鈴木 正一(すずき しょういち、1902年(明治35年)1月20日 - 1968年(昭和43年)7月24日)は、東京都出身の大日本帝国海軍軍人成城中学卒業。海軍兵学校(52期)卒業。最終階級は海軍大佐。戦後は伊藤忠商事を経て、極東航空、関汽エアーラインズに勤務。その後深海作業船よみうり号運営委員会委員に就任。

鈴木 正一
生誕 1902年1月20日
日本の旗 日本 東京都
死没 (1968-07-24) 1968年7月24日(66歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1924年 - 1946年
最終階級 海軍大佐
戦闘 日中戦争
太平洋戦争
除隊後 伊藤忠商事株式会社(航空機部技術顧問)/極東航空株式会社(取締役運航部長)/関汽エアーラインズ株式会社(九州支社長)/読売新聞深海作業船よみうり号運営委員会委員
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経歴 編集

7月24日 - 海軍兵学校(52期)卒業
7月24日 - 海軍少尉候補生 初任
4月13日 - 海軍砲術学校第(50期)普通科 学生教程卒業
7月29日 - 海軍水雷学校第(50期)普通科 学生教程卒業
12月1日 - 海軍中尉・第九潜水隊
秋 - 艦上攻撃機を使用し、日本初の空中給油実験に成功
  • 1932年(昭和7年)秋 - 「トランストランディング」の研究を行い、着艦誘導灯実験に成功
  • 1933年(昭和8年) -「鳳翔」乗組
鳳翔に誘導灯を設置し、初の夜間着艦実験を成功させた
9月10日 - 海軍航空技術廠飛行實驗部部員
3月12日 - 第十三航空隊分隊長
7月30日 - 海軍航空廠飛行實驗部部員
9月5日 - 海軍航空技術廠飛行實驗部部員
1月6日 - 第七五一海軍航空隊飛行長
6月7日 - 第二航空戦隊司令部
6月11日 - 隼鷹飛行長
9月5日 - 横須賀鎮守府附被仰付
9月15日 - 第二航空戦隊司令部付第二航空戦隊参謀
10月9日 - 敍勲三等授瑞宝章
3月10日 - 兼第六五二海軍航空隊副長兼飛行長
3月29日 - 第六五二海軍航空隊司令
4月1日 - 兼隼鷹飛行長
7月10日 - 第六〇一海軍航空隊司令
10日10日 - 兼第六〇一海軍航空隊副長
2月10日 - 第七二一海軍航空隊
2月15日 - 第七二二海軍航空隊司令
3月8日 - 海軍航空本部出仕兼横須賀海軍航空隊
7月1日 - 第七二五海軍航空隊司令兼副長
9月5日 - 海軍大佐
10月15日 - 予備役被仰付
12月18日 - 横須賀地方復員局管業部部員
12月18日 - 充員召集を命す
  • 1946年(昭和21年)3月30日 - 海軍大佐 退任 充員召集を解除
  • 1958年(昭和33年)12月17日 - 堀越二郎などと航空事故に関する座談会を実施
  • 1965年(昭和39年)7月29日 - 伊豆の真鶴沖にて潜水船「よみうり号」の公開潜航試験をテレビの実況放送を通じて実施
  • 1968年(昭和43年)7月24日午後4時16分 - 北海道松前郡松前町「旅館よこはま荘」で北海道漁業環境調査打ち合わせ中、脳卒中のため死去

参考文献 編集

  • 海軍士官名簿
  • 航空学会誌 第7巻 第65号