高井戸
東京都杉並区にある地名
高井戸(たかいど)は、東京都杉並区にある地名。現在の町丁名では、上高井戸一丁目から三丁目まで、高井戸西一丁目から三丁目まで、高井戸東一丁目から四丁目まで、下高井戸一丁目から五丁目まで存在する。
地理編集
杉並区の最南部に位置する地域。現在の町名では上高井戸、高井戸西、高井戸東、下高井戸の4地域に分かれる。京王井の頭線富士見ヶ丘駅から京王線下高井戸駅、京王線八幡山駅の範囲の地域である。
地名の由来編集
地名の由来については諸説あるが、かつて村内の小高い所にあった堂の傍らから水が湧き出ていて、高いところから出ていた井戸なので「高井戸」と呼ばれたという説と、地域内の宗源寺にある高井戸不動が江戸時代までは高台に祀られていて「高いお堂の不動様」と呼ばれるようになり、「高井堂不動」という名が生まれた。そこから高井戸の名が生まれたという説などがある。
実際には、高低や井戸とは無関係であり、かつて高井家が代々宮司を務める神宮寺があり、目印となるお堂に「不動様」が祀られていたことから通称「たかいどう」と呼ばれ、周辺を指す地名で使われるうち転じて「たかいど」となる。跡地は団地となっているが、高井家15代までの墓が残されている。
明治の廃仏毀釈で寺か神社かの選択を迫られ没落。土地もすべて売り払うに至り「たかいど」の地名だけが残った。初代東京府知事により記された墓を残す事だけ認める証文が、高井家子孫が宮司を務める東京都品川区三谷八幡神社に現存しており、杉並区が史跡に指定する方向で調査中である。
隣接する自治体編集
地域内の町名編集
歴史編集
「高井戸町」も参照
- 旧石器時代 - 高井戸東遺跡(高井戸東三丁目)のローム層から出土した石器から、紀元前3万年ころに、人類が住んでいたことが確認される。
- 縄文時代中期 - 塚山遺跡(下高井戸五丁目)から、この時代の土器が出土する。
- 1559年(永禄2年) - 北条氏家臣の領地であった。
- 安土桃山時代 - (旧)高井戸村は上高井戸村・下高井戸村の二村に分かれた。
- 1602年(慶長7年) - 甲州街道が建設され、高井戸宿という宿場町となった。
- 1604年(慶長9年) - 高井戸宿は上高井戸宿・下高井戸宿の二つとなる。
- 明治2年2月9日(1869年3月21日)- 品川県所属となる(品川県新設)。
- 明治4年11月14日(1871年12月25日) - 東京府所属となる(東京府新設)。
- 明治5年1月22日(1872年3月1日) - 神奈川県所属となる(神奈川県編入)。
- 8月19日(9月21日) - 東京府へ再編入。
- 1873年(明治6年)3月18日 - 東京府第8大区5小区所属となる(朱引外大小区改正)。
- 1878年(明治11年)7月 - 東京府東多摩郡所属となる(郡区町村編制法施行)。
- 1879年(明治12年) - 大区小区制が廃止され、上高井戸村および下高井戸村は2村による連合村となり、大宮前新田、中高井戸村、松庵村、久ヶ山村は4村による連合村となる(東京府数町村連合会規則による連合村。)。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 東多摩郡上高井戸村、下高井戸村、大宮前新田、松庵村、久我山村および中高井戸村が合併し、東多摩郡高井戸村となる。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 豊多摩郡高井戸村となる。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 町制施行し、豊多摩郡高井戸町となる。
- この頃、当地での四谷丸太の植林が終了する。
施設編集
- 杉並清掃工場 - 建設に際し周辺住民の大規模な反対運動が、最終処分場を有する江東区民の感情を傷つけ、杉並区から発生するごみの受入を実力で阻止した、東京ゴミ戦争の発端となったことで知られる。
- 杉並区立高井戸小学校
- 杉並区立高井戸東小学校
- 杉並区立高井戸中学校
- 日本年金機構本部(旧社会保険庁業務センター)
- 高井戸温泉 美しの湯
- 高井戸遺跡
- 塚山公園
- 浴風会本館 - 内田祥三、土岐達人の設計。1926年竣工。2001年、東京都選定歴史的建造物に指定された。
- 芝田山部屋 - 第62代横綱:大乃国康が創設した相撲部屋
企業編集
- 日本ヒューレット・パッカード ※本社があったが、2011年に江東区へ移転
- アジレント・テクノロジー高井戸オフィス(昔のHPの半導体部門)※2006年に撤退
- ミサワホーム株式会社本館
- 山崎製パン杉並工場
- ケンコーマヨネーズ本社