高賀神社
高賀神社(こうかじんじゃ)は、岐阜県関市洞戸高賀[1]にある神社。『高賀山信仰』における中心的な社(高賀山六社)の一社である。
高賀神社 | |
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所在地 | 岐阜県関市洞戸高賀1217 |
位置 | 北緯35度39分1.35秒 東経136度51分14.25秒 / 北緯35.6503750度 東経136.8539583度座標: 北緯35度39分1.35秒 東経136度51分14.25秒 / 北緯35.6503750度 東経136.8539583度 |
主祭神 | 天之御中主尊ほか23柱(本文参照) |
社格等 | 郷社 |
創建 | 養老年間 |
概要
編集別名、高賀山大本神宮。標高1,224mの高賀山の山麓にあり、高賀山を囲む高賀山六社の一社。旧社格は郷社。
平安時代から室町時代にかけて、白山信仰[2]の影響を受け、本地垂迹説により十一面観音(白山比咩神)、大日如来を本地仏として信仰された。さらには、牛頭天王信仰、虚空蔵菩薩信仰がされていた。
神仏習合の時代には、『高賀山権現』『高賀三所権現』『高賀権現』などと称されていた。
祭神
編集23柱を祀る。
歴史
編集社伝によれば、創建は奈良時代の養老年間と伝わる(養老元年という説もある[3])。言い伝えによれば、霊亀年間、高賀の地には光を放つ魔物が住み着いた。これを聞いた朝廷は使者を派遣し、この山の麓に21柱の神々をまつり、退魔の祈祷を行なった。すると魔物は姿を消したとされる。その後、この山は「秀でて高き故まためでたい」という意味で「高賀山」、神社を「高賀山大本神宮大行事神社」と名付けたとされる。
平安時代の天暦年間、この地に妖怪さるとらへびが住み付き、村人に危害を加えているのを聞いた朝廷は、藤原高光をこの地に遣わせ、高光が妖怪を退治したと伝わる。この際に高光が高賀山大本神宮大行事神社を再建し、七昼夜妖怪退治の祈願をしたとされる。またその後、高光は高賀山麓の六ヶ所に神社(高賀六社・後述)を建立したとされている。この妖怪退治は承平3年の説もあるが、藤原高光の生誕年との矛盾があり、疑問視されている。
詳しい時期は不明であるが、鎌倉時代以前、高賀神社の境内に蓮華峯寺が建立される。高賀神社と蓮華峯寺を合わせて、「西高賀山 蓮華峯寺」と称していた。
1517年(永正14年)、火災により焼失するが、江戸時代に再建される。
1869年(明治2年)、神仏分離令による廃仏毀釈の影響で蓮華峯寺は廃寺となる。僧侶の手で一部の仏像は持ち出され、高賀神社から約1.5km離れた観音堂に納められる。これが現在の蓮華峯寺である。
高賀山六社
編集高賀山を主峰とした山(瓢ケ岳、今渕ケ岳、片知山など)の山麓にあり、高賀山を囲む6つの神社。かつては六社めぐりという、この六つの社を尾根伝いに一日で歩いて巡る苦行が存在した。
円空のゆかりの地
編集江戸時代前期の天台宗僧侶、円空は全国行脚の中で、数回、高賀神社を訪れ修業を行なっているという。確実なのは1671年(寛文11年)、1684年(貞享元年)、1692年(元禄5年)の3回である。円空はまた、最晩年をこの地で過ごしたと伝えられ、円空仏の最後の作と言われている歓喜天像ほか、多数の仏像が高賀神社に奉納されている(後述)。
文化財
編集岐阜県指定有形文化財
編集《高賀(神社)信仰資料》
彫刻
編集- 木造大日如来坐像(平安時代後期)蓮華峯寺(旧本尊)
- 木造聖観音坐像(平安時代後期)天治元年(1124)
- 木造十一面観音坐像(平安時代後期)
- 木造十一面観音坐像(平安時代後期)
- 木造十一面観音立像(平安時代後期)
- 木造十一面観音立像(平安時代後期)
- 木造十一面観音立像(平安時代後期)
- 木造如来坐像(平安時代後期)
- 木造如来坐像(平安時代後期)
- 木造如来立像(平安時代後期)
- 木造如来立像(平安時代後期)
- 木造菩薩立像(平安時代後期)
- 木造菩薩立像(平安時代後期)
- 木造菩薩立像(平安時代後期)
- 木造菩薩形立像(平安時代後期)
- 木造菩薩形立像(平安時代後期)
- 木造地蔵菩薩(僧形)立像(平安時代後期)
- 木造僧形立像(平安時代後期)
- 木造不動明王立像(平安時代後期)
- 木造天部立像(平安時代後期)
- 木造天部立像(平安時代後期)
- 木造天部形立像(平安時代後期)
- 木造天部形立像(平安時代後期)
- 木造男神坐像(四軀)平安時代後期
- 木造女神坐像(十軀)平安時代後期
- 木造虚空蔵菩薩坐像(南北朝時代)
- 木造虚空蔵菩薩坐像(室町時代前期)
- 木造不動明王坐像(室町時代)
- 木造冥界王坐像(室町時代)
- 木造邪鬼(平安時代後期)
- 木造獅子(室町時代)
- 木造獅子(室町時代末期)
- 鉄造不動明王立像(鎌倉時代)
- 鉄造不動明王坐像(江戸時代)享和元年(1801)
- 円空自筆和歌集附神符:30枚(岐阜県指定重要文化財)[4]など。
交通機関
編集- 岐阜バス:板取線「高賀口」バス停より徒歩で約40分。
- JR岐阜駅バスターミナル:11番のりば「板取門原」行きに乗車。
- 名鉄岐阜のりば:4番のりば「板取門原」行きに乗車。
雑記
編集シドニーオリンピックの女子マラソンにおいて、金メダルに輝いた高橋尚子選手が給水に利用した「高賀の森水」は、高賀神社の宮水である「ふくべの霊水」である。ふくべの霊水とは1996年(平成8年)、高賀神社参道わきに掘られた井戸の水であり、その水を商品化したものが高賀の森水である[5]。1999年(平成11年)1月に洞戸村、岐阜県森林組合連合会、洞戸村森林組合が出資する第三セクター、奥長良川名水有限会社が設立された[6][7]。のちに株式会社化。2006年(平成18年)に民営化された[8]。
脚注
編集- ^ もとの美濃国(尾張藩領)武儀郡高賀村、奥洞戸村高賀
- ^ 板取村教育委員会『郷土板取のあゆみ』(初)板取村教育委員会、11頁。
- ^ “高賀癒しの郷 知の癒し”. 高賀癒しの郷. 2016年8月5日閲覧。
- ^ “円空自筆和歌集附神符三十枚”. 岐阜県. 2013年5月13日閲覧。
- ^ 関市 (2013年3月8日). “高賀神水庵とミネラルウォータ「高賀の森水」の誕生までの経緯”. 2016年8月4日閲覧。
- ^ 中村信正「「奥長良川名水館」竣工」(pdf)『岐阜県の林業』第551号、岐阜県山林協会、1999年8月、7頁、2016年8月4日閲覧。
- ^ 設立日は総務省『平成18年度地方行政改革事例集』による。『岐阜県の林業』第551号によると1998年12月とも
- ^ 総務省 (2007年3月28日). “平成18年度地方行政改革事例集” (pdf). 2016年8月4日閲覧。
参考文献
編集- 岐阜県博物館、1982、『高賀山の信仰 - 鬼と行者と円空と』、岐阜県博物館資料刊行会(特別展図録)
- 洞戸村史編集委員会編集、1988-1997、『洞戸村史』、洞戸村
外部リンク
編集- 高賀の森水 - 奥長良川名水株式会社
- 高賀癒しの郷 - NPO法人洞戸村ふるさと塾による、高賀地域の自然・文化・歴史の解説と写真。
- 高賀神社 - 関市役所
- 高賀神水庵・高賀渓谷 - 関市役所