セレーネー
セレーネー(古代ギリシア語: Σελήνη〈ギリシア語ラテン翻字: Selēnē〉)は、ギリシア神話の月の女神である。長母音を省略してセレネ、セレーネとも表記される。聖獣は馬、驢馬、白い牡牛。ローマ神話のルーナと同一視される。
セレーネー Σελήνη | |
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月の女神 | |
位置づけ | ティーターン |
住処 | 天空 |
シンボル | 月、馬、驢馬、牡牛 |
親 | ヒュペリーオーン、テイアー |
兄弟 | ヘーリオス、エーオース |
子供 | |
ローマ神話 | ルーナ |
概要
編集ヘーシオドスの『神統記』によると、ティーターン神族のヒュペリーオーンとテイアーの娘で、太陽神ヘーリオス、曙の女神エーオースと兄弟である[2][3]。その他、父親に関してはメガメーデースの子パラース[4]、あるいはヘーリオスともいわれる[5][6]。母親に関してはアイトレーとも[7]バシレイアともいわれる[8]。ゼウスとの間に娘パンディーア[9]、ヘルセー[10]、ネメアーがいる。一説によると兄弟であるヘーリオスとの子供に四季の女神ホーラーたちがおり、彼女たちはヘーラーに仕える4人の侍女であるともいわれる[11]。さらにエピメニデースによると、不死身の怪物であるネメアーのライオンを生んだのはセレーネーであり、月が恐ろしい身震いをしたときに地上に降ってきたと語られている[12]。ヒュギーヌスによるとネメアーのライオンを洞窟で育てたのはセレーネーである[13]。セレーネーは伝説的な詩人ムーサイオスの母と言われることもあり[14]、相手についてはエレウシースの王エウモルポス[15]あるいはアンティペーモスと言われる[16]。
輝く黄金の冠を戴き、額に月をつけた絶世の美女で、銀の馬車に乗って夜空を馳せ行き、柔らかな月光の矢を放つ。「華やかな夜の女王」、「星々の女王」、「全能の女神」など呼び名がある[17]。月経と月との関連から動植物の性生活・繁殖に影響力を持つとされた[18]。また、常に魔法と関係付けられており[18]、ヘレニズム時代には月は霊魂の棲む所とも考えられていた[19]。後にアルテミスやヘカテーと同一視された[20]。女神自身が3つの顔を持つという形で表現されることがあり、新月、半月、輝く満月の3つの月相を永遠に繰り返した[21]。その他、月は3つの「顔」を持ち、それが新しく生まれる三日月のアルテミス(処女・乙女)、満ちる豊穣の月のセレーネー(夫人・成熟した女性・母)、欠けていく暗い月のへカテー(老女)であるとされている[22]。
神話
編集ギガントマキアーではセレーネーは兄弟たちとともにゼウスに協力し、ギガースたちの味方をする大地母神ガイアが薬草を見つけられないように空に現れなかったと伝えられている[23]。
エンデュミオーン
編集最も有名なセレーネーの神話は美青年エンデュミオーンとの恋物語である。セレーネーは彼を愛し、ゼウスに願って(一説には彼女自身[24][25])エンデュミオーンに不老不死の永遠の眠りを与えたと言われる[26]。一説によるとこの出来事は小アジアのラトモス山で起きたことになっている[27]。セレーネーがエンデュミオーンの臥所を訪ねた際、夜空を行く月がラトモス山の陰に隠れてしまった。魔女メーデイアはこれを利用して、月のない闇夜を欲する時にはセレーネーに魔法をかけてエンデュミオーンへの恋心を掻き立て、それから月が夜空から消えた[28]。あるいはセレーネーはエンデュミオーンと交わりを重ねて50人の娘[29]・暦月の女神メーネーたちを生んだ。セレーネーは、メーネーとも呼ばれる[30]。
パーン
編集他には、牧神パーンもセレーネーの美貌に魅了され、恋い焦がれたことがあった。そこでパーンは純白の羊毛皮でセレーネーを誘惑したが、毛皮の美しさに魅了されたセレーネーは拒まなかったという[31]。しかしこの恋物語にはいくつか異なるものがあり、パーン自ら純白の羊毛皮に変身し、毛皮に魅了されたセレーネーが地上に降りてきたところをアルカディアの森の奥に連れて関係を持ったとも、純白の羊をプレゼントして関係を持ったとも伝えられている[32]。
ギャラリー
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アンニーバレ・カラッチ『パンとセレネ』(1597-1602年頃) パラッツォ・ファルネーゼ所蔵
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ハンス・フォン・アーヘン『パンとセレネ』(1600年と1605年の間) 個人蔵
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ピエトロ・デラ・ヴェッキア『セレネ』(日付不明) キングストン・レイシー所蔵
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フィリッポ・ラウリ『パンとセレネ』(17世紀) アルスター国立博物館所蔵
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ビクター・フローレンス・ポレット『セレネとエンデュミオン』(1850年から1860年の間)
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アルベール・オーブレ『セレネ』(1880年) 個人蔵
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セレネ像(3世紀) ディオクレティアヌス浴場所蔵
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セレネ像(4世紀) カピトリーノ美術館所蔵
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セレネとエンデュミオンの像(3世紀) メトロポリタン美術館所蔵
出典
編集- ^ ノンノス『ディオニュソス譚』48巻582行。
- ^ ヘーシオドス『神統記』371行-374行。
- ^ アポロドーロス、1巻2・2。
- ^ 『ホメーロス風讃歌』第4歌「ヘルメース讃歌」100行。
- ^ エウリーピデース『フェニキアの女たち』175行。
- ^ Pierre Grimal 1986, p.415.
- ^ ヒュギーヌス、序文。
- ^ シケリアのディオドロス、3巻57・4。
- ^ 『ホメーロス風讃歌』第32歌「セレーネー讃歌」19行-20行。
- ^ アルクマーン断片57(プルタルコス『モラリア』による引用)。
- ^ スミュルナのコイントス、10巻334行-336行。
- ^ エピメニデース断片2(アイリアーノス『動物の特性について』7巻7。)
- ^ ヒュギーヌス、30話。
- ^ セルウィウス『アエネーイス注解』6巻667行。
- ^ アリストパネース『蛙』1033行への古註。
- ^ 『スーダ』ムーサイオスの項。
- ^ 『オルペウス賛歌』(IX セレーネー)。
- ^ a b 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』143頁。
- ^ セレネ - 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク
- ^ 松村一男/監修『知っておきたい 世界と日本の神々』 西東社、43頁。
- ^ ノンノス『ディオニュソス譚』4巻279行。
- ^ 石井ゆかり『月のとびら』、CCCメディアハウス、73,83頁。
- ^ アポロドーロス、1巻6・1。
- ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』76頁。
- ^ 山室静『ギリシャ神話 付・北欧神話』82頁。
- ^ アポロドーロス、1巻7・5。
- ^ ロドスのアポローニオス、4巻57行。
- ^ ロドスのアポローニオス、4巻55行-66行。
- ^ パウサニアス、5巻1・4。
- ^ フェリックス・ギラン『ギリシア神話』172頁。
- ^ ウェルギリウス『農耕詩』3巻391行-93行。
- ^ 河津千代による『農耕詩』訳注、p.309。
参考文献
編集- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- アルクマン他『ギリシア合唱抒情詩集』丹下和彦訳、京都大学学術出版会(2002年)
- 『オデュッセイア/アルゴナウティカ』松平千秋・岡道男訳、講談社(1982年)
- ウェルギリウス『牧歌・農耕詩』河津千代訳、未来社(1981年)
- クイントゥス『トロイア戦記』松田治訳、講談社学術文庫(2000年)
- ディオドロス『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年)
- 『ソクラテス以前哲学者断片集 第1分冊』「エピメニデス」山口義久、岩波書店(1996年)
- 『ソクラテス以前哲学者断片集 第1分冊』「アクゥシラオス」丸橋裕訳、岩波書店(1996年)
- パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
- ヘシオドス『神統記』廣川洋一訳、岩波文庫(1984年)
- ホメーロス『ホメーロスの諸神讃歌』沓掛良彦訳、ちくま学芸文庫(2004年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店(1960年)
- フェリックス・ギラン『ギリシア神話』中島健訳、青土社(1991年)
- Pierre Grimal, The Dictionary of Classical Mythology. Blackwell Publishers, 1986.