鈴木博 (撮影監督)
日本の撮影監督
鈴木 博(すずき ひろし、1898年 - 1964年[1])は、日本の撮影監督。
すずき ひろし 鈴木 博 | |
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生年月日 | 1898年 |
没年月日 | 1964年 |
職業 | 撮影監督 |
概歴
編集1922年に松竹キネマに入社、その後は下加茂撮影所や帝国キネマなどで活躍した[1]。 1933年に東宝の前身の1社となった新設のP.C.L.映画製作所に移り、東宝を経て、戦後、新東宝に移った[1]。
主な作品
編集以下に日本映画データベースに従い公開年、作品名、製作会社を記載[2]。
- 1924年 - 汀の桜 松竹キネマ下加茂撮影所
- 1924年 - 疑問の白髭 帝国キネマ小坂撮影所
- 1926年 - 尊王 阪東妻三郎プロダクション
- 1926年 - 蜘蛛 阪東妻三郎プロダクション(太秦撮影所)
- 1929年 - あゝ玉杯に花うけて 東京シネマ商会
P.C.L映画製作所
編集- 1938年 - 阿部一族 劇団前進座
- 1939年 - はたらく一家
- 1939年 - 上海陸戦隊
- 1939年 - まごころ
- 1939年 - ロッパ歌の都へ行く
- 1940年 - 二人の世界
- 1941年 - 馬 合資会社映画科学
- 1941年 - 白鷺
- 1942年 - ハワイ・マレー沖海戦 社団法人映画配給社(初公開時)、東宝(再映時)
- 1942年 - 希望の青空
- 1943年 - 望楼の決死隊
- 1944年 - 雷撃隊出動
- 1945年 - 三十三間堂通し矢物語
- 1946年 - 民衆の敵
- 1951年 - 海賊船
- 1953年 - 一等社員 三等重役兄弟篇
エイトプロ
編集- 1953年 - 明日はどっちだ
新東宝
編集- 1948年 - 富士山頂
- 1949年 - 小原庄助さん
- 1950年 - 白昼の決闘 藤本プロ
- 1950年 - 石中先生行状記 藤本プロ
- 1952年 - おかあさん
- 1953年 - 刺青殺人事件
- 1953年 - 恋文
- 1953年 - もぐら横丁
- 1954年 - 女の暦
- 1955年 - 明治一代女
- 1955年 - しいのみ学園
- 1955年 - 次郎物語
- 1956年 - 四谷怪談
- 1956年 - 新己が罪
- 1956年 - 女競輪王
- 1957年 - 肉体女優殺し 五人の犯罪者
- 1957年 - スーパー・ジャイアンツ 人工衛星と人類の破滅
- 1958年 - スーパー・ジャイアンツ 宇宙艇と人工衛星の激突
- 1958年 - スーパー・ジャイアンツ 宇宙怪人出現
脚注
編集- ^ a b c シリーズ・日本の撮影監督 1、東京国立近代美術館フィルムセンター、2021年1月22日閲覧。
- ^ 鈴木博 - 日本映画データベース、2021年1月22日閲覧。
外部リンク
編集- 鈴木博 - allcinema
- 鈴木博 - 日本映画データベース
- 鈴木博 - KINENOTE
- Hiroshi Suzuki (I) - IMDb