かぜ耕士

かぜ 耕士(かぜ こうじ、1944年7月13日 - )は、埼玉県比企郡嵐山町出身の作詞家放送作家ラジオパーソナリティ日本大学芸術学部卒業。

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来歴編集

  • 中学生、高校生時代は東京都墨田区向島の美容院に預けられて過ごす。東京都立本所高等学校卒業後、ミュージカル俳優を目指して日本大学芸術学部演劇学科入学[1]
  • 大学在学中の1967年、永六輔主催の創作集団「ニコニコ堂」に入所、筆名「かぜ耕士」(この時の仲間には喰始がいる)。大学卒業後の翌年1968年4月に作詞家としてデビュー。デビュー作はアイ・ジョージの曲『太陽よ永遠なれ』。尚この当時、『3時のあなた』(フジテレビ)、『走れ!歌謡曲』(文化放送)でアシスタントディレクターとして働いていたこともある[1]
  • 1969年からは放送作家としても活動開始、テレビ、ラジオの番組でレギュラーを持つ。
  • 1970年よりNHK総合テレビで『ステージ101』が放送開始、同番組の構成と共に『涙をこえて』『脱線列車にのり込んで』『お昼は何にしましょうか』などオリジナルソングの作詞も手掛ける。『涙をこえて』は、第1回合歓ポピュラーフェスティバル優勝曲であるが、永六輔が海外取材のため代わりにかぜ耕士を抜擢。みごとグランプリを獲得した。
  • 1972年4月から約6か月間『土曜ショー』のインタビュアー、ナレーターを務める。同年10月からNHKのラジオ番組『若いこだま』の土曜日にレギュラー出演、ラジオパーソナリティとしても活動を始める。深夜放送が若者の間でブームの中、『たむたむたいむ』で人気を得る。その後、『セイ!ヤング』、『オールナイトニッポン』と深夜放送の代表的な番組でパーソナリティーを担当。
  • 1981年10月、『かぜ耕士のオールナイトニッポン』終了。ラジオのレギュラーパーソナリティとしての座からは離れ、単発番組出演や、CMのナレーションなどを務める。
  • 1984年、主な活動場所をテレビ番組の構成に移し、情報番組ドキュメンタリー番組の構成を多く手掛ける。この時から風小路将伍というテレビ用のペンネームを使い始める。
  • 1985年、『そこが知りたい』の「通勤線途中下車」シリーズの構成を始める。
  • 1999年4月から『バックグラウンド・ミュージック』(TBSラジオ)の構成の担当を始める。同番組では再びかぜ耕士の名前を使い始める(但しテレビにおいてはこれまで通り『風小路将伍』のままとのことである)。
  • 2013年6月 エフエムさがみ(FM HOT 839)、「かぜ耕士のどこかでラジオが」のパーソナリティでラジオ復帰。8月よりギランバレー症候群で入院、2014年1月に退院した。4月にラジオパーソナリティーに復帰、出演を続けている。

人物編集

  • 永六輔が、作家志望の学生を募集したことがきっかけで、放送作家、作詞家となる。自身が作詞した曲『涙をこえて』も、永が作詞する予定だったが、代わって作詞を手掛けたという[1]

作詞編集

ラジオ番組編集

映画編集

著作編集

  • さよならの待ち伏せ 平安書店 1974
  • 各駅停車の青春に 婦人生活社 1975
  • 各駅停車の青春に(続) 婦人生活社 1976
  • 地球のフチに腰かけて 学習研究社 1977
  • 学校ってなんだ 祥伝社 1979
  • 炎の佛師 松本明慶 (共著)ネスコ 1999
  • 若山弦蔵のバックグラウンドミュージック (共著)コスモの本 2002

関連項目編集

脚注編集

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  1. ^ a b c 日刊スポーツ 2014年8月30日22面『あの人に聞きたい 著名人にロングインタビュー かぜ耕士さん・上』

外部リンク編集