。1999年、団長をつとめるアルプス合唱団とともに、ローマ法王にバチカンでオリジナル曲や日本歌曲を披露、謁見を許される。

オペラでの公益活動

2002年5月、西オーストラリア州のパース国際芸術祭ワールドプレジデント(国際実行委員長)に就任する。オーストラリアで最も権威のある声楽コンクールである「オーストラリアン・シンギング・コンペティション」をIFACを通じて支援し、オペラ歌手の後進に力を注いでいる。2003年、パース市より「名誉芸術家」の称号を授かる。また、西オーストラリア州の芸術文化に対する貢献に対し、「西オーストラリア州文化功労賞」を受賞される。2003年6月、オーストラリア最古のオペラ劇場、ヒズ・ マジェスティ・シアターの 100 周年記念祭の総裁就任する。2006年8月、中国合唱事業特別貢献賞受賞。その他、オペラへの貢献により、ジョーン・サザーランド特別賞受賞。2008年米国ジュリアード学院とIFACの間に、日本人音楽家養成プログラムを支援する協定を結ぶ。奨学金制度を設立して、日本のオペラ歌手の育成にも力を注いでいる。2009年、IFACの資金援助により、同音楽院に優秀な芸術家を招聘するための「声楽客員芸術家のための寄付講座」が設けられる。また、国内の日本人学生を対象にした、「IFAC・ジュリアード賞」を設け、ジュリアードへの米留学に関する諸経費をIFACが負担する。中国合唱協会 名誉理事長、世界中国語合唱大会(東州杯)終身名誉主席。

劇団

作品については明るすぎる劇団・東州をご覧ください。

2007年より明るすぎる劇団・東州主宰。戸渡阿見の小説(自らの作品)を自ら脚本にし、監督もつとめる。2009年より、明るすぎる劇団・東州の定期講演を毎年主宰する。定期公演では、自らもパントマイムで出演している。

小説・脚本(戯曲)

作品については戸渡阿見をご覧ください。

2007年より、戸渡阿見(ととあみ)として、小説家デビューを果たす。さらに、小説を脚本にして、自ら主宰している明るすぎる劇団・東州にて上演する。2008年11月、二冊目小説『バッタに抱かれて』が、社団法人 日本図書館協会選定図書[6]に選ばれる。2008年より、小説を絵本としても出版する。「うた」の詩心と、「ものがたり」の面白さが融合した作品を目指している。

能楽

社団法人能楽協会会員。宝生流能楽師。宝生東州会会主。「東京大薪能」主催者代表。同志社大学能楽部宝生会にて、柏原仁兵衞及び辰巳孝に師事。森田流笛を貞光義次、寺井啓之、帆足正規に師事。一噌流笛を藤田次郎に師事。幸流小鼓を幸信吾に師事。1972年に初舞台。米国メトロポリタン美術館能、国連薪能、エジプトスフィンクス薪能、アンコールワット薪能等で、宝生流宝生流十九世宗家らと共に『石橋(しゃっきょう)』『乱(みだれ)』『翁』等演能多数。宝生東州会は、全国に、宝生流最大の所属数を抱え、全国発表会を開催している。日本伝統文化の保全と普及に寄与し、能楽の普及とプロの若手能楽師の育成にも心を砕いている。

京劇

中国国家二級京劇俳優(北京京劇院二級演員)、北京京劇員正団員。梅蘭芳(めいらんふぁん)基金会理事長、梅蘭芳(めいらんふぁん)京劇団団員。黒龍江省京劇院京劇振興協会会長、黒龍江省京劇院客演団員。北京戯曲芸術教育基金会名誉会長。中国京劇界の泰斗・王金王路(おうきんろ)、葉蓬に拝師(ぱいしー)の儀を通して入門。1999年、『西遊記』、『虹橋贈珠(こうきょうぞうしゅ)』での二郎神役。2000年、『古城の再開』関羽役。2002年8月、中国中央電視台主催「第4回国際京昆アマチュアテレビ大コンクール」に出場、「漢津口(はんじんこう)」関羽役を演じ、参加者1000人中金龍賞を受賞。その芸術性を評価され、中国国家二級京劇俳優に認定される。その他、2003年、シドニーオペラハウスにて『シドニー京劇公演』の「漢津口(はんじんこう)」での関羽役等。

絵画・水墨画

中国国立清華大学美術学院美術学学科博士課程修了(Ph.D.)。中国国家一級美術師(中国芸術研究院一級美術師・外国人初)。仏画を浅井秀水女史、日本画と水彩画を犬飼得之氏に師事す。油絵と西洋画を松下友紀氏に習い、水墨画を安永麦州氏に師事す。 1999年、「BESETO美術祭東京展」に出展。同年、ニューヨーク市ソーホーのグラントギャラリーで個展を開催。2000年、中国政府文化部主催で北京市紫禁城にて個展を開催。2001年、遊美堂刊の「2000年度優秀美術作品全集」に作品2点が選ばれ、収録される。2002年、中国芸術研究院より、外国人初の国家一級美術師の認定を受け、アクリル画「青龍神と緋鯉」が永久所蔵される。2003年10月、西オーストラリア州パース国際芸術祭に招聘され、「東州・麦州二人展」を開催す。同年、日豪芸術交流祭において、水墨画「キラキラ天の川」が、330人の日本のトッププロ画家の中から選ばれ、「西オーストラリア州芸術文化大臣賞」「パース市長賞」「審査員最優秀賞」の3賞を同時受賞。パース市より「名誉芸術家」の称号を授かる。また、西オーストラリア州の芸術文化に対する貢献に対し、「西オーストラリア州文化功労賞」を受賞。2006年、中国国立清華大学美術学院美術学学科博士課程修了、文学博士(Ph.D)。論文「芸術市場の流通の変遷における日中美術品から見た芸術と市場の関係」が、翌年、出版される。2010年8月、求龍堂より出版された『自選画集』が社団法人 日本図書館協会選定図書[6]に選定される。高校生国際美術展実行委員長。東アジア美術交流祭会長。

書道

現代日本書家協会顧問。大東文化大学書道研究所認定書道教授者。16歳より兵庫県立鳴尾高等学校書道部部長として、田端曲全に師事。35歳より竹中青虎に学び、西川寧の孫弟子となる。「大英図書館永久収蔵記念 現代書家の名品と平成の佐竹本三十六歌仙展」に出展、「現代書家の名品」の一つとして、作品「恕」が、大英図書館に永久所蔵されている。作品「把手共行」は第67回謙慎展において、秀逸を受賞そ、その他、謙慎展で「岳」「無位真人」が褒賞受賞。

1999年及び2000年に、西オーストラリア州カリグラフィーギルド協会主催で、「深見東州書道展覧会」を開催。2001年、北京の近代芸術館にて、肖像画の巨匠・袁えん坤と「二人展」を開催。

華道

嵯峨御流師範。水野峨往氏に師事す。1999年、華道と舞台芸術の融合をテーマに、「藤の花咲くバレエの夕べ」を開催。同年、熊野本宮大社にて「奉納・藤の花咲くバレエ生け花『日本蘇生』」を開催す。2001年、アートと華道を融合させた個展を開催。

茶道

江戸千家新柳派師範。20歳より裏千家流茶道を学ぶ。全日本茶道会を経て、35歳より、江戸千家新柳派に入門。1986年より、伝統的な茶会を定期的に開催するほか、2002年3月、茶碗、茶杓、水差し、花器、掛け軸、畳、抹茶、菓子など、全ての道具類を自ら制作し、プロデュースし、現代芸術と茶道を融合させた茶会を開催す。

陶芸

彫刻を荒川明照氏、陶芸を東紀代美女史に師事す。2002年、中国芸術研究院より国家一級美術師の認定を受ける。

俳句

東州句会を主宰。金子兜太先生の推薦により、現代俳句協会会員。2000年、第一句集『かげろふ』、2009年、第二句集『新秋』を上梓す。2005年、社団法人日本ペンクラブの会員となる。自らがパーソナリティーをつとめるFM番組さわやかTHIS WAYにて、毎週俳句を紹介している。また、twitterにて俳句をつぶやくこともある。

作詞・作曲

2008年小林旭に、自らが作詞・作曲した「ジダンダ」の曲を提供、有線放送でリクエスト1位を記録する。作詞はピアノ曲、ポップス曲、オーケストラ曲など50曲以上、作曲は300曲以上にものぼる。

指揮

長瀬清正に師事す。1994年、ロイヤル・アルバート・ホール・オーケストラの指揮。1996年、カーネギーホール・オーケストラの指揮。1997年、英国室内楽団を指揮。その他、国内外で30回以上の指揮をこなす。

ファッションデザイナー

社団法人日本デザイナーズ協会理事。2001年、社団法人日本デザイナーズ協会主催のコンテストで、デザイン画が5000点中2位に選ばれる。2001年、「T.Fukamiファッションショー」を開催。2002年、「大型ファッションショー流動する紫禁城」に「将軍」、「世紀の聖人」として出演。2006年、「中国文化フェスティバル2006」において、中国スーパーモデルファッションショー「流動する紫禁城」に、日本側のデザイナーとして出展参加。

ギャグ

ギャグ研究家。これまでに、ギャグ作品集を4作、ギャグ写真集を1作、ギャグ DVD は『ギャグ300連発』『ギャグ600連発』『ギャグ888連発』の3作品をリリース。2010年3月18日より、twitterにてギャグをつぶやく。

公益活動

スポーツ振興

NPO法人日本インストラクタープロゴルフ協会(JIPGA)認定プロ。FOSゴルフ指導者協会認定プロフェッショナルゴルフ指導者。会長をつとめるISPSを通じて、ゴルフとボウリングの振興に尽力している。過去数年間にISPSが支援したイベントは、PGA半田杯フィランソロ ピー・シニアトーナメント(日本における賞金総額最高となるシニア男子公式トーナメント)、グランドゴールド半田杯兼ASEAN在京委員会ゴルフトーナメントなどがあり、またボウリング振興のためには、2007年より、最も権威のある男女の公式戦トーナメントをスポンサーする。また、女子シニアトーナメントにも力を入れている。

北方領土返還運動

2009年5月北方領土四島一括返還を主張する意見広告が、朝日新聞を除く全国紙4紙に掲載された。田久保忠衛(杏林大学客員教授)、丹波実(元ロシア大使)、児玉泰子(北連協事務局長)、袴田茂樹青山学院大学教授)、伊藤憲一(青山学院大学名誉教授、日本国際フォーラム理事長)、吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)とともに代表署名者をつとめている[7]。2009年5月、BS11にて「北方4島返還を考える」をテーマに、伊藤憲一(日本国際フォーラム理事長)、丹波実、袴田茂樹とともに、半田晴久が出席した討論番組が放映された[8]

日米同盟のあり方の提言

2009年10月、「積極的平和主義と日米同盟のあり方」に関する政策提言が総理大臣に提出され、意見広告が、全国紙に掲載された。伊藤憲一(青山学院大学名誉教授、日本国際フォーラム理事長)らとともに、署名者をつとめている[9]

生い立ち

1951年兵庫県西宮市で、父・利晴(としはる)、母・志保子の長男として生まれる。お宮参りは西宮神社である。半田家は、代々酒樽製造業を営んでおり、最盛期には灘五郷の酒蔵の酒樽造りを一手に引き受けていたという日本一の酒樽屋だった。物心ついたころ、家庭では、気性の激しい父[10]が母に鬱積したエネルギーをぶつけ、激しい夫婦喧嘩が絶えなかった。そこで、部屋の隅に隠れ、「母を助けたまえ」と神仏に祈り続ける毎日を過ごしていた。少年時代に、彼の福祉活動や宗教活動を支える理念が芽生えたといえる[11]。幼少の頃からひときわ霊的な感応力が強く、数々の神秘体験を経験した[12][13]

1962年、10歳の頃、母・志保子が、近隣に住む世界救世教に入信する。母親に付き従った晴久は、このとき初めて、宗教的雰囲気の中で、心の解放感を味わった。兵庫県立鳴尾高等学校に入学すると、救世教のお守りである「お光り」を教会から授かった日に、宗教的奇跡を体験する[14]。そして、毎朝登校の途中、必ず救世教の支部に立ち寄り、奉仕活動をして信仰を深めた[12]。『救世教』では、学生部を結成し、学校では生徒会活動に打ち込むと、活動ぶりが支部の上部機関である教会の知るところとなり、教会長は、晴久を教会所属に加えた。そのとき、教会長のことば[15]で己の態度を反省した晴久は、父親と正面を向き合うように努める。晴久の変貌ぶりをいぶかしがった父の問いに、晴久は、「『救世教』の教会長に言われて反省したんです」と正直に言うと、翌日、父・利晴は、『救世教』の支部に行き、入信する。こうして、信仰により、家庭に平和が訪れることとなった。そして、1967年、15歳で、世のため、人のために生きるという人類救済の発願をする。その後、母の原因不明の病気の治癒をきっかけとし、救世教から大本教へ転向することとなる[12]。『大本教』屈指のシャーマンであった松本マツ子の支部に通うようになると、大本の教典である『お筆先』や出口王仁三郎の大著『霊界物語』の疑問をことごとく尋ねる[16]。また、出口京太郎(出口直日・三代目教主の長男)と親交を持つ。

同志社大学経済学部に進学。専攻は国際金融論。ゼミのテーマは「南北問題の経済援助について」。父・利晴から半ば強制的にESS(ハードな部活で知られる)に入るように言われる。後に、Discussion Sectionのプレジデント、ESSの代表を務めた。ESSの活動に打ち込むバイタリティは、学生の間でも彼の超人的な努力は評判となる。また、「相談にのってほしい」と複数の学生に迫られたのをきっかけに、祈りに応じた神通力が発現するようになる。そして、身の上相談に来る学生たちで、「門前、市をなす」という有様であった。[12][17]

同志社大学を卒業後、大和ハウス工業営業マンとして東京に赴任する。1977年に、大本教と提携している銀座の道院紅卍字会で、根本宏氏に師事をする[12][18]。道院紅卍字会で神託[19]を受けた晴久は、根本師より、ひたすら中国の古典や、あらゆる宗教の原典を学ぶ。そして、わずか一年足らずで、根本師により、「もう私からあなたに教えるものは何もない。あなたは『任天(にんでん)の導師[20] となる人に違いない」と言われる。1987年、25歳で、天地の法と理、学問と宗教の基本を体得する。その後、根本師の仲介により、生涯の師となる、植松愛子と劇的な出会い[21]を迎え、弟子入りする。

人物像

人柄

  • 中学の担任より、「君が志望校に合格するなら、全員が合格するよ」と言われるほどの並の成績であったが、半田は、その言葉を、「みんなが合格するためには、自分が合格しなければならない」という励ましの言葉であると受け取る。そして、猛勉強の末、志望校に合格すると、担任より「お宅のお子さんは稀にみる素直な子ですね。教師生活20年で、初めて見ましたよ」と言われる。
  • 生涯不犯の誓いをたてており、生涯独身を通すことを決意している。
  • 「現代は、宗教の枠を超えて、広く活動していく必要があり、『理想社会』の達成という神仏や歴代の宗祖たちの悲願を継承し、新しい時代のあらゆる分野について、ご神意にかなう方向性を示し、締めくくりをすることが、自分に課せられた使命である」と発言している。また、一生のテーマを真善美をバランス良く学び、実践することとしている。
  • 世界救世教、大本教、道院紅卍会については、「魂のふるさととして大切にしたい」と発言している。

対人関係

  • 「同時通訳の神様」で知られる國弘正雄より、「現代のルネッサンスマン」と呼ばれ、多芸多才を表される。語学は、英語、中国語に堪能である。ちなみに、叔父が國弘氏と神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)で同じクラスだった。学生時代、國弘正雄のラジオ講座を聞いて、英語の練習をしていたということもあり、社会人になって出会ってから意気投合し、今も親交が深い。
  • 「ショートショートは阿刀田高さんが一番で、人間性のすばらしさが滲み出る、すがすがしい文体が好き」と戸渡阿見(ととあみ、自身のペンネーム)著『蜥蜴』の前書きエッセーにて記しており、対談も行った。
  • 神道関係者から最も尊敬を受けていた小泉太志命が、80歳を超えて病に伏した歳、側近に再三、半田を招くように命じた。自分から面会を求めたのは、半田が唯一の人であった。[22]

仏門

  • 比叡山にて在家得度、法名「東州」。
  • 臨済宗東福寺にて禅修業、居士名「大岳」。

公職

大学教授

役職/日本国内

  • 財団法人協和協会理事長
  • 時代を刷新する会理事長
  • 財団法人日印協会理事
  • 財団法人日本国際フォーラム理事
  • グローバルフォーラム経済人メンバー
  • 東アジア共同体評議会顧問
  • 社団法人日本紅卍字会副会長
  • 社団法人日本デザイナーズ協会理事
  • 一般社団法人 国際スポーツ振興協会(ISPS)会長
  • 特定非営利活動法人世界開発協力機構(WSD)総裁
  • 特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長
  • 特定非営利活動法人国際縄文学協会 会長
  • 特定非営利活動法人日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)名誉会長
  • 特定非営利活動法人日本インストラクタープロゴルフ協会会長
  • PGA・Handa Cup フィランスロピーシニアトーナメント大会 名誉会長
  • 日本エジプト芸術文化振興協会 会長
  • 株式会社ミスズ代表取締役社長
  • 予備校「みすず学苑」創設者学苑長
  • 株式会社たちばな出版代表取締役社長
  • 株式会社菱法律経済研究所代表取締役社長
  • 武蔵野メディカル株式会社代表取締役社長
  • 株式会社ジャパンペガサスツアー代表取締役社長
  • ワールドメイト代表役員

役職/米国

  • インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)代表〔国連経済社会理事会(ECOSOC)認可NGO、国連広報局認可NGO〕
  • 米国公益法人 The LEGENDS Tour(米国女子シニアゴルフ協会〔WSGT〕)会長
  • 米国公益法人シアヌーク病院副会長
  • 米国公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長

役職/イギリス・ヨーロッパ

  • 英国公益法人王立盲人協会(RNIB)副総裁
  • 英国公益法人 世界宗教対話開発協会(WFDD)理事 
  • 英国公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長
  • 「英国国教会聖職者のためのセント・ルークス病院」名誉副総裁
  • ロンドン普通科高校「ランバース・アカデミー」支援協賛者
  • インターナショナル・ピース・ファウンデーション(IPF) 顧問

役職/オーストラリア

  • 西オーストラリア盲人協会理事
  • オーストラリア人権委員会コミッティーメンバー
  • オーストラリアPGA終身名誉会員
  • オーストラリア公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長

役職/中国

  • 「造形舞台芸術創作及び学術研究成就賞」創立者[23]
  • 中国敦煌市文化経済顧問
  • 中国国立北京大学日本文化センター顧問
  • 北京梅蘭芳基金会理事長
  • 黒龍江省京劇院京劇振興協会会長
  • 中国合唱協会名誉理事長
  • 世界中国語合唱大会(東州杯)終身名誉主席

役職/カンボジア

  • カンボジア王国首相顧問(オフィシャル・アドバイザー)
  • 在福岡カンボジア王国名誉領事
  • アジア・エコノミック・フォーラム(AEF)会長
  • アジア宗教対話開発協会(AFDD)会長
  • 国立カンボジア平和協力研究所(CICP)総裁
  • カンボジア・日本ソサエティー会長
  • クメールルージュによるジェノサイドの被害者への補償、および追悼のための半田基金会長
  • アジア指導者センター(ALC)会長
  • 英字新聞カンボジアウィークリー会長
  • 東南アジアラジオ局会長
  • 東南アジアテレビ局会長
  • 「ワールドメイト未来の光孤児院」 会長

役職/その他

  • 1998年9月-世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)総裁[24]
  • ヨーロピアンシニアツアー アドバイザー
  • エジプト・日本芸術文化協会 役員
  • インターナショナル・ピース・ファウンデーション(IPF) 顧問

受賞歴

  • 日本国・紺綬褒章 
  • カンボジア・コマンドール友好勲章 
  • 中国・中国合唱事業特別賞
  • カンボジア前王国より、コマンドール友好勲章(外国人に与える最高賞)
  • カンボジア政府より、モニサラポン・テポドン最高勲章受章(福祉分野の最高賞)
  • カンボジア政府より、ソワタラ勲章大勲位受章(福祉分野の二番目の賞)
  • カンボジア政府推薦、新国王より、ロイヤル・モニサラポン十字勲章受章(教育分野の最高賞)
  • 西オーストラリア州芸術文化功労賞受賞
  • オーストラリア全国人権教育委員会より、国際名誉市民の称号授与
  • 西オーストラリア州首都パース市名誉市民
  • 西オーストラリア州スワン市名誉市民
  • アルバニア、ジロカストロ市名誉市民
  • 中国合唱事業特別貢献賞
  • オペラへの貢献により、ジョーン・サザーランド特別賞
  • 中国慈善賞10人にノミネートされ、中国国家民政部より表彰される
  • 中国児童慈善家として、中華全国婦女連合会所属、中国児童基金会より表彰される

ラジオ出演 

  • 今夜もウェルカム(ラジオ日本)1985年~現在終了
  • ハートのプラネタリウム(TBSラジオ)1988年10月15日~1991年9月
  • SEIZAN KENZAN(東海ラジオ)1991年10月12日~1993年3月
  • SEIZAN THIS WAY(FM福岡)1990年11月4日開始~1992年4月(名前とキー局を変えて続行。)
  • さわやかTHIS WAY(FM山口)1992年5月~放送中
  • オーバーヘッドカムRADIO(ラジオ日本)1995年4月~1997年4月
  • レオナルドTOSHUの遊びがNightNACK5)2009年4月~放送中、毎週土曜日 22:30-23:00
  • 青山二丁目 太まん飯店」(文化放送)2010年7月〜放送中、毎週金曜日 25:00-25:30

テレビ出演 

  • BS11/TOKYO MXテレビ『千客萬来』その壱小林旭 その弐小林旭
  • BS11『本格闘論 FACE』、モデレーター、コメンテーター出演。
「日米同盟50周年 次の50年への展望と課題」2010年6月4日
「富士山とピラミッドに懸ける橋」2010年1月31日
「FACEスペシャル どうする日本外交」 2009年7月5日
「緊急特集! 北方四島返還を考える」 2009年5月10日
「緊急特集!!北方4島返還を考える 『4島返還』がなぜ揺らぐのか?」2009年5月3日

特別番組

  • 「オペラ ゼウスの化身 ドン・ジョヴァンニ
  • 「2008 PGA Handa Cup フィランスロピーシニアトーナメント」
  • 「オペラ 大江戸版好色男のファルスタッフ」
  • 「女子シニアゴルフ フロリダの熱戦!~第2回 HANDA CUP USA~」
  • HANDA CUP「第41回 全日本プロボウリング選手権大会」「第39回 全日本女子プロボウリング選手権大会」
  • 「2007 HANDA CUP LEGENDS TOUR OPEN CHAMPIONSHIP」

他多数。

ポッドキャスティング&ムービー配信 

2009年10月23日より、「"レオナルドTOSHUの年中非日常的"ポッドキャスティング」として、人生相談などのオリジナルコンテンツが毎週されている。レオナルドTOSHUの年中非日常的ポッドキャスティングの配信登録も出来る。2009年12月7日より、"レオナルドTOSHUの年中非日常的"ザ・ムービーとして、コンサート映像動画などを毎週配信している。

作品

書籍

著書は230冊を超える。音楽CDは85本、DVDは20本リリース。宗教書に限らず、宗教・芸術・人生論、文明論、ビジネス書その他、分野は多岐にわたる。主な著作は、420万部(2010年4月)を売り上げ7カ国語に翻訳された「強運」などがある。

宗教論

  • 「神界からの神通力」 たちばな出版(1990/6)---日本文芸社(1985/12) の改訂版
  • 「強運」 たちばな出版(1990/12)---扶桑社(1986/3) の改訂版
  • 「神霊界」 たちばな出版(1991/11)---日本文芸社(1986/9)の改訂版
  • 「恋の守護霊」 たちばな出版(1991/12)---「愛の守護霊」扶桑社(1986/11)の改題、改訂版
  • 「大金運」 たちばな出版(1991/6)---扶桑社(1986/12)
  • 「大天運」 たちばな出版(1991/9)---廣済堂出版(1987/8)の改訂版
  • 「大除霊」 たちばな出版(1992/5)---角川書店(1989/5) の改訂版
  • 「大創運」 たちばな出版(1993/5)---角川書店(1987/12) の改訂版

他多数。

福祉論・教育論・学術書

  • 『ブラインド(視覚障害者)の皆さん、外へ出てゴルフをしよう!』たちばな出版(2006/4)
  • 『下手な英語の話し方―入門の入門・英会話』たちばな出版(単行本 - 2000/1)
  • 『今まで誰も説かなかった大学入試合格の秘訣!―受験生と保護者のために』たちばな出版(2005/3)
2003年2月~2005年2月まで、産経新聞で連載した受験生と保護者のための教育論。
  • 『美術と市場―日本と中国の美術品交流と変遷からの視点』たちばな出版(2007/10)
  • 『Understanding Japan』[25]

経営論

  • 『「日本型」経営で大発展』 たちばな出版
  • 『中小企業の経営の極意』 たちばな出版(1998)
  • 『ビジネス成功の極意』 たちばな出版(1998)
  • 『経営と未来予知―楠木正成の経営術 』  たちばな出版(1998/12)
  • 『絶対成功する経営』 たちばな出版
  • 『成功経営の秘訣』 たちばな出版
  • 『本当に儲かる会社にする本』 たちばな出版(1996/9)
  • 『営業力で勝て!企業戦略』 たちばな出版(2001/8)
  • 『経営者よ気概を持てー成功する実践経営論』 たちばな出版 (2005/7)
2001年10月~2005年1月まで、週刊文集で連載した経営論。

他多数。

エッセー等

  • 『解決策―瞬間に悩みが消える本』(単行本 - 1995/2)
  • 『運命とは何だ』 たちばな出版(1995/7)
  • 『幸せを運ぶ宝石の伝説』 たちばな出版(1995/10)
  • 『死ぬ十五分前に読む本』 たちばな出版(1995/10)
  • 『日本経済大発展の理由』  たちばな出版(1995/12)
  • 『人類が生まれた秘密をあかす』 たちばな出版(1996/3)
  • 『自分を変えれば未来が変わる』 たちばな出版(1996)
  • 『深見東州爆笑対談』 たちばな出版 (1996/12)
  • 『全国の開運神社案内』 たちばな出版(1997/2)
  • 『五十すぎたら読む本』  たちばな出版(1997/7)
  • 『こどもを持ったら読む本』 たちばな出版(1997)
  • 『超一流のサラリーマン・OLになれる本』 たちばな出版(1998/2)
  • 『幸運を呼ぶ花 百選 花の伝説』 たちばな出版
  • 『生命の神秘 動物の伝説[犬猫篇]』 たちばな出版
  • 『観葉植物の伝説』 たちばな出版(1998/8)
  • 『開運! フラワーヒーリング』 たちばな出版
  • 『願いがかなう! 星座の伝説』 たちばな出版(1999/12)
  • 『よく分かる霊界常識―恋愛から先祖供養まで』 たちばな出版 (1998/12)
  • 『コルゲン講話集―心が風邪をひいたあなたに』 (1999/3)
  • 『こんな恋愛論もある』 たちばな出版(2000/6)
  • 『本当の愛とはなにか?』 たちなば出版 (2006/8)
  • 『3分で心が晴れる本』 たちばな出版(2008/5)
  • 『たちまち晴れるその悩み!』 たちばな出版(2008/10)

他多数。

画集 書画集

  • 『深見東州 自選画集』(日本図書館協会選定図書[6]) 求龍堂(2010/8)
  • 『深見東州画集』 求龍堂(2001/3)
  • 『書画 深見東州』 求龍堂
  • 『創作 深見東州』 求龍堂
  • 『深見東州 日本画の世界』 たちばな出版(1999/8)
  • 『深見東州 書の世界』たちばな出版(1999/8)
  • 『深見東州 書画集1』 たちばな出版(1997/9)
  • 『TOSHU FUKAMI ART WORKS』 たちばな出版
  • 『深見東州 油絵、水彩、アクリル、色鉛筆、墨彩、書、陶芸創作 A Creation of Toshu Fukami』文化芸術出版社(中国)

小説(脚本) 絵本(文) 詩集

作品については戸渡阿見をご覧ください。

俳句集(句)

  • 第一句集『かげろふ』たちばな出版 (2000/4)
  • 第二句集『新秋』たちばな出版 (2009/2)
  • 『ディズニー俳句集 四季』たちばな出版(2002/3)
  • 『風はグリーンに吹いてきて』(写真・横井隆和)たちばな出版(2002/7)
  • 『海はブルーにいきいきと』(写真・横井 隆和)たちばな出版 (2002/7)
  • 『父よ母よ、僕は元気です』(写真・横井隆和)たちばな出版(2003/1)
  • 『山はピンクに花もよう』(写真・横井隆和)たちばな出版(2003/5)
  • 『冬の山、ホワイトチョコをかけました』(写真・横井隆和)たちばな出版(2004/3)
  • 『墨汁の詩―句・書・水墨画集』(水墨画・安永麦州) たちばな出版(2008/7)


ギャグ集

  • 『深見東州のギャグ大爆発!』 たちばな出版(1997/10)
  • 『深見東州のウルトラギャグ大爆発!!』 たちばな出版(1999/7)
  • 『ポパイの心があたたまるさむい本』 たちばな出版
  • 『ベティーの心があたたまるさむい本』 たちばな出版
  • 『深見東州「ギャグ写真集」』 たちばな出版

気学

  • 『ネコにも分かる気学入門』 たちばな出版(2002/3)
  • 『誰でもできる気学鑑定』 たちばな出版(2005/2)

謡曲・道歌集

  • 『ヤマトタケルノミコト―即興謡曲』たちばな出版 (2002/6)
  • 『歌の調べに魂が宿る 勇気が出る東州道歌』 たちばな出版(2003/12)

レシピ集

  • 『プーさんのおいしいレシピ集 たまごの料理』 たちばな出版
  • 『プーさんのおいしいレシピ集 ごはんの料理』 たちばな出版
  • 『プーさんのおいしいレシピ集 飲み物』 たちばな出版

神道

  • 『古神道入門―吾郷清彦・松本道弘・深見東州鼎談集』 たちばな出版(2000/10)
  • 『神道の祭り』神道国際学会篇 たちばな出版(2003/11)
  • 『皇室と伊勢神道』神道国際学会篇 たちばな出版(2003/12)

他多数。

コミック監修

  • 『成功の道』 (絵・人見倫平、 古城武司) たちばな出版 (1995/6)
  • 『恋愛・結婚物語―恋が成就できる秘密の本』(絵・RYO、あいざっく蕪殷) たちばな出版(1995/10)
  • 『守護霊が動けば運命は変わる』 (絵・望月あきら、 ほしのちあき) たちばな出版 (1996/2)

他多数。

DVD(VHS)

オペラ

  • オペラ「魔笛」ザラストロ役/創作バレエ「顕現」 たちばな出版(1900/01)
  • オペラ「俊寛」能バレエ「黎明」付祝言「高砂」総監督/平判官入道康頼役/歌・剣舞/仕舞・謡 たちばな出版(1997/03)
  • オペラ・バレエ『やまとは国のまほろば』ヤマトタケル役(バレエ出演)/神笛演奏 たちばな出版(1999/02)
  • 創作 能・バレエ『羽衣』白竜役(能・バレエ出演) たちばな出版(1999/02)
  • オペラ『聖徳太子』総合プロデューサー/厩戸皇子(聖徳太子)役 たちばな出版(2006/07)
  • オペラ『元禄のトラヴィアータ』総合プロデューサー/慈兵衛流門(ジェルモン)役 たちばな出版(2006/07)
  • 新作「『西遊記・孫悟空』能楽とバレエと京劇の共演」唐王・土蜘蛛・釈迦役 たちばな出版(2006/10)
  • スーパーオペラ『楊貴妃』全中国語上映 総監修/赤雄役(2006/12)
  • オペラ『大正時代のボエーム』総合プロデューサー/磨千絵浪(マルチェッロ)役 たちばな出版(2006/07)
  • オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』総合プロデューサー/日賀朗(フィガロ)役 たちばな出版(2006/01)
  • オペラ『リゴレットinジャパン』総合プロデューサー/詈業劣徒(リゴレット)役 たちばな出版(2006/12)
  • オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』総合プロデューサー/春舌夫(ファルスタッフ)役 たちばな出版(2009/06)
  • オペラ「ゼウスの化身 怪人ドン・ジョヴァンニ」総合プロデューサー/貪・女蛮兄(ドン・ジョバンニ)役 たちばな出版(2010/03)

  • 『仕舞・舞囃子・笛 シテ・笛 深見東州』 たちばな出版(2010/07)
仕舞「藤」「鶴亀」、舞囃子「鞍馬天狗」「田村」、一噌流笛方デビュー 舞囃子「胡蝶」。
  • 能「猩々」シテ(猩々)
1996年6月29日「鹿嶋・薪能と狂言の夕べ」での演能を収録。
  • 能「羽衣」シテ(天人) たちばな出版(2010/07)
1996年11月9日「芸術のあき 演能鑑賞会」での演能を収録。
  • 能「竹生島」前シテ(漁翁)、後シテ(龍神) たちばな出版(2010/07)
1997年3月22日「熊野本宮大社奉納 薪能と狂言の夕べ」での演能を収録。
  • 能「西王母」シテ(西王母) たちばな出版(2010/07)
1997年6月27日「97年鹿島灘 薪能と狂言の夕べ」での演能を収録。
  • 能「橋弁慶」シテ(武蔵坊弁慶) たちばな出版(2010/07)
1997年10月10日「97年箱根神社奉納 箱根薪能」での演能を収録。
  • 能「嵐山」前シテ(尉)、後シテ(蔵王権現) たちばな出版(2010/07)
1998年3月13日「金沢チャリティ演能会」での演能を収録。
  • 能「高砂」前シテ(尉)、後シテ(住吉明神) たちばな出版(2010/07)
1998年6月26日「第一回 東京大薪能」での演能を収録。
  • 半能「養老」シテ(山神) たちばな出版(2010/07)
1998年7月29日「笛の会」での演能を収録。
  • 能「藤」前シテ(里女)、後シテ(藤の精) たちばな出版(2010/07)
1999年6月1日ニューヨークメトロポリタン美術館での演能を収録。
  • 半能「石橋」シテ(赤獅子) たちばな出版(2010/07)
1999年8月3日中国浙江省音楽庁での演能を収録
  • 能「岩船」前シテ(童子)、後シテ(龍神) たちばな出版(2010/07)
1999年9月28日東京都庁都民広場での演能を収録。
  • 能「乱」シテ(猩々) たちばな出版(2010/07)
2000年9月6日中国戯曲学院での演能を収録
  • 能「土蜘」前シテ(僧) たちばな出版(2010/07)
2000年10月17日「第三回 東京大薪能」での演能を収録。
  • 半能『石橋 連獅子』シテ(白獅子) たちばな出版(2010/07)
2001年6月1日エジプトアラブ共和国ギザスフィンクス前での演能を収録。
  • 能「翁」シテ(翁) たちばな出版(2010/07)
2002年9月29日大阪能楽会館での演能を収録。
  • 能「鶴亀」シテ(皇帝) たちばな出版(2010/07)
2003年9月30日お台場潮風公園での演能を収録。
  • 半能「田村」シテ(坂上田村丸の霊) たちばな出版(2010/07)
2004年8月8日梅若能楽学院会館での能演を収録。
  • 半能「鞍馬天狗」シテ(大天狗) たちばな出版(2010/07)
2006年1月23日カンボジアアンコールワットでの演能を収録。
  • 半能「項羽」シテ(項羽) たちばな出版(2010/07)
2006年9月27日お台場潮風公園での演能を収録。
  • 『能解説』~初めて能をご覧になる方へ~ たちばな出版(2010/07)
2007年「第十回東京大薪能」、2008年「第十一回東京大薪能」、2009年「第十二回東京大薪能」での解説を収録。

  • 『心ときめく廣田神社奉納演奏』(2007/9)
  • 『2007年箱根神社奉納演奏』(2008/04)
  • 『2007年鹿島神宮奉納演奏』(2008/04)

指揮

  • 『交響曲箱根神社』(2008/12)
  • 『中東和平コンサート』

他多数。

CD

アルバム
  • 『日本の歌』日本歌曲集 唄・絵・題字(2009/06)
  • 『日本の心』日本歌曲集 唄・絵・題字(2009/06)
  • 『ダニーボーイ』(2007/5)
  • 涙そうそう』(2007/5)
  • 『深見東州のクリスマスソング集』(2007/12)
  • 『アメリカンポップス&JPOPS・ライブ名曲集』(2008/06)
  • 『雨の中のバラード』詞・曲・唄・表紙絵 (2008/12)
  • 『深見東州クラシックベストセレクション』(旧タイトル:オー・ソレ・ミオ)バリトン(2008/12)
シングル

他多数。

作曲・作詞

  • 小林旭『ジダンダ!』作詞・作曲

他多数。

参考文献

  • 磯崎史郎 『深見青山 その天才の秘密をさぐる』 勁文社、1991年。
  • 大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年。
  • 島薗進 「情報化と宗教 ー現代宗教の変容ー」『思想』NO.817、岩波書店1992年。
  • 島薗進 「シンポジウム記録・情報化社会と人間」『社会情報研究所 紀要』 NO.48、東京大学、1994年12月20日。
  • 沼田健哉 『宗教と科学のネオパラダイム』 創元社、1995年。
  • 井上順孝対馬路人西山茂他 『新宗教 教団・人物事典』 弘文堂、1996年。
  • 吾郷清彦・松本道弘・深見東州 『古神道入門』 たちばな出版、2000年。
  • 島薗進「ポストモダンの新宗教」 東京堂出版、2001年9月25日。
  • 『深見東州 Profile 2008年度版』2010年。

脚注

  1. ^ SIHANOUK HOSPITAL CENTER OF HOPE 公式サイト
  2. ^ シアヌーク病院」在福岡カンボジア王国名誉領事館(公式サイト)。
  3. ^ 毎年、お金と米を手渡す際、「ポルポトを恨むことなく、自分の運命を呪うことなく、全てを許しましょう。そうすれば、自分自身が救われます。この半年分の収入とお米で全てを償うことは不可能です。しかし、許して下さい。そうすれば、きっと不幸と不運に見舞われた自分の過去が洗われ、これから活きる勇気と元気が出てくるはずです。そして、皆さん、必ず幸せな余生を送って下さい」という主旨のスピーチをしている。そして、一人ひとりにお金を渡しながら、クメール語で、「アーユー、ウエーンナホール。コンプロンプレーン。(長生きして下さい。元気出してね!)と声をかけている。この様子は、毎回、カンボジアのテレビで放映され、国民に感動と勇気を与えている。
  4. ^ 世界中に愛をワールドメイトの主な公益活動」(公式サイト)。
  5. ^ 『オペラ ゼウスの化身 怪人ドン・ジョヴァンニ』(2009年11月3日放送)より。
  6. ^ a b c 選定図書とは、各専門分野から日本図書館協会より任命された約50名の選定委員が現物一冊一冊に目を通し、公共図書館に適している本として選択されたものである。年間6万点以上の新刊本のなかから平均16パーセントの書籍が選定図書に選ばれている。
  7. ^ 緊急アピール『対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない』 」 財団法人 日本国際フォーラム、2009年4月30日閲覧。
  8. ^ 北方領土4島返還を考える『紙面広告』を掲載」 WSD世界開発協力機構、2009年5月11日閲覧。
  9. ^ http://www.jfir.or.jp/j/pr/pdf/32.pdf 日本国際フォーラム第32政策提言『積極的平和主義と日米同盟のあり方』] 」 財団法人 日本国際フォーラム、2009年10月30日閲覧。
  10. ^ 祖父の代に、家業に翳りが生じ父・利晴は、精神的に恵まれぬ少年時代を過ごしていた。特攻隊に志願するも、出撃直前に終戦を迎える。このとき、仲間が死に、自分だけが生き残ってしまったという経験が、利晴の精神にいっそう複雑な陰を与えた。その後、利晴は志保子と結婚したが、家業の家屋敷・工場などは、空襲でことごとく灰燼に帰していたため、やむなく大学進学を志す。主席で関西学院大学に入学するも、在学中に左翼思想に傾倒。自治会委員長として学生運動の先頭に立っていたという活動歴と、妻子持ちであることが災いし、一般企業への就職を拒まれる。さらに、左翼政治家秘書となり、政治を志すが、選挙に次点で落選すると、左翼活動にも絶望する。父・利晴は、特攻くずれ、左翼運動、右翼活動と、右に左に揺れる波乱万障な青年であり、晴久とは対照的な性質であった。(大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年、60-61頁。)
  11. ^ 「過去の偉人たちは、みな人類のために大いなる遺産を残そうと思って頑張った。今の偉人たちもそうだ。とすれば、いずれこの世に偉人たちの遺産が積み上げられ、理想の社会が出現するに違いない」と晴久が日記に書き、担任の先生に花丸をもらっている。(大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年、62頁より。)
  12. ^ a b c d e 大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年。
  13. ^ 磯崎史郎 『深見青山 その天才の秘密をさぐる』 勁文社、1991年。
  14. ^ 救世教のお守りである「お光り」を教会から授かった彼は、嬉々として胸にかけ、家路に向かったが、翌日、胸に激痛を覚え、教会へ駆け込んだ。長方形のお守りをはずして見ると、その陰の部分になっていた胸の皮膚が、火傷を負ったように長方形に赤く腫れ上がっていた。教会の幹部たちは、晴久の胸に目をやり、嘆息する他はなかった。何かの証(あかし)であるにちがいないが、それが何であるかを見極めることができなかったのだ。(大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年、63頁より。)
  15. ^ 「神様のための活動もいいですが、日頃の生活基本です。キミには、お父さんとの葛藤があるようだけれど、まず自分の家庭を立て直すことを考えてごらんなさい」と教会長に言われる。(大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年、63頁より。)
  16. ^ 松本マツ子が、晴久の勉強ぶりや宗教に対するまごころと捨て身の姿勢を大いに認めたとき、松本の背後にある神棚からパチーンという柏手を打つような音が聞こえる。驚愕する晴久に対し、「神様も、あなたに賛辞を送られているのです」と松本が告げたというエピソードがある。(大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年、68-69頁より。)
  17. ^ 大学4年のとき、同志社女子大の付属高校のESSのコーチを引き受ける。優勝するにはほど遠い実力であったが、半田の全国弁論コンクールに出場する女学生に、「君は優勝するよ」「君は3位だな」「君は5位に入賞する」と予想すると、見事にその通りになるという経験を通し、「他人のために祈りを捧げて神がかる」という法則を体得する。(磯崎史郎『深見青山 その天才の秘密をさぐる』 勁文社、1991年、192-195頁。)
  18. ^ 大和ハウス工業に、朝出社すると、そのまま道院紅卍字会で学問を研鑽し、夕方に会社に戻り、デスクワークをするという日々が続く。しかし、神業を言い訳に仕事をおろそかにしてはいけないと、わずかな時間を神に祈りつつ、必死に仕事をした結果、1年目から受注を軒並みとって、トップの成績に躍り出る。(磯崎史郎『深見青山 その天才の秘密をさぐる』 勁文社、1991年、195-198頁より)
  19. ^ 半田の審神の前に、『紅卍字会』に通いつめていたすべての霊能者が敗れ去り、半田晴久の名が轟き渡った頃、神の「汝は神の道を選ぶのか。現世での仕事の道を選ぶのか」という声を聞く。「神の道です」と半田が即答すると、「ならば、『紅卍字会』にあって研鑽に励め。まもなく、ある人物が汝を迎えに来る。その者に従い進むことが、汝の終生の仕事になるはずだ」という神託を聞く。(大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年、71-73頁より。)
  20. ^ 任天(にんでん)の導師とは、天がその人にすべてをまかす人間界、天上界ふたつながらの指導者という意味である。(大原一浩 『なぜ、人は神を求めるのか』 詳伝社〈NON・BOOK〉、1992年、73頁より。)
  21. ^ 植松が自身が受けた神示を謡うと、半田が「私が伴奏をしましょう」と学生時代から習っていた横笛で伴奏をする。植松はかねてから、「やがて笛吹き童子がやってくる。その若者に全てを伝えるがいい。その人物が仕組みの担い手となり、この道を世に正しく広めていくだろう」という神示を受けていた。半田は、神示により能管を習っており、会社では、「笛吹き童子」というあだ名をつけられていた。(磯崎史郎『深見青山 その天才の秘密をさぐる』 勁文社、1991年、152-153頁より)
  22. ^ 小泉は、枕元に半田を招き、「よくぞ、きてくれた。あなたには一点の私心もない。私はあなたの本を全て読み、いつも枕の下に置き、あなたのテープを聞いて過ごしていました。今後の日本神道、伊勢の霊性、皇室の命運、そしてわが国の国運は、あなたの双肩にかかっております。今生、肉体がある間にあなたにお目にかかれてこんなにうれしいことはない。あなたが世に出たということは、神はかんながらの道と日本を見捨てなかったということだ。よろしく頼みますよ。」と涙ぐんで声を震わせながら言った。また、小泉は「私はなんで半田晴久を評価するかわかるかね。私は行によって霊力を得たが、彼は何の行もなくてあれだけの大神通力を楽々と持っている。ということは、あの人はもともと神様の生まれ変わりであり、死んで神界にお帰りになる方だからである。そういう方と縁ができたということを感謝しなければならない。」と遺言を残した。それから一ヶ月後に、小泉は息を引き取った。(磯崎史郎『深見青山 その天才の秘密をさぐる』 勁文社、1991年、227-230頁。)
  23. ^ 2001年、中国の伝統文化の振興と繁栄を目的として、中国国家文化部に設立。毎年、美術・書道・古典芸術や芸能など特筆すべき創作や研究において素晴らしい成果をあげた芸術家と研究者を選考し、表彰するというもの。国家によるこのような表彰制度は、中国においてはこれが初めてで、日本の人間国宝制度に値する
  24. ^ 米国、英国、豪州、カナダ、日本など、世界11カ国のブラインドゴルフ協会が加盟
  25. ^ コロンビア大学宗教学部神道講座テキストとして使用された。

関連項目

外部リンク