概要編集

 
『あゝ飛騨が見える』と言い残して死亡した政井みね(右)

古来から野麦街道があり、能登で取れたブリを飛騨を経由して信州へと運ぶ道筋であった。信州では飛騨ブリとして珍重され、能登では1尾の値段が米1斗であるものが、峠を越えると米1俵になると言われた。

明治の初めから大正にかけて、当時の主力輸出産業であった生糸工業で発展していた諏訪地方岡谷へ、現金収入の乏しい飛騨の村々の女性(多くは10代の少女)が女工として出稼ぎのためにこの峠を越えた[1]。この史実は、1968年に発表された山本茂実(やまもと・しげみ)のノンフィクション『あゝ野麦峠』で全国的に有名になった。

北に乗鞍岳、南に御嶽山が望まれ景観が素晴らしい。

乗鞍岳の北を越える安房峠国道158号)に安房トンネル中部縦貫自動車道の一部)が開通したことから、高山と松本を結ぶ交通路としての役目はすでにない。また木曽方面へも鎌ヶ峰の南の長峰峠国道361号)が主要道路となったので、現在は観光道路としての往来が主である。冬季は積雪のために1年間のうち約半年間は通行止めとなり、11月10日ごろから閉鎖の準備に入り、翌年5月1日に峠開きを行う[2]。また日本の秘境100選の一つに選ばれている。

岐阜県側は県立自然公園として旧街道を利用したハイキングコースが整備されると共に峠の資料館「野麦峠の館」などが置かれており、長野県側では県史跡として旧街道の一部を保存している。

峠名の由来編集

峠に群生する隈笹が十年に一度、の穂に似た実を付けることがあり、土地の人に「野麦」と呼ばれていたことによる[2]。凶作の時にはこの実を採って団子にし、飢えをしのいだ。

また、小説によれば、就労先で妊娠し、厳しい峠越えの最中に子どもを流産する工女も少なくなかった。故に野産み峠となり、野麦峠となった、とある。

 
野麦峠周辺の地形図。『あゝ野麦峠』の道のりでは、右上の松本盆地を経由する。


脚注編集

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集