田辺一郎
田辺 一郎(たなべ いちろう、1938年8月1日 - )は、将棋棋士。1999年、引退。松下力九段門下。棋士番号は91。東京府東京市(現:東京都江東区[1])出身。
田辺一郎 七段 | |
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名前 | 田辺一郎 |
生年月日 | 1938年8月1日(84歳) |
プロ入り年月日 | 1965年4月1日(26歳) |
引退年月日 | 1999年3月31日(60歳) |
棋士番号 | 91 |
出身地 | 東京府東京市(現:東京都江東区[1]) |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 松下力九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 田辺一郎 |
戦績 | |
通算成績 | 296–516 (.365) |
竜王戦最高クラス | 5組 |
順位戦最高クラス | C級2組 |
2017年8月25日現在 |
棋歴編集
1962年度後期奨励会A組に入り、5期目となる1964年度後期奨励会A組で、11勝1敗の抜群の成績で関東優勝。関西優勝者の桜井昇の優勝が2度目(1度目は東西決戦でA組に陥落していた橋本三治に敗北)であったため、東西決戦は行われず、1965年4月1日付けで田辺と桜井が同時に四段昇段(プロ入り)をした。
初参加から4期目の第23期(1968年度)C級2組順位戦において、8勝4敗の成績で次点。これが田辺にとって、順位戦における最高成績である。このときのC級2組は総勢16名で、その中には後にA級八段となる桐山清澄、勝浦修、森安秀光、森雞二がいた。田辺は森安と森に勝ち、桐山に負けた。昇級者は桐山と勝浦であった。
1973年度、第1回名将戦で予選を突破。1974年度に行われた本戦では、1回戦で加藤一二三九段を破るが、2回戦で中原誠名人(三冠)に敗れる。なお、同棋戦では第3回、第4回、第7回、第13回でも本戦出場している。
1976年度、第9回日本将棋連盟杯争奪戦で4回戦に進出。米長邦雄八段に敗れる。
第32回(1982年度)NHK杯戦で本戦出場。1回戦で有吉道夫九段を破る。
第48期(1989年度)C級2組順位戦で、初参加から24期目にして1勝9敗で初の降級点を喫し、49期は全敗、50期は1勝9敗と3期連続降級点となり順位戦から陥落。フリークラス在籍中の1998年度に満60歳となり、現役を引退。
棋風編集
居飛車、振り飛車のどちらも指し、主に矢倉、中飛車、四間飛車を採用した。
若手時代は、いったん戦いになると止まらない斬り合いの将棋が多かった。
昇段履歴編集
主な成績編集
通算成績 296勝516敗
在籍クラス編集
- 竜王戦 自己最高5組
- 順位戦 自己最高C級2組
表彰編集
- 現役勤続25年表彰(1990年)