紺屋町 (川崎市)
紺屋町(こんやまち[5])は、神奈川県川崎市幸区の町名[6]。丁目の設定がない単独町名。住居表示は実施されていない[5]。面積は8.08 haである[2]。
紺屋町 | |
---|---|
町丁 | |
北緯35度32分34秒 東経139度41分24秒 / 北緯35.542678度 東経139.689986度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 川崎市 |
行政区 | 幸区 |
人口情報(2024年(令和6年)9月30日現在[1]) | |
人口 | 1,308 人 |
世帯数 | 777 世帯 |
面積([2]) | |
0.08082765 km² | |
人口密度 | 16182.58 人/km² |
設置日 | 1928年(昭和3年) |
郵便番号 | 212-0026[3] |
市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
ナンバープレート | 川崎 |
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地理
編集幸区のやや東側に位置し[7]、府中街道(国道409号)が北端を、第二京浜国道(国道1号)が東側を通過している[8]。一帯は住宅地となっている[6]ほか、第二京浜沿いには飲食店などが見られる[8]。
紺屋町は北端で府中街道を挟んで戸手と、東端で遠藤町と、南端で神明町と、西端で戸手本町と接する。これらの町域はすべて幸区に属しており、紺屋町は区境・市境には接していない。
歴史
編集当地は、江戸時代に水田地帯だった戸手の中で、家屋の多い一帯となっていた[7]。また、南河原の女躰権現社から分祀された女體権現社[9]や、池上本門寺の末寺である正教寺[7]などが所在していた。
地名の由来
編集戸手の旧小字である紺屋橋耕地に由来する[10]。なお、そもそもの「紺屋」の由来は不詳であるが、以下のような話が伝わっている[7]。
沿革
編集- 永禄年間 - 女體権現社]の勧請と伝わる[9]。
- 1599年(慶長4年)- 正教寺の創建と伝わる[11]。
- 江戸時代 当地は戸手村の一部であった。
- 1889年(明治22年)- 町村制の施行により、御幸村が成立。当地は御幸村大字戸手の一部となる。
- 1912年(大正元年)- 女體権現社が神明社(現・戸手本町)に合祀される(戦後に分祀・再建された)[9]。
- 1924年(大正13年)- 新設合併により川崎市が成立。川崎市戸手の一部となる。
- 1928年(昭和3年)- 耕地整理により紺屋町が分立[7]。
- 1955年(昭和30年)- 第二京浜国道が開通[6]。
- 1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市に移行。川崎市幸区紺屋町となる。
- 1976年(昭和51年)- 一部が戸手1丁目となる[6]。
旧字名
編集世帯数と人口
編集2024年(令和6年)9月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
紺屋町 | 777世帯 | 1,308人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[12] | 1,157
|
2000年(平成12年)[13] | 1,152
|
2005年(平成17年)[14] | 1,133
|
2010年(平成22年)[15] | 1,078
|
2015年(平成27年)[16] | 1,137
|
2020年(令和2年)[17] | 1,222
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[12] | 464
|
2000年(平成12年)[13] | 487
|
2005年(平成17年)[14] | 494
|
2010年(平成22年)[15] | 510
|
2015年(平成27年)[16] | 557
|
2020年(令和2年)[17] | 665
|
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年12月時点)[18][19]。
区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
国道1号線の西側 | 川崎市立戸手小学校 | 川崎市立御幸中学校 |
国道1号線の東側 | 川崎市立御幸小学校 |
事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[20]。
町丁 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
紺屋町 | 34事業所 | 200人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[21] | 38
|
2021年(令和3年)[20] | 34
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[21] | 210
|
2021年(令和3年)[20] | 200
|
交通
編集路線バス
編集川崎市交通局と川崎鶴見臨港バスが、川崎駅と周辺地域を結ぶバスを、当地を経由して運行している。
道路
編集府中街道(国道409号)が北端を、第二京浜国道(国道1号)が東側を通過しており、両者が交差する遠藤町交差点が当地の北東角に当たる。
施設
編集- 正教寺
- 女體神社
その他
編集日本郵便
編集警察
編集町内の警察の管轄区域は以下の通りである[23]。
番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 幸警察署 | 小向東芝町交番 |
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b “令和6年町丁別世帯数・人口 9月末日現在” (xls). 川崎市 (2024年10月25日). 2024年10月28日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ a b “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)の数値」令和2年国勢調査)” (XLS). 川崎市 (2024年1月25日). 2024年3月20日閲覧。 “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”
- ^ a b “紺屋町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b “区別町名一覧表(幸区)”. 川崎市 (2022年1月28日). 2022年1月30日閲覧。
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.401。
- ^ a b c d e f 『川崎の町名』 p.95。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.1083。
- ^ a b c 『川崎地名辞典(上)』、p.116。
- ^ 『川崎地名辞典(上)』、p.114。
- ^ 『川崎地名辞典(上)』、p.117。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “幸区の小学校(町丁名順)”. 川崎市 (2023年12月28日). 2024年1月28日閲覧。
- ^ “幸区の中学校(町丁名順)”. 川崎市 (2023年12月28日). 2024年1月28日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿PDF(2023年度版) 表紙等付属資料” (PDF). 日本郵便. 2024年5月3日閲覧。 “郵便番号データダウンロード 郵便番号簿PDF(2023年度版)”
- ^ “交番案内/幸警察署/神奈川県警察”. 神奈川県警察. 2023年8月15日閲覧。