筆
筆(ふで)とは、竹や木の軸の先に毛(繊維)の束を付けて、筆記、書画、化粧に用いるための道具。日本語で筆(ふで)という場合は一般的に本項で扱う毛筆(もうひつ)を指すが、字義としては鉛筆や万年筆のように広く筆記用具を表すこともある[1]。

歴史
編集中国
編集中国の民間伝承では多少違いがあるもののの、紀元前223年頃に秦の将軍の蒙恬が発明したという言い伝えが残されている[1]。蒙恬は楚の討伐のために出陣し、頻繁に戦報を書き送っていたが、従来の細い竹を使った筆記具が不便だと感じていた[1]。ある日、蒙恬が狩猟に出た際、怪我をした動物が尻尾で血痕を残しながら逃げる様子を見たのがきっかけで、動物の毛で筆のような道具を作ったという[1]。一部の書物も初めて筆を作った人物を秦の蒙恬であるとしており、『大平御覽』文部21巻の「筆」の項目には『博物誌』いわく「蒙恬造筆。」と記されている[1]。
実際には秦の時代より前の時代(先秦時代)には筆のような筆記具は存在しており、戦国時代の思想家は多くの古典を残し、その中には既に「筆」の文字を使った文も含まれている[1]。後漢の『説文解字』では戦国時代に一部の国で使われた「筆」を意味する「聿」の文字で収録され、書写道具であり、楚では「聿」、呉では「不律」、燕では「弗」といわれたとしている[1]。
考古学上も1955年に陝西省西安半坡遺跡から出土した仰韶文化時代の「人面魚紋彩陶盆」と命名された陶磁器の模様は、筆また筆のような道具で描かれたと推測されている[1]。ただし、先秦時代の古典にみられる文字は、秦の時代の筆のような道具とは異なる道具も使われていたと考えられている[1]。
日本
編集筆が日本に伝来した時期については諸説あり定かでない[1][2]。一説には百済の王仁が日本に来た際に同時に伝来したという[1]。有力な説は空海が唐で製筆技術を習得して持ち帰ったとするもので、それに端を発して奈良筆の製造が始まったという[2]。
種類
編集用途による分類
編集用途では筆記や習字に使う毛筆、絵を描くための画筆、化粧のための化粧筆などに分けられる[4][5]。
筆管の径による分類
編集書筆や画筆は筆管の太さで号数が定められている[5]。俗に太筆や細筆、大筆や小筆と区分されることもある[5][6]。
穂の長短による分類
編集穂の長さにより超長鋒(柳葉)、長鋒、中鋒、短鋒、超短鋒(雀頭筆)に分けられる[5][7]。このほかに面相筆、底紋筆、連筆などがある[5]。
製筆法による分類
編集- 巻筆(紙巻筆)
- 紙(薄書院紙)と獣毛を交互に巻いて作られたもの[5][8]。中国では清の時代まで使用された[5]。日本で最も古い筆も巻筆であるが、製造も使用もほとんどされなくなっている[5][8]。
- 固め筆(糊固筆、水筆)
- 穂をふのりで固めた筆で、扱いやすい位置まで捌いて使う[5][8]。
- 捌き筆(散毛筆)
- 穂をふのりで固めておらず刷毛のように散毛状態のままの筆[5][8]。
- 真書筆
- 少量の毛を筆芯にして軸を重ねたもの[5]。
- 籠巻筆
- 鋒首を金網で巻いたもの[5]。
- 連筆(合筆)
- 一本の筆を数本まとめて作るもの[5]。
柔剛による分類
編集- 剛毛筆
- タヌキやウマなど毛が硬いもの[5][8]。
- 柔毛筆
- ヒツジやネコなど毛が柔らかいもの[5][8]。
- 兼毫筆(兼毛筆)
- 剛毛と柔毛の数種類の毛をまぜて、弾力をもたせて適度に書きやすくしたものを兼毫(けんごう、兼毛とも)と言う[9]。軸毛を剛毛、周囲を柔毛としたものもある[8]。
原毛による分類
編集動物の毛を用いたものが一般的で、獣毛筆には鼠毛(ネズミ)、狸毛(タヌキ)、貂毛(テン)、兎毛(ウサギ)、狐毛(キツネ)、羊毛(ヒツジ)、猫毛(ネコ)、栗鼠毛(リス)、鹿毛(シカ)、山馬毛などがある[5]。また、鳥毛筆には鶏毛(ニワトリ)、雉毛(キジ)、鶴毛(ツル)、孔雀毛(クジャク)、鴛鴦毛(オシドリ)などがある[5]。このほかに竹筆、藁筆、草筆、蓮筆、筆草、人毛筆など特殊なものもある[5]。
- コリンスキーセーブル筆
- チョウセンイタチ(コリンスキーセーブル)の尾にある毛を原毛として使った高級毛筆。イギリス王室からの依頼で文具メーカーのウィンザー・アンド・ニュートンなどが制作している。
- 根朱筆(ねじふで)
- 特定環境にいるクマネズミの背中にある水毛を使用した筆。滋賀県の琵琶湖畔にいるクマネズミの毛が使用されていたが、護岸工事などで生息環境が変わってしまい入手困難となっている[10][11]。
- 胎毛筆
- 胎毛(赤ちゃんの生まれて始めて切ったものを言い、毛先が切られていないもの)を使用したもので、誕生祝いや百日祝いなどに、赤ちゃんの成長を願って記念品として作り、本人や、祖父母などに贈るものである。中国の伝統を起源とする説がある[14]が、2006年以前の中国ではあまり聞かれない風習であった[15]。
産地
編集京都市、東京都、広島県の熊野町(熊野筆)、呉市(川尻筆)、奈良県(奈良筆)、愛知県の豊橋市(豊橋筆)、宮城県の仙台市(仙台御筆)、などが有名な産地である。
である。
経済産業大臣指定伝統的工芸品も参照のこと。
筆の使用法
編集用途では筆記や習字に使う毛筆、絵を描くための画筆、化粧のための化粧筆などに分けられる[4]。
毛筆
編集小筆の穂先は特に繊細なため、陸(墨を磨る部分)で穂先をまとめるために強くこすりつけることは極力避ける。墨などで固まった穂先を陸にこすりつけて、柔らかくしようとすることは絶対にしてはならない。硯は固形墨を磨(す)るためのヤスリであり、墨液が潤滑の働きをするとは言え、そのヤスリにこすりつけることは穂先を硯で磨ることと同じであり、穂先をひどく傷めてしまうからである。大筆も硯の陸の部分で毛をこすりつけないこと[16]。大作を作る時などは、墨磨り機などで磨った墨をプラスチックや陶器の容器に移し替えて使うことが多い[17]。
画筆
編集以下のような種類がある。
- 線描筆
- 細い線を引くときに使用される。則妙筆(そくみょうふで)、削用筆(さくようふで)、面相筆(めんそうふで)の3種に分けられる[18]。面相筆は人物の顔や表情を描くのに用いられたことに由来する[18]。
- 隈取筆、ぼかし筆
- 墨汁や顔料をぼかすための筆[19]。
- 付立筆、附立筆、没骨筆[20]
文化
編集字義
編集日本語の「筆」の字は「ふで」と訓読する場合は通常毛筆を指しつつ、この字は鉛筆や万年筆など他の筆記用具にも用いられている[1]。一方、中国語では「筆(笔)」自体が字や絵をかく道具全般を意味するように変化し[注釈 1]、本来の「筆」のほうは「毛筆」という語彙に取って代わられている[1]。
筆にまつわる言葉
編集- 慣用句
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m 曹瀾「日中両言語における漢字語彙の比較「筆」とその派生語を中心に」『成蹊国文』第24巻、成蹊大学、2016年3月10日、17-33頁。
- ^ a b 平見 尚隆「日本の「筆産業」の存続を可能にしている産業構造の特徴」『異文化経営研究』第17号、異文化経営学会、2020年、79-92頁。
- ^ 神崎 茂夫、『やまびこは語る』 (単行本)、文芸社 (2002年3月15日 出版)、ISBN 9784835534527
- ^ a b “産業「広島県の伝統工芸」”. 福山市. 2025年7月26日閲覧。 エラー: 閲覧日が未来の日付です。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 向久保健蔵『The筆―弘法は筆を選ぶ (文房四宝 選び方使い方)』日貿出版社、1984年、58-63頁 。
- ^ 榊, 莫山 (1998-05-29). 文宝四宝 筆の話 (1 ed.). 角川書店. p. 186. ISBN 4-04-703294-8
- ^ 筆墨硯紙事典 PP..46-47
- ^ a b c d e f g 『書写書道 2025年2月号』日本武道館、2025年、8-11頁 。
- ^ 筆墨硯紙事典 P.2
- ^ 国立国会図書館. “京都でネズミの毛を使った筆を製作していると聞いたが,どんなものか知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2023年1月16日閲覧。
- ^ 日経クロステック(xTECH). “「漆器」第5話 『絹の服を着ているわけ』”. 日経クロステック(xTECH). 2023年1月16日閲覧。
- ^ “京都 醍醐寺 文化財アーカイブス|醍醐寺の国宝・重要文化財”. www.daigoji.or.jp. 2023年1月16日閲覧。
- ^ 日本の国宝: 近畿 6 (京都, 滋賀) 出版社:朝日新聞社 p61
- ^ 田淵実夫『筆』法政大学出版局〈ものと人間の文化史 30〉、1978年、72頁。ISBN 4588203010。
- ^ “赤ちゃんの毛で作る胎毛筆が大人気―江西省カン州市”. recordchina.co.jp. 株式会社Record China (2006年9月20日). 2023年1月16日閲覧。
- ^ 筆墨硯紙事典 P.73
- ^ 筆墨硯紙事典 P.150
- ^ a b “武蔵野美術大学 造形ファイル|武蔵野美術大学による、美術とデザインの「素材・道具・技法」に関する情報提供サイト”. 武蔵野美術大学 造形ファイル. 2023年1月16日閲覧。
- ^ 田淵実夫『筆』法政大学出版局〈ものと人間の文化史 30〉、1978年、58頁。ISBN 4588203010。
- ^ “武蔵野美術大学 造形ファイル|武蔵野美術大学による、美術とデザインの「素材・道具・技法」に関する情報提供サイト”. 武蔵野美 術大学 造形ファイル. 2023年1月16日閲覧。
- ^ 筆下ろし(ふでおろし)の意味 - goo国語辞書
参考文献
編集- 『筆墨硯紙事典』(天来書院、2009年5月)ISBN 978-4-88715-214-4
関連項目
編集外部リンク
編集- 日本の伝統工芸士 /(財)伝統的工芸品産業振興協会
- 熊野筆 /(財)筆の里振興事業団
- 「筆(書道用)ができるまで」 - 広島県熊野町の職人を取材して、材料から筆ができるまでの間の工程の流れを説明している(全14分) 2007年 サイエンスチャンネル