秋元 ともみ(あきもと ともみ、1967年12月1日 - )は、日本AV女優歌手タレント

あきもと ともみ
秋元 ともみ
プロフィール
別名 秋元 知美
秋元 とも美
生年月日 1967年12月1日
現年齢 56歳
出身地 日本の旗 日本北海道旭川市
血液型 O型
公称サイズ[いつ?]
身長 / 体重 163 cm / 49 kg
BMI 18.4(低体重)
スリーサイズ 83 - 58 - 85 cm
単位系換算
身長 / 体重 5 5 / 108 lb
スリーサイズ 33 - 23 - 33 in
活動
ジャンル アダルトビデオ
出演期間 1986年 - 1989年
専属契約 宇宙企画
他の活動 タレント
テンプレートを表示

北海道旭川市出身[1][注 1]。ビデオデビュー以前は秋元知美、秋元とも美の表記もあり[3][4]、一部の雑誌プロフィールでは「本名、秋元知美」の記述がある[2]

経歴 編集

北海道旭川市生まれ、東京都小平市を経て、千葉県松戸市で育つ[1][5]。高校在学中の1985年原宿でスカウトされ、ファッションモデルとして活動する[1]1986年1月、全日本ビデオソフト協会主催による「ビデオクィーンコンテスト」で審査員特別賞を受賞し[6]、同年4月に宇宙企画より『卒業します』でAVデビュー[7]。宇宙企画との間で当時のAV業界では異例だった専属契約を結び[8]、同時期に専属女優となった麻生澪早川愛美とともに、同社がAVアイドル路線、いわゆる「宇宙少女」路線へと踏み出すきっかけを作った[7]

セーラー服3部作 編集

デビュー作、2作目『青空に星いっぱい』、3作目『少女神話』の初期3作、通称『セーラー服3部作(卒業3部作)』では、いずれも宇宙少女路線を主導したさいとうまことが監督を務めた。各作品はいずれもさいとうが思い描く『ちょっと悲しげな少女像』(さいとう)の演出に重点が置かれ、当時主流の「本番生撮り」路線とは一線を画したアイドル路線のビデオとして仕上げられた[9]。特に『青空に星いっぱい』では、AVとしては異例の10日間にわたる尾道でのロケによって、大林宣彦の映画に通じる作品性を打ち出すとともに、秋元がビデオの中で主題歌を歌うなど、そのアイドル性が強調された[10]。一方で性行為の描写は最低限に止められ、『青空に星いっぱい』では、成人指定がなされているにもかかわらず、カラミのシーンは完全に排除された。デビュー作と『青空に星いっぱい』はいずれも2万本近い売り上げを記録するヒットとなり、[9]AV誌『オレンジ通信』では小林ひとみらをおさえ、1986年度の読者人気投票で1位を獲得した[11]。AVでの活動と並行してグラビア活動も活発に行い、週刊プレイボーイ平凡パンチといったメジャー誌の表紙を飾った。

芸能界進出 編集

1987年に入ると、所属事務所のトゥーリードや宇宙企画の主導により、芸能界への進出に焦点を合わせた活動を本格的に展開した[12][13]。『オールナイトフジ』のレギュラーを務めたり[8]映画に出演、6月にはシングル『少女神話』で歌手デビューも果たした。同年秋の学園祭シーズンには多くの大学でステージに立ち、12月にはAV女優としては初めてとなるLP『少女が神話を創る時』も発売された。しかし活発なプロモーション活動にもかかわらず、レコードがヒットチャートにのぼることはなく[注 2]、AV出演が減少したため、1987年後半にはAV誌での人気投票における人気にも翳りが見えるようになった[注 3][注 4]

活動休止〜復帰〜引退 編集

1988年1月、所属事務所のトゥーリードが労働者派遣法職業安定法違反の容疑で摘発された[8][15]。秋元は賃金を含めた活動の内情をさかんに報道されたばかりか、同年3月のトゥーリードの解散により、芸能界での活動の道筋を断たれることとなった[16]。11月になり、ようやく本格的なカムバック作となるAV『SUSPICION』がリリースされたが、業界の主流がよりハードな本番路線となる中で、以前ほどの話題を呼ぶことはなかった[10]1989年の復帰2作目『MY HAPPINESS』もソフトな内容に対し冷淡な批評が多く[17]、結局十分な人気回復を果たすことができないまま、同年にはAV業界からも引退した。引退のコメントが収められた『ブルーレディに赤いバラ』には3Pのシーンもあり、秋元としてはハードな内容のビデオとなっている[18]。同作の発売後に、前年に撮影されていた[12]さいとうまこととの再コラボレート作品、『ともみ咲く道』が発売された。 引退後はキャバクラなどで働いた後、介護士の資格を習得[8][19]

作品 編集

アダルトビデオ、イメージビデオ 編集

オリジナル作品 編集

  • 卒業します(1986年4月12日、宇宙企画
  • MAGAZINE VIDEO マドンナ 第3号(1986年8月13日、宇宙企画)
  • 青空に星いっぱい(1986年10月23日、宇宙企画)
  • 少女神話(1987年3月13日、宇宙企画)
  • 風─いつか見た少女のように(1987年12月1日、Friends
  • レジェンドオブマーメイド 人魚伝説(1988年7月27日、笠倉出版社)
  • SUSPICION(1988年11月10日、SOUTHERN CROSS VIDEOARTS(フェニックス))
  • サマー・フェイス(1988年11月24日、ピラミッド
  • MY HAPPINESS(1989年2月25日、SOUTHERN CROSS VIDEOARTS(フェニックス))
  • サマーウェディング(1989年2月28日、パワースポーツ
  • ブルーレディに赤いバラ(1989年5月20日、NICE ONE)
  • ともみ咲く道(1989年7月2日、宇宙企画)
  • 秋元ともみスペシャル in Phuket(1989年10月、コアラブックス)

主要編集作品 編集

  • Close My Heart─さようならの向こう側(1989年8月10日、NICE ONE) 復帰後作品の総集編
  • Hな気分で(1989年9月1日、Five Stars(AV JAPAN))『SUSPICION』、『MY HAPPINESS』の再編集版(未使用カット含む)
  • 夜に抱かれて(1989年10月6日、ASTRO(笠倉出版社))『Hな気分で』の書店売り再編集版
  • ラストメッセージ(1990年3月24日、英知出版)『青空に星いっぱい』、『風』の再編集版

一般映画 編集

ドラマ 編集

バラエティ番組 編集

シングル 編集

    _イタリアのポップトリオ:インビシブル(Invisible)の「シックス・ツー・エイト(Six Two Eight)」のカバー。

  • おととしのイヴ c/w 卒業します(1987年10月25日、ポリドール)

アルバム 編集

  • 少女が神話を創る時(1987年12月1日、ポリドール)

カセット 編集

  • マドンナメイトカセット 秋元ともみ 恥ずかしい告白(1988年10月25日、二見書房)

書籍 編集

写真集 編集

  • 想うままに(1986年4月25日発行、撮影:前場輝夫、英知出版)(秋元とも美名義)
  • 青空に星いっぱい(1987年1月20日発行、撮影:佐藤只一、英知出版)
  • マドンナメイト写真集(1987年2月25日発行、撮影:米本光穂、マドンナ社
  • 少女神話ともみ(1987年5月10日発行、撮影:前場輝夫、英知出版)
  • 秋元ともみ(別冊スコラ40)(1987年8月10日発行、撮影:平地勲、スコラ
  • だきしめて…(1987年10月8日発行、撮影:上野実、大陸書房
  • きらめく予感(1987年11月2日発行、撮影:上野実、ピラミッド社
  • 少女が神話を創る時(1988年1月10日発行、撮影:前場輝夫・佐藤只一、英知出版)
  • In place of Roses “薔薇にかえて”(1988年8月30日発行、撮影:稲村幸夫、大洋図書)
  • ビデオクイーンアルバム ヒロインの肖像Vol.Ⅲ 秋元ともみ写真集(1988年11月20日発行、撮影:佐藤只一、青人社)
  • まぶしいキミに…(1989年1月19日発行、撮影:山木隆夫、大陸書房)
  • 虹色エモーション(1989年3月17日発行、撮影:山木隆夫、ピラミッド社)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 秋元とも美時代は千葉県出身としていた[2]
  2. ^ シングル、アルバムともにオリコンヒットチャート50位にはランクインしなかった[14]
  3. ^ アップル通信の人気投票では、1987年11月号(9月発売)で10位以下の圏外に転落、その後『風』の発売で圏内に復帰したが、1988年5月号(3月発売)で再度圏外となった。
  4. ^ 秋元は後に、活動がどっちつかずの中途半端なものになってしまったとして、事務所の方針に批判的なコメントを残している[10]

出典 編集

  1. ^ a b c 『秋元ともみ写真集 少女神話ともみ』、英知出版、1986年
  2. ^ a b 「秋元とも美 花ひらく…」『週刊プレイボーイ』1986年4月22日号、集英社、1986年
  3. ^ 「公開! ギャルズ・プライベート VOL.24 女のコの部屋まるごとキャッチ 秋元知美クン(18)の巻」『アクトレス 1986年2月号』、リイド社、1986年
  4. ^ 『秋元とも美写真集 想うままに』、英知出版、1986年。
  5. ^ 「『卒業します』秋元ともみ・18歳」『ビデオ・THE・ワールド 1986年8月号』、白夜書房、1986年。
  6. ^ 本橋信宏 (2011年1月11日). “四十路になったあの美少女たちは”. メンズナウ. 2013年9月1日閲覧。
  7. ^ a b 『アダルトビデオ10年史』p.118、東京三世社、1991年。
  8. ^ a b c d BUBKAダイヤモンド 消えたアイドルは今500連発. コアマガジン. (2010-08-28). p. 145. ISBN 978-4-86252-898-8 
  9. ^ a b 東良美季『アダルトビデオジェネレーション』p.205、メディアワークス、1999年。
  10. ^ a b c 沢木毅彦「セーラー服姿でAV界を席巻した清純派美少女〜秋元ともみ」『青春復刻! ときめきアダルトビデオ100』、宝島社、2002年。
  11. ^ 「読者投票第1位受賞インタビュー 秋元ともみ」『オレンジ通信 1987年2月号』、東京三世社、1987年。
  12. ^ a b 東良美季(インタビュー)「女優物語【第1話】秋元ともみの場合」『ビデオ・THE・ワールド 1987年11月号』、白夜書房、1987年。
  13. ^ 東良美季(インタビュー)「宇宙少女80's〜90's 宇宙企画のパースペクティブ」『20世紀のアダルトビデオ』、アスペクト、1998年。
  14. ^ [1][出典無効]
  15. ^ 「ピンハネ芸能プロ摘発 少女から5-8割、人材派遣法適用」『朝日新聞 1988年1月14日・東京夕刊』、朝日新聞社、1988年。
  16. ^ 「アダルトビデオジェネレーション NOTE No.10 モデルプロ摘発の真相」『オレンジ通信 1988年4月号』、東京三世社、1988年。
  17. ^ 『アップル通信 1989年4月号』p.57、三和出版、1989年。
  18. ^ 『アップル通信 1989年6月号』p.53、三和出版、1989年。
  19. ^ 秋元ともみインタビュー、『CIRCUS MAX 2009年10月号』、KKベストセラーズ、2009年。