高雄警備府
(馬公要港部から転送)
高雄警備府(たかお けいびふ)は、現在の台湾高雄市に所在した大日本帝国海軍の警備府。この項では前身の澎湖県馬公市に所在した馬公要港部、馬公警備府を含めて記述する。
沿革
編集1895年(明治28年)4月17日、日清戦争に勝利した日本は、下関条約に基づき台湾を領有。
1901年(明治34年)7月、台湾本土と中国大陸の間にある澎湖諸島の馬公に要港部を開設。1941年(昭和16年)11月20日、目前に迫った日米開戦に備え警備府に昇格した。
1943年(昭和18年)4月、警備府は高雄に移転し、高雄警備府を設置、旧馬公警備府を馬公特別根拠地隊に改編した。
終戦に伴い、1946年(昭和21年)4月30日付で廃止された。日本と入れ替わりに台湾に進駐してきた中華民国海軍が、現在に至るまで左営海軍基地として使用している[1]。
年譜
編集組織
編集要港部
編集- 幕僚
- 港務部
- 軍需部
- 工作部
- 経理部
- 病院
- 防備隊
- 通信隊
- 軍法会議 1922年4月1日設置
- 監獄
- 水雷敷設隊 1906年11月22日廃止
- 艦船
- 修理工場
馬公警備府
編集- 幕僚
- 港務部
- 軍需部
- 工作部
- 経理部
- 施設部
- 病院
- 特別根拠地隊
- 艦船
高雄警備府
編集- 幕僚
- 港務部
- 人事部 1944年2月1日設置
- 軍需部
- 工作部
- 経理部
- 施設部 1943年4月1日設置
- 病院
- 海兵団 1944年2月1日設置
- 特別根拠地隊 1945年5月1日設置
- 第29航空戦隊 1945年6月15日設置
- 航空隊
- 第二高雄海軍航空隊 1944年12月1日配属、1945年2月15日解隊
- 虎尾海軍航空隊 1945年2月5日配属
- 二代台南海軍航空隊 1945年6月15日配属
- 艦船
- 第6燃料廠 1944年4月1日設置
歴代司令長官
編集馬公要港部司令官
編集- 上村正之丞 少将:1901年7月4日 -
- 尾本知道 少将:1903年9月23日 -
- 植村永孚 少将:1905年6月13日 -
- 橋元正明 中将:1905年12月20日 -
- 梨羽時起 少将:1906年11月22日 -
- 鹿野勇之進 中将:1907年3月12日 - 1909年12月1日
- 玉利親賢 中将:1909年12月1日 - 1910年12月1日
- 伊地知彦次郎 中将:1910年12月1日 - 1911年12月1日
- 小泉鑅太郎 少将:1911年12月1日 - 1913年4月14日
- 西紳六郎 少将:1913年4月14日 - 1913年12月1日
- 釜屋忠道 少将:1913年12月1日 -
- 江口麟六 少将:1914年12月17日 - 1915年12月13日
- 黒井悌次郎 中将:1915年12月13日 - 1916年12月1日
- 松村龍雄 中将:1916年12月1日 -
- 千坂智次郎 中将:1917年12月12日 -
- 山路一善 少将:1918年6月13日 -
- 中川繁丑 少将:1919年12月1日 -
- 谷口尚真 少将:1920年12月1日 -
- 吉田清風 中将:1921年8月1日 - 1921年12月26日
- 飯田久恒 中将:1921年12月26日 -
- 山内四郎 少将:1923年6月1日 -
- 田尻唯二 少将:1923年11月6日 -
- 藤原英三郎 中将:1924年12月20日 -
- 飯田延太郎 少将:1925年8月1日 -
- 七田今朝一 少将:1927年12月1日 -
- 濱野英次郎 少将:1928年12月10日 -
- 湯地秀生 少将:1930年12月1日 -
- 後藤章 少将:1932年1月11日 -
- 山内豊中 少将:1932年6月18日 -
- 新山良幸 少将:1933年11月15日 -
- 大野寛 少将:1934年11月15日 -
- 和田専三 少将:1935年11月15日 -
- 水戸春造 少将:1937年12月1日 -
- 原五郎 中将:1938年11月15日 -
- 高橋伊望 中将:1939年11月15日 -
- 山本弘毅 中将:1941年2月27日 - 11月20日
馬公警備府司令長官
編集- 山本弘毅 中将:1941年11月20日 -
- 高木武雄 中将:1942年11月20日 - 1943年4月1日
高雄警備府司令長官
編集脚注・出典
編集- ^ 「旧日本海軍・高雄警備府を初公開 台湾海軍が今も当時の建物使用」『産経新聞』朝刊2018年5月3日(国際面)
参考文献
編集関連項目
編集- 鎮守府 (日本海軍)
- ジュノー号事件
- 中曽根康弘 - 元総理大臣。大東亜戦争中、主計科士官として台湾の馬公警備府の海軍建築部附や高雄警備府の海軍施設部部員を歴任した。