岩井半四郎 (10代目)

日本の俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家 (1927-2011)

十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年8月8日 - 2011年12月25日)は、俳優歌舞伎役者、日本舞踊家。屋号大和屋定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。俳名に杜若・紫若・扇蝶。本名は仁科 周芳(にしな ただよし)。所属事務所はミナァバ。明治大学文芸科卒業。

十代目 岩井いわい 半四郎はんしろう

十代目岩井半四郎(1951年)
屋号 大和屋
定紋 丸に三つ扇 
生年月日 1927年8月8日
没年月日 (2011-12-25) 2011年12月25日(84歳没)
本名 仁科 周芳
襲名歴 1. 仁科周芳
2. 二代目市川笑猿
3. 十代目岩井半四郎
俳名 杜若・紫若・扇蝶
出身地 東京都
花柳壽太郎(舞踊)
月城彰子 (女優)
岩井友見 (女優、岩井流宗家)
仁科亜季子 (女優)
仁科幸子 (女優)

略歴・人物 編集

舞踊家花柳壽太郎の長男として東京に生まれる。1935年有楽座の『侠艶録』で仁科周芳で初舞台。1939年2月、二代目市川猿之助の門人となり二代目市川笑猿を襲名。同年5月有楽座『隅田川続俤』「法界坊」で里の子喜三松。1951年10月歌舞伎座源氏物語』の若き光の君と『寿曽我対面』の化粧坂少将で十代目岩井半四郎を襲名。同時期に日本舞踊岩井流一門会を組織化した[1]1956年東宝入社。1961年松竹復帰、以後は脇役として活躍した。敵役、道化役、若衆役など幅広い芸域を持つ。1980年1982年5の2度にわたり国立劇場優秀賞を受賞している。

私生活では元・松竹少女歌劇団の女優・月城彰子と結婚、一男三女の四児を儲ける。2010年3月に月城が肺癌で死去するまで連れ添った。

芸能界に進出した親族が多く、長女・岩井友見(夫は俳優船戸順)、次女・仁科亜季子(元夫は俳優松方弘樹)、三女・仁科幸子(夫はテレビ朝日映像勤務の前田剛)、そしてともに亜季子の子である孫の仁科克基仁科仁美がいる。

舞台のほか、テレビドラマや映画にも出演、レコード歌手としての肩書きもある。

2011年12月25日、多臓器不全のため死去[2]。84歳没。戒名は圓覚院慈雲良周居士。意味は「悟りを開いた優しい方」。最後の舞台は、1997年1月国立劇場『壇浦兜軍記』の花扇屋戸平次であった。

弟子に若次郎、義太郎がいる。

出演作品 編集

映画 編集

テレビドラマ 編集

レコード 編集

歌唱
  • 『投げ節半四郎/ストトン道中』作詞:たなかゆきを、作曲:古屋丈晴(1960年4月 キングレコード EB-304)
  • 『青空街道/おいとこギター』作詞:たなかゆきお/鈴木重俊、作曲:古屋丈晴(1960年10月 キングレコード EB-394)
作詞
  • 春日八郎『俺ら源三郎だ』作詞:岩井半四郎、作曲:古屋丈晴(キングレコード)

脚注・出典 編集

  1. ^ 岩井流とは
  2. ^ 岩井半四郎さん84歳死去 次女仁科亜季子 - nikkansports.com 2011年12月25日閲覧

関連項目 編集

外部リンク 編集