ハビアー・バスケス
ハビアー・カルロス・バスケス(Javier Carlos Vázquez, 1976年7月25日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち
ブレーブス時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | プエルトリコ自治連邦区ポンセ |
生年月日 | 1976年7月25日(48歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1994年 MLBドラフト5巡目 |
初出場 | 1998年4月3日 |
最終出場 | 2011年9月27日 |
年俸 | $5,000,000(2011年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | プエルトリコ |
WBC | 2006年・2009年 |
この表について
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経歴
編集エクスポズ時代
編集1994年にドラフト5巡目でモントリオール・エクスポズへ入団。1998年4月3日にメジャーデビューを果たした。同年は5勝15敗と負け越した。1999年は6月に2勝4敗・防御率6.63の成績でAAA級のオタワヘ降格[2]。オタワではカーブやスライダーの磨きをかけ[3]、メジャー復帰後は7勝4敗・防御率4.05を記録。2000年はリーグ6位となる196奪三振を記録。奪三振増加の原因をバスケス本人は、コントロールに自身が持てるようになったこととしている[3]。
2001年はオールスターまでの成績が7勝9敗、防御率4.93だったが、それ以後の成績は9勝2敗、防御率1.60で8月には月間MVPを受賞している。しかし、9月17日のマーリンズ戦で、ライアン・デンプスターからの死球により眼窩を骨折し、シーズンを終えた[4]。しかし、自己最多の16勝、リーグ最多の3完封を記録した。2002年は10勝13敗とデビュー年以来となる負け越しとなった。
2003年に自己最高となる防御率3.24、241三振をマークした。241三振はペドロ・マルティネス(1997年、305三振)、ビル・ストーンマン(1971年、251奪三振)に次ぐ球団史上3位だった[5]。シーズン終了後にニック・ジョンソン、フアン・リベラらとのトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、その後4年4500万ドルの契約を結んだ[6]。
ヤンキース時代
編集2004年、ヤンキースでシーズン通してコンスタントに登板できたのは、バスケスだけであった。しかし、5年ぶりに200投球回を下回り、防御率は5点台に近い4.91で、好不調の差が激しかった。リーグチャンピオンシップシリーズでも第7戦で2番手で登板するもKO、チームも3勝0敗から4連敗という逆転負けを喫した。
ダイヤモンドバックス時代
編集2005年1月11日、ランディ・ジョンソンとのトレードでディオナー・ナバーロとブラッド・ハルシー、900万ドルと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍[7][8]。2年ぶりのナ・リーグ復帰となった。このシーズンは開幕投手を務め、ブランドン・ウェブに次ぐチーム2位の11勝を記録した。若い選手が張り切っていてやりがいがあると発言していたが、シーズン終了後トレードを志願[9]。バスケスが長い遠征の際に家族はプエルトリコに帰って行った。エクスポズ・ヤンキース時代は容易だったが、アリゾナはプエルトリコの飛行機の便が悪く移動に丸1日かかるため、2歳と1歳の子供には厳しいからだという[9]。そして、12月20日にオーランド・ヘルナンデス、ルイス・ビスカイーノ、クリス・ヤングらとの1対3のトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍[8]。
ホワイトソックス時代
編集2006年シーズン前にワールド・ベースボール・クラシックのプエルトリコ代表に選出された。2次リーグのドミニカ共和国戦において5回1失点の好投で1勝を挙げる。レギュラーシーズンは8月10日の時点で11勝6敗だったが、これ以降1勝もできず6連敗でシーズンを終えたが、オールスター以降の後半戦、ヨハン・サンタナに次ぐリーグ2位の98個奪三振を挙げ、9月以降に57奪三振を記録した[10]。
2007年、開幕前の3月に翌年からの3年総額3450万ドルで契約延長した[11]。32先発すべての登板で5イニング以上投げるという抜群の安定感を披露。エクスポス時代の2001年以来となる15勝、同じく2003年以来となる200奪三振以上となる213奪三振をマーク。マーク・バーリーやジョン・ガーランドと共に、シーズン通して不振に陥ったチームを支えた。
ホワイトソックス退団後
編集2008年12月4日に、ブーン・ローガンと共に、タイラー・フラワーズ、ブレント・リリブリッジ、ジョン・ギルモア、サントス・ロドリゲスらとの交換でアトランタ・ブレーブスに移籍。
2009年は自己最高となる防御率2.87(リーグ6位)の成績を残した。12月23日、メルキー・カブレラ、マイケル・ダン、アローディス・ビスカイーノとの交換トレードでブーン・ローガンと共にニューヨーク・ヤンキースに移籍。6年ぶりの復帰となった。
2010年、6年前と同様に好不調の差が激しく、投球回も200イニングを下回ったり、先発から外され救援に回ったりした。ポストシーズンからのロースターからも外れた。12月2日にフロリダ・マーリンズと1年700万ドルで契約する。
2011年、8月30日に通算2500奪三振を達成。後半戦は29イニング連続無失点を記録する好調で、9月には月間MVPを受賞した。
2012年はどこのチームにも所属せず、母国プエルトリコ・ウィンターリーグのポンセ・ライオンズでプレー。
国際大会での活躍
編集第1回大会で1勝、第2回大会で2勝を挙げ、第2回WBC終了時点での通算成績で、松坂大輔の6勝に次ぐ歴代単独2位の3勝(0敗)を記録している。2大会連続で勝ち星を記録しているのは、第2回WBC終了時点で松坂とバスケスの二人だけである。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1998 | MON | 33 | 32 | 0 | 0 | 0 | 5 | 15 | 0 | -- | .250 | 764 | 172.1 | 196 | 31 | 68 | 2 | 11 | 139 | 2 | 0 | 121 | 116 | 6.06 | 1.53 |
1999 | 26 | 26 | 3 | 1 | 1 | 9 | 8 | 0 | 0 | .529 | 667 | 154.2 | 154 | 20 | 52 | 4 | 4 | 113 | 2 | 0 | 98 | 86 | 5.00 | 1.33 | |
2000 | 33 | 33 | 2 | 1 | 0 | 11 | 9 | 0 | 0 | .550 | 945 | 217.2 | 247 | 24 | 61 | 10 | 5 | 196 | 3 | 0 | 104 | 98 | 4.05 | 1.42 | |
2001 | 32 | 32 | 5 | 3 | 2 | 16 | 11 | 0 | 0 | .593 | 898 | 223.2 | 197 | 24 | 44 | 4 | 3 | 208 | 3 | 1 | 92 | 85 | 3.42 | 1.08 | |
2002 | 34 | 34 | 2 | 0 | 2 | 10 | 13 | 0 | 0 | .435 | 971 | 230.1 | 243 | 28 | 49 | 6 | 4 | 179 | 3 | 0 | 111 | 100 | 3.91 | 1.27 | |
2003 | 34 | 34 | 4 | 1 | 2 | 13 | 12 | 0 | 0 | .520 | 938 | 230.2 | 198 | 28 | 57 | 5 | 4 | 241 | 11 | 1 | 93 | 83 | 3.24 | 1.11 | |
2004 | NYY | 32 | 32 | 0 | 0 | 0 | 14 | 10 | 0 | 0 | .583 | 849 | 198.0 | 195 | 33 | 60 | 3 | 11 | 150 | 12 | 2 | 114 | 108 | 4.91 | 1.29 |
2005 | ARI | 33 | 33 | 3 | 1 | 3 | 11 | 15 | 0 | 0 | .423 | 904 | 215.2 | 223 | 35 | 46 | 4 | 5 | 192 | 7 | 0 | 112 | 106 | 4.42 | 1.25 |
2006 | CWS | 33 | 32 | 1 | 0 | 0 | 11 | 12 | 0 | 0 | .478 | 872 | 202.2 | 206 | 23 | 56 | 2 | 15 | 184 | 7 | 0 | 116 | 109 | 4.84 | 1.29 |
2007 | 32 | 32 | 2 | 0 | 1 | 15 | 8 | 0 | 0 | .652 | 882 | 216.2 | 197 | 29 | 50 | 2 | 7 | 213 | 5 | 0 | 95 | 90 | 3.74 | 1.14 | |
2008 | 33 | 33 | 1 | 0 | 0 | 12 | 16 | 0 | 0 | .429 | 890 | 208.1 | 214 | 25 | 61 | 2 | 6 | 200 | 2 | 0 | 113 | 108 | 4.67 | 1.32 | |
2009 | ATL | 32 | 32 | 3 | 0 | 1 | 15 | 10 | 0 | 0 | .600 | 874 | 219.1 | 181 | 20 | 44 | 2 | 4 | 238 | 6 | 0 | 75 | 70 | 2.87 | 1.03 |
2010 | NYY | 31 | 26 | 0 | 0 | 0 | 10 | 10 | 0 | 1 | .500 | 683 | 157.1 | 155 | 32 | 65 | 4 | 7 | 121 | 8 | 0 | 96 | 93 | 5.32 | 1.40 |
2011 | FLA | 32 | 32 | 2 | 1 | 2 | 13 | 11 | 0 | 0 | .542 | 798 | 192.2 | 178 | 21 | 50 | 8 | 2 | 162 | 5 | 0 | 91 | 79 | 3.69 | 1.18 |
MLB:13年 | 450 | 443 | 28 | 8 | 12 | 165 | 160 | 0 | 1 | .508 | 11935 | 2840.0 | 2784 | 373 | 763 | 58 | 88 | 2536 | 76 | 4 | 1431 | 1331 | 4.22 | 1.25 |
- 各年度の太字はリーグ最高
脚注
編集- ^ “Javier Vazquez Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2012年1月12日閲覧。
- ^ Wagner, John (June 8, 1999). “Mud Hens lose 2 to retirement, game to Ottawa” (英語). The Blade: p. 34 2010年3月3日閲覧。
- ^ a b 「JAVIER VAZQUEZ ハビアー・バスケス [エクスポズ]」『月刊メジャー・リーグ11月号増刊 大リーグ・オールスター来日観戦ガイド』 ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08626-11、58頁。
- ^ Montreal (AP) (September 19, 2001). “Expos' Vazquez out for season” (英語). Kentucky New Era: p. B2 2010年3月3日閲覧。
- ^ “2003 Career Highlights:Javier Vazquez” (英語). MLB.com. 2008年3月19日閲覧。
- ^ “Javier Vazquez Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月6日閲覧。
- ^ 「ランディ・ジョンソン[ヤンキース]/“41歳の若者”が挑む大舞台」『月刊メジャー・リーグ』2005年3月号、ベースボール・マガジン社、2005年、雑誌コード08625-3、8-9頁。
- ^ a b “Javier Vazquez Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月6日閲覧。
- ^ a b 「各球団マンスリー・リポート」『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボールマガジン社、2006年、雑誌 08625-1、50頁。
- ^ “2006 Career Highlights” (英語). MLB.com. 2008年9月6日閲覧。
- ^ Stark, Jayson (March 8, 2007). “Vazquez, White Sox agree to $34.5M extenstion” (英語). ESPN.com. 2010年3月3日閲覧。
外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube