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田出井山古墳(たでいやまこふん)は、大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町にある古墳。形状は前方後円墳百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つ。

田出井山古墳
Tadeiyama Kofun zenkei-2.jpg
墳丘全景(右に前方部、左に後円部)
(堺市役所21F展望ロビーより)
所属 百舌鳥古墳群
所在地 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
位置 北緯34度34分32.65秒
東経135度29分18.31秒
座標: 北緯34度34分32.65秒 東経135度29分18.31秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長148m
高さ14.8m(前方部)
埋葬施設 不明
出土品 埴輪など
築造時期 5世紀中頃
被葬者宮内庁治定)第18代反正天皇
陵墓 宮内庁治定「百舌鳥耳原北陵」
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反正天皇百舌鳥耳原北陵 拝所

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)」として第18代反正天皇に治定されている。

目次

概要編集

百舌鳥古墳群の北端に位置し、墳丘長148メートルで百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさである[1]。墳丘は3段に築かれ、かつては二重濠があったと確認されている。墳丘の形態や出土した埴輪より、5世紀中頃に造築されたと考えられている[1]。周辺には陪塚と推定される鈴山古墳・天王古墳があり、宮内庁が管理している[1]

反正天皇の陵墓に比定されて宮内庁によって管理されているが、江戸時代の絵図等では「反正天皇陵」「楯井陵」の表記が見られる。楯井は当地の広域地名でもある向井の別称で、田出井に転じたとされる。北東角に方違神社がある。

天皇陵に比定されている百舌鳥耳原三陵のなかで、他の2つの古墳(大仙陵古墳上石津ミサンザイ古墳)と比べて規模がかなり小さいことから、反正天皇陵であることを疑問視する意見も多く、宮内庁も土師ニサンザイ古墳(田出井山古墳よりも大きい)を反正天皇の陵墓参考地にしている。

1869年(明治2年)の測量である「反正帝御陵外廻り分見略図」が堺市立図書館に残る[2]

出土品編集

出土品として挙げられるものは、瑪瑙製勾玉、須恵器台がある。また、原位置を保っていないが円筒埴輪、形象埴輪(蓋型埴輪、家形埴輪、人物埴輪の手の部分)が出土している。出土した埴輪の特徴から五世紀後半でも古い段階のものであるとされている。反正天皇陵古墳の後円部北東側から円筒埴輪が多く出土している[3]

規模編集

各古墳の規模は次の通り[1][4]

  • 田出井山古墳
    • 墳丘長:148メートル
    • 後円部 - 3段築成
      • 直径:76メートル
      • 高さ:13メートル
    • 前方部 - 3段築成
      • 幅:110メートル
      • 高さ:14.8メートル
  • 鈴山古墳
    • 墳丘長:22メートル
    • 高さ:3メートル
  • 天王古墳
    • 墳丘長:11メートル
    • 高さ:3メートル

周濠編集

墳丘は一重の周濠で囲まれているが、元は二重濠になっており、この二重濠については1980年(昭和55年)と1987年(昭和62年)に堺市教育委員会と宮内庁の調査によって確認されている。また、内濠と外濠との間の内堤が約23メートル、外濠幅が約11.5メートルであった[5]

交通アクセス編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d 百舌鳥古墳群(堺市) & 2014年, p. 13.
  2. ^ 反正帝御陵外廻り分見略図”. 2018年7月14日閲覧。
  3. ^ 『堺市文化財調査概要報告 第1冊』堺市教育委員会、1990年。
  4. ^ 「ザ・古墳群」制作委員会『ザ・古墳群〜百舌鳥と古市全89基』中島淳、2018年、103頁。
  5. ^ 水野正好 ほか『「天皇陵」総覧』菅 英志、150頁。

参考文献編集

  • 『堺の文化財 百舌鳥古墳群』堺市文化観光局文化部文化財課、2014年。

外部リンク編集