粕川村 (群馬県)
粕川村(かすかわむら)は、群馬県勢多郡に存在した村。2004年12月5日をもって大胡町、宮城村とともに前橋市へ編入合併され、独立した行政としての粕川村はなくなった。現在、粕川村であったところの住所は前橋市粕川町「かすかわまち」となった。また、伊勢崎市、太田市にも「粕川町」がありいずれも「かすかわちょう」である。
粕川村 | |||||
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廃止日 | 2004年12月5日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 粕川村、大胡町、宮城村 → 前橋市 | ||||
現在の自治体 | 前橋市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 |
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地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 群馬県 | ||||
郡 | 勢多郡 | ||||
面積 | 25.97km2 | ||||
総人口 |
11,756人 (2004年12月4日) | ||||
隣接自治体 |
大胡町、宮城村、富士見村、 新里村、赤堀町、前橋市 | ||||
村の木 | クロマツ | ||||
村の花 | 菊 | ||||
粕川村役場 | |||||
所在地 |
〒371-0217 群馬県勢多郡粕川村西田面216-1 ![]() | ||||
外部リンク | 粕川村公式HP | ||||
ウィキプロジェクト |
地理編集
歴史編集
- 1889年(明治22年)に14村が合併し粕川村となる。村名は村内で行われる400年以上も続く神事、ささら祭りの儀式の中で、川に酒粕を流したことに由来している。
- 1966年(昭和41年の出生数の減少)の「ひのえうま」に際し、金子裕(粕川村長)が主導して「迷信追放の村」を宣言、村役場は丙午の迷信には根拠がないことを広報するなど取り組んだことで全国的な注目を集めた[2]。
- 合併後の住所
- 合併に際しての住民アンケートで住所に関して下記のような候補が挙げられた(○○は粕川村の時の大字名が入る)。
- 前橋市粕川町○○
- 前橋市粕川町
- 前橋市○○町
- このアンケートの結果、多くの人に支持を得た、前橋市粕川町○○が決まった(例:粕川村大字西田面 → 前橋市粕川町西田面)。
- 合併後も粕川の名が残る形となった。同じく合併する大胡町、宮城村は、前橋市○○町と旧大字名が市の町名になった。大胡町の場合は大字名に大胡という地名があるため名前が残ったが、宮城村は大字名に宮城という名がないため住所から宮城という名は消滅した形となった。
- 合併に際しての住民アンケートで住所に関して下記のような候補が挙げられた(○○は粕川村の時の大字名が入る)。
行政編集
経済編集
地域編集
大字編集
粕川村で使われていた大字は、下記の通り前橋市に合併された際、前橋市粕川町○○のようになった。
- 新屋(現 粕川町新屋)
- 稲里(現 粕川町稲里)
- 女渕(現 粕川町女渕)
- 上東田面(現 粕川町上東田面)
- 込皆戸(現 粕川町込皆戸)
- 下東田面(現 粕川町下東田面)
- 膳(現 粕川町膳)
- 月田(現 粕川町月田)
- 中(現 粕川町中)
- 中之沢(現 粕川町中之沢)
- 西田面(現 粕川町西田面)
- 一日市(現 粕川町一日市)
- 深津(現 粕川町深津)
- 前皆戸(現 粕川町前皆戸)
- 室沢(現 粕川町室沢)
健康編集
- 平均年齢
教育編集
交通編集
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事編集
出身有名人編集
出典編集
- ^ 群馬県警察の年表と事件・事故年表、群馬県警察略年表、群馬県警察公式サイト
- ^ “昭和史再訪セレクション Vol.78 ひのえうま 迷信追放に挑んだ村”. 朝日新聞. 2012年2月13日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』386頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月10日閲覧。
参考文献編集
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。