赤城山
赤城山(あかぎやま、あかぎさん、後述)は、関東地方の北部、群馬県のほぼ中央に位置する山。太平洋プレートがオホーツクプレートに沈み込んでできた島弧型火山である。また、赤城山は、カルデラ湖を伴うカルデラを持つ関東地方で有数の複成火山である。
赤城山 | |
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![]() 南東(桐生市・茶臼山)から望む赤城山 | |
標高 | 1,827.6 m |
所在地 |
![]() 群馬県前橋市・桐生市・渋川市・ 沼田市・利根郡昭和村 |
位置 | 北緯36度33分39秒 東経139度11分37秒 / 北緯36.5608度 東経139.1936度座標: 北緯36度33分39秒 東経139度11分37秒 / 北緯36.5608度 東経139.1936度 |
山系 | 独立峰 |
種類 | 複成火山(活火山ランクC) |
赤城山の位置
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概要編集
榛名山、妙義山と並び、上毛三山の一つに数えられている。また、日本百名山、日本百景の一つにも選ばれている。中央のカルデラの周囲を、円頂を持つ1,200mから1,800mの峰々が取り囲み、その外側は標高にして約800mまでは広く緩やかな裾野の高原台地をなしている。これは富士山に続き日本で二番目の長さである[1][注釈 1][注釈 2]。
中央部のカルデラ内には、カルデラ湖の大沼(おおぬま、おの)や覚満淵(かくまんぶち)、火口湖の小沼(こぬま、この)がある。
大沼の東岸、最高峰 黒檜山(くろびさん)の山麓に当たる場所に赤城神社があり、山麓各地に里宮があるほか、関東一円に末社約300社が分布している。中腹にパノラマ展望台がある。
地形編集
赤城山は一つの大きな火山体の名称であり、同名の峰は存在していない。
火山活動編集
形成史編集
赤城山の形成はいくつかの時期に分けられる。古期成層火山形成期、新期成層火山形成期、中央火口丘形成期である。
古期成層火山形成期編集
約50万年前、足尾山地と古利根川の間の低湿地、柏崎千葉構造線の群馬県東部部分(利根川構造線)の割れ目で火山活動が開始される。安山岩質(Sio2 54 - 60%)の溶岩とスコリアから成る成層火山を形成した。最大時の標高は2,500m程度と推定される。
約20万年前ごろから二酸化ケイ素の量が増えて溶岩がデイサイト質になり、それに伴い爆発的噴火が多発し、火砕流や山体崩壊による岩屑なだれが山麓に流下して現在の広い山麓を形成した。標高が1,500mほどになったとみられる。
南西側へは赤城橘山岩屑なだれがあり、赤城西側にある孤立丘群(橘山・城山・十二山など)、上毛大橋東側にあるカール状地形を形成した。一説には、群馬県利根郡昭和村の岩神飛石[疑問点 ][注釈 3]や敷島公園のお艶が岩はこの岩屑なだれによるものだという。
南東麓側では梨木泥流が発生している。山体崩落に伴う大規模な岩屑なだれであり、大胡・大間々方面へ流れ、伊勢崎市北部(権現山・華蔵寺周辺)まで到達した。
その後、いったん火山活動は休止した。
新期成層火山形成期編集
約15万年前(または13万年前)ごろ、大規模な爆発を伴って活動が活発化し、山頂部の崩落部を覆うように溶岩ドームが形成された。黒檜山・駒ヶ岳などの部分である。船ヶ丘山はこのときの流出溶岩が固まったものという。
また小黒檜山・荒山・鍋割山・鈴ヶ岳、コフタ山といった溶岩ドームの側火山が形成された。11〜12万年ほど前の鈴ヶ岳などの噴火では西北西へ火砕流が流れた(棚下火砕流)。この火砕流は子持山に止められる形で堆積、利根川を遮って古沼田湖を形成している。なお鈴ヶ岳北西から一帯の谷地域を深山カルデラとしてこの時期陥没したとする説もある。この説では鈴ヶ岳を地蔵岳・小沼火山と同時期に形成された深山カルデラの中央火口丘とみなしている。荒山・鍋割山の噴火は約7万5千年前で、南麓へ大胡火砕流が流れている。
中央火口丘形成期編集
約4,5万年前には湯の口降下軽石を噴出し、山頂部が大きく陥没、現在の山頂カルデラを形成した。外輪山として残っているのは黒檜山をはじめ、駒ヶ岳、陣笠山、薬師岳、出張山、鍬柄山、鳥居峠である。また、正確な時期は不明だが、カルデラ内部にはカルデラ湖が形成された。
3万年前には鹿沼降下軽石を噴出した。その後、地蔵岳溶岩ドームと小沼タフリング、見晴山が中央火口丘として形成された。これを最後に大規模なプリニー式噴火は途絶えている。
中央火口丘の出現によりカルデラ湖は分割され、中央火口丘北東に大きく広がる古大沼、西側の新坂平湖、南側のオトギの森湖の3つになったが、古大沼・新坂平湖はこれを源流として北西に流れていた沼尾川の侵食によって縮小、新坂平湖は消失、古大沼は現存する大沼と覚満淵(湿原地帯)に分かれた。オトギの森湖も粕川[注釈 4]の侵食で消失した。
小沼タフリングには火口に水が溜まり小沼を形成した。当初は現在よりも大きかったが粕川[注釈 4]の排水で現在の広さまで縮小している。
最新の噴火編集
「吾妻鏡」の中に「建長三年四月十九日(1251年5月11日)赤木嶽焼」とある(赤木嶽は当時の呼び名)。この記述を根拠に気象庁は活火山に指定しているが、噴火に相当する堆積物は見つかっていない。
カルデラ内にある最新の火山活動地形(同時噴火で形成された小沼タフリング・血の池火口)は、約2万4000年前に形成されたと推定されており、それを榛名山が6世紀に起した噴火で降らせた、榛名伊香保降下軽石が表面を覆っていることから、吾妻鏡の記述は山火事を意味する可能性が高いとされる[2][3]。南麓の寺の火事のことではないかという説[4]もあり、もし山火事であるとすると、吾妻鏡は「概ね過去1万年以内に噴火した火山」と定義されている活火山に該当する根拠となる資料ではないことになる。
一方で、建長3年の噴火について吾妻鏡以外にも言及する史料が発見されている。三夜沢赤城神社の神官家に伝来した古文書「赤城神社伝来記」のなかに、「建長三年頃、当於呂嶽、春より焼け始め、四月十九日焼出、石砂をふらす事夥しけれ共、当所は無難なり、今赤石平是なり」(於呂嶽は荒山、赤石平は現在の小麦沢)とある。峰岸純夫は、赤城の大穴(大穴川の源頭の沢、3〜4万前の水蒸気爆発の火口跡と推)で小規模な水蒸気爆発がこの建長3年にあった可能性を示している。
気候・気象編集
冬期の関東平野に吹く特有の北風「空っ風」を、群馬県平地部では赤城颪(あかぎおろし)と呼ぶ。この語源は赤城山の方角から吹くため。上毛かるたの読み札には『雷(らい)と空風(からっかぜ) 義理人情』とあり、群馬県を語る上で空っ風の存在は外せない。
伝説・伝承編集
日光市・男体山の北西麓の戦場ヶ原には、男体山の神と赤城山の神がそれぞれ大蛇と大ムカデになって戦い、男体山の神が勝利をおさめた、という伝説がある。赤城山の北にある老神温泉の地名は、このとき落ち延びた神が追われてやってきたことに由来するといわれ、「アカギ」という山名も神が流した血で赤く染まったことから「赤き」が転じたという説もある。戦場ヶ原で負けた赤城山の神は老神温泉で傷を癒した後に男体山の神を追い返したという。
また、開湯伝説では、赤城山の神が大蛇、男体山の神が大ムカデとなっており、大蛇が勝利したという説になっている。
江戸川沿いにある千葉県流山市には、赤城神社の祀られた小山があり、大洪水の際に赤城山の山体の一部が流れてきたものだ、という伝説がある。「流山」という地名はこれに由来するという。
赤城山といえば、上州の侠客・国定忠治で有名であり、明治、大正、昭和初期に講談や新国劇の題材として大人気だった。国定忠治の一節「赤城の山も今宵限り、生まれ故郷の国定村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い乾分(こぶん)の手前(てめえ) たちとも、別れ別れになる首途(かどで)だ。」の台詞で、この山の名前が全国に広がった。忠治に因んでか赤城山の岩穴で賭場が開帳された時代があったが、明治時代に取り締まりの強化で一掃されている[5]。
「赤城山」の読み編集
「赤城山」の読みは「あかぎやま」・「あかぎさん」の2通りがあり、いくつかの事典・辞書では2通りの読みを併記している[6]。
1947年(昭和22年)に誕生した群馬県の郷土かるたである「上毛かるた」の読み札に『裾野は長し赤城山(あかぎやま)』とあるように、群馬県民の間では「あかぎやま」と呼ばれ、親しまれている[7]。地元の道路案内標識での表記は「赤城山Mt.Akagi」のほかは、「赤城山Akagiyama」または「赤城山Mt.Akagiyama」である。また、昭和時代の郷土力士である赤城山晃(藤岡市出身)の四股名の読み方も「あかぎやま」である。
赤城山は国土地理院の地図ではあかぎさんと記載されていた。これは「山」を「さん」と読む規定によるものであるが、群馬県、特に前橋市周辺であかぎやまと呼ばれて親しまれていたため、群馬側がこれに異議を申し立て、あかぎやまへの改称を求めた。国土地理院はこれを受け入れ、現在発行の地図はあかぎやまとなっている[8]。
一方、国土地理院ウェブサイト内「日本の主な山岳標高」の山の紹介では「あかぎさん」を第一とし、「あかぎやま」は備考として扱われている[9]。また、気象庁ウェブサイト内にある赤城山のページにおいても、振り仮名は「あかぎさん」である[10]。
古い時代の文献としては赤城神社の社務所が1911年(明治44年)に発行した旅行ガイドブック『赤城山名勝案内』がある。その第2版として1912年(明治45年)に発行した『赤城山案内』では、「あかぎさん」と振り仮名を振っていた。
赤城山周辺にいくつかある「赤城山」という地名は、江戸時代の入会地が宮内庁管轄の御料地を経て1950年代頃に大字となったとき初めて付けられたもので、すべて「あかぎさん」と読む[注釈 5]。地名の呼び方は「やま」と「さん」が混在しているともされる[8]。
このほか、日本酒の銘柄である「赤城山」は、どちらの読みでも構わないという蔵元の考えから、ラベル等にはあえて振り仮名を記していない[要出典]。なお、蔵元である近藤酒造のウェブサイトを参照すると、ウェブサイトおよびメールアドレスのドメイン名は「akagisan」となっている[11]。講談社発行の『日本酒・本格焼酎・泡盛銘柄コレクション』では「あかぎさん」と振り仮名が振られている[12]。
観光編集
観光自然編集
観光施設編集
- 赤城公園ビジターセンター
- 赤城山総合観光案内所・新坂平売店(前・群馬県エネルギー資料館)
- 赤城神社 - 山頂・山麓にある神社
- 赤城山スキー場
- 白樺牧場
- サントリービア・バーベキューホール(赤城登山鉄道・赤城山頂駅跡)
登山道編集
複数の山頂に登るため登山コースがいくつかある。
- 黒檜山・駒ヶ岳へのコース
- 大沼湖畔から2つの登山口があり、尾根を通り駒ヶ岳山頂および黒檜山へ行ける。ただし、黒檜山頂手前で大沼から登る道と駒ヶ岳への分岐がある。大沼の黒檜側登山口・黒檜間は1時間半ほど、黒檜から駒ヶ岳までと駒ヶ岳から大沼駒ヶ岳側登山口まではそれぞれ1時間弱である。
- 鈴ヶ岳へのコース
- 大沼の西にある白樺牧場の駐車場に登山口があり、鍬柄山を経ておよそ1時間で鈴ヶ岳山頂へ至る。山頂は行き止まりで同じ道を戻ることになる。
- 鍋割山・荒山コース
- 長七郎山・小地蔵コース
など
交通編集
バス編集
連絡道路編集
カルデラ内への連絡道路
- 群馬県道4号前橋赤城線 - 「まえばし赤城山ヒルクライム大会」のコース
- 群馬県道251号沼田赤城線 - 沼田市利根町砂川(旧有料道路料金所)から前橋市富士見町赤城山(大沼周遊道路交差点)間は寒冷・積雪区間であり、冬期閉鎖となる
- 群馬県道16号大胡赤城線 - 赤城温泉 - 小沼間は寒冷・積雪区間であり、冬期閉鎖となる
鉄道編集
赤城山にちなむ名前編集
- 大日本帝国海軍の摩耶型砲艦の4番艦「赤城」
- 大日本帝国海軍の航空母艦「赤城」
- 海上保安庁のびざん型巡視船の10番船「あかぎ」(第三管区海上保安本部茨城海上保安部所属)
- 商船三井のばら積み貨物船「AKAGISAN」
- 鉄道の駅名及び車両名
- みどり市にある上毛電気鉄道上毛線と東武鉄道桐生線の駅「赤城駅」
- JR東日本が運行する特急列車「あかぎ」
- JR東日本が保有していた団体列車「くつろぎ」用客車1号車の愛称
- 東武鉄道が運行していた急行列車「あかぎ」
- 流鉄が運行している列車のうち1編成の名前
- 企業名
- スポーツ
- 第38回国民体育大会の名称「あかぎ国体」
- 藤岡市出身の力士「赤城山晃」
- 沼田市出身の力士「栃赤城雅男」
- その他
- 群馬県のご当地女性アイドルグループ「あかぎ団」
- 群馬県内の小学校における運動会の組分け「赤城団」[注釈 6]
- その他、「赤城山」で始まるページの一覧も参照
赤城山に関する作品編集
歌謡曲編集
アニメ編集
- ジュエルペット きら☆デコッ!
- メインキャラであるキラデコ5メンバーのリーダー赤城烈と弟の緑の過去の因縁にまつわる事件の舞台となっている。また、この事が原因で緑が烈を嫌いになった。
ドライブコースとして赤城山が登場する作品編集
- 漫画・アニメ・ゲーム『頭文字D』:公道レースを行う集団「赤城レッドサンズ」のレース拠点。
- ゲーム『アウトモデリスタ』
- ゲーム『バトルギア』シリーズ
- ゲーム『街道バトル2 CHAIN REACTION』、『KAIDO-峠の伝説-』:劇中のサーキットとして登場する。
関連画像編集
尾瀬越しに臨む赤城山
脚注編集
注釈編集
- ^ 赤城山は黒檜山など、いくつかの山の総称であり、裾野の長さはその総称としての値である。
- ^ 上毛かるたのすには、赤城山の裾野の長さが2番めに長いということが書かれている。
- ^ 浅間山によるとする説あり。
- ^ a b オトギの森湖を消失させたのはガラン沢という西側の流れ。小沼を縮小させたのは現在も小沼と繋がる東側の流れである。
- ^ 現存するのは、前橋市の「富士見町赤城山」(1960年〈昭和35年〉設置)、桐生市の「新里町赤城山」(1950年〈昭和25年〉より)、渋川市の「北橘町赤城山」(1954年〈昭和29年〉より)がある。またかつては敷島村・横野村に「赤城山」(1942年〈昭和17年〉 - 1956年〈昭和31年〉)があったが、両村が合併し赤城村となった際に同名回避のため「北赤城山」「南赤城山」と改名し、現在は「渋川市赤城町北赤城山」・「同市赤城町南赤城山」となっている。
- ^ 群馬県内の小学校では、運動会の組分けを、上毛三山の名前を用いて「赤城団」、「榛名団」、「妙義団」の3組とし、対抗させることが多い。かつては「浅間団」(浅間山に由来)または「白根団」(白根山に由来)を含める場合もあったが、少子化の影響で4組対抗が困難になっている。
出典編集
- ^ 富士山に次いで日本では2番目に裾野が長い山は?じゃらん2021年2月7日閲覧。
- ^ 早川由紀夫「赤城山は活火山か?」(1999年地球惑星関連学会合同大会 As-012)(当該大会予稿集PDF)
- ^ 中央防災会議-災害教訓の継承に関する専門調査会『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(第3期)』「1947 カスリーン台:4章 山間部の土砂災害、特に渡良瀬川流域について」2010年(PDF)
- ^ 『宮城村誌』(主著・尾崎喜左雄、1973年)
- ^ 『赤城山名勝案内』5 - 6ページ。
- ^ “コトバンク 赤城山”. 2016年10月9日閲覧。
- ^ 県立赤城公園 群馬県環境森林部自然環境課サイト
- ^ a b 栗原久『なるほど赤城学-赤城山の自然と歴史・文化』上毛新聞社、2007年
- ^ 日本の主な山岳標高 国土地理院サイト→群馬県を選択
- ^ “赤城山”. 気象庁. 2016年10月9日閲覧。
- ^ “近藤酒造株式会社”. 近藤酒造. 2016年10月9日閲覧。
- ^ “コトバンク 赤城山(日本酒・本格焼酎・泡盛銘柄コレクション)”. 2016年10月9日閲覧。
- ^ “創業明治26年 元祖カリカリ梅の開発メーカー | 赤城フーズ株式会社”. 創業明治26年 元祖カリカリ梅の開発メーカー | 赤城フーズ株式会社. 2020年5月31日閲覧。
参考文献編集
関連項目編集
外部リンク編集
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ほか『赤城山』 - コトバンク
- 赤城山 - 気象庁
- 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 赤城山 (PDF) - 気象庁
- 日本の火山 赤城山 - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- 群馬県 県立赤城公園
- 赤城山ポータルサイト - 赤城山広域振興協議会。令和3年3月31日をもってサイト閉鎖
- 赤城トリップ - 公益財団法人 前橋観光コンベンション協会
- 赤城神社