オールナイトニッポン

オールナイトニッポン』(All Night-NIPPON)は、日本のラジオ放送局ニッポン放送をキー局として日本全国で放送されているラジオの深夜放送である。通称「オールナイト」、「ANN[1]」。なお、ここでは現在の放送枠である25:00 - 27:00の内容のほか、「オールナイトニッポン」をタイトル内に含む番組全体の歴史などについても記述する。詳細については枠・番組の記事をそれぞれ参照のこと。

オールナイトニッポン
愛称 オールナイト、ANN
ジャンル バラエティ番組
放送方式 生放送(録音の場合もあり)
放送期間 1967年10月2日 -
1999年3月29日 - 2003年3月29日の間、@llnightnippon.comなど)
放送時間 月 - 土曜 25:00 - 27:00
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN他(詳細は下記へ
パーソナリティ 【月】菅田将暉
【火】星野源
【水】AKB48
【木】岡村隆史
ナインティナイン
【金】山下健二郎
三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE
【土】オードリー
テーマ曲 BITTERSWEET SAMBA
ハーブ・アルパート
ティファナ・ブラス
公式サイト 公式サイト
特記事項:
1998年3月まで、広義の放送時間は25:00 - 29:00(240分)であり、その中で25:00 - 27:00を「第1部」、27:00 - 29:00を「第2部」(現:『オールナイトニッポン0(ZERO)』『オールナイトニッポンR』)として放送。
各曜日の番組内容については各記事を参照。
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目次

概要編集

1967年10月2日の番組開始以来のラジオ長寿番組である。放送開始当初から今日に至るまで全国的な人気を誇り、深夜放送の代名詞的存在となっている。ニッポン放送といえば『オールナイトニッポン』といわれるほどのニッポン放送を代表する看板番組であり、2017年4月現在ニッポン放送制作番組の中で、放送期間は『テレフォン人生相談』に次ぐ第2位となっている(すでに放送を終了した番組を含めると、『テレフォン人生相談』・『新日鉄コンサート』に次いで第3位となる[2])。

また、1999年より「LF+R」時代の『SUPER!』・『.com』・『R』や、「LF+R」後の『いいネ!』・『エバーグリーン』、『GOLD』、『オールナイトニッポン0(ZERO)』などオールナイトニッポンブランドで多くの番組が放送されてあり、本来の25 - 29時枠の他、「LF+R」導入後は22 - 24時枠でも断続的に「オールナイトニッポン」の名を冠す番組が放送されている。詳しくは「ニッポン放送の夜ワイドの変遷」を参照。

現在は、旧1部(25:00 - 27:00)を『オールナイトニッポン』、旧2部(27:00 - 29:00)を『オールナイトニッポン0(ZERO)』、『オールナイトニッポンR(土曜日のみ)』と称している。

放送時間編集

ネット詳細は下記参照

オールナイトニッポン
  • 月-土曜 25:00 - 27:00(36局ネット)
オールナイトニッポン0(ZERO)
  • 月曜-木曜 27:00 - 28:30(11局ネット、2局は28:00で飛び降り
  • 金曜 27:00 - 29:00(11局ネット、2局は28:00で飛び降り)
オールナイトニッポンR
  • 土曜 27:00 - 29:00(20局ネット、8局は28:00、ニッポン放送は28:30で飛び降り)
オールナイトニッポン MUSIC10
  • 月曜-木曜 22:00 - 23:50(月曜は19局ネット、火-木曜は20局ネット)
オールナイトニッポンGOLD
オールナイトニッポンサタデースペシャル
  • 土曜 23:30 - 25:00(34局ネット)
オールナイトニッポン月イチ
  • 日曜 27:00 - 29:00(月1回放送、9局ネット)

パーソナリティ編集

基本的に『オールナイトニッポン』レーベルの各番組とも、レギュラーパーソナリティーの担当曜日・番組が定められているが、不定期で、代打パーソナリティーが担当することがあり、その場合はレギュラー担当者の放送が休止、ないしはレギュラー・ピンチヒッターの両パーソナリティーの並列となることもある。

一覧編集

記録編集

(2017年10月現在。アナウンサーは含まない)

出演期間[3]
記録 パーソナリティ 開始年月 終了年月 出演期間
最長レギュラーパーソナリティ 岡村隆史 1994年04月 担当中 23年6ヶ月〜[4]
最短レギュラーパーソナリティ hide 1998年04月 1998年05月 00年01ヶ月
昇格関連
記録 パーソナリティ 開始年月 昇格年月 出演期間
番組初昇格 イルカ 1974年07月 1975年01月 00年06ヶ月
-R初昇格 ゆず 1998年03月 1998年10月 00年06ヶ月
-ZERO初昇格 久保ミツロウ&能町みね子 2012年04月 2013年04月 01年00ヶ月
最短期間での昇格 ダディ竹千代 1980年04月 1980年07月 00年03ヶ月
ナインティナイン 1994年04月 1994年07月
最長期間での昇格 近田春夫 1977年10月 1979年04月 01年06ヶ月
石川よしひろ 1992年10月 1994年04月
ロンドンブーツ1号2号 1996年10月 1998年04月
復帰関連[5]
記録 パーソナリティ 終了年月 復帰年月 中断期間
番組初復帰 あのねのね 1973年12月 1974年10月 00年09ヶ月
最短期間での復帰 松村邦洋 1996年06月 1996年10月 00年03ヶ月
村本大輔 2015年03月 2015年07月
最長期間での復帰[6] 中島みゆき 1987年03月 2013年04月 26年00ヶ月

変遷編集

歴史編集

番組黎明期・第1次黄金期(1967年 - 1972年)編集

前身となる番組はニッポン放送にて1959年10月10日から放送していた『オールナイトジョッキー』(DJ:糸居五郎)となる。子会社の「株式会社深夜放送」[7]が制作していたこの番組は、糸居が選曲・ターンテーブルの操作といった通常はスタッフが行う作業を一人でこなすというディスクジョッキースタイルであり、それが局の省力化した番組を作れないかという思惑と合致していたことから、番組を発展させる形で『オールナイトニッポン』は放送を開始した。

また、放送開始の背景として1960年代半ばの不況と、1964年の東京オリンピックによるテレビの躍進により広告収入が激減し、ラジオ業界にとっては新しいリスナーの層と広告主(スポンサー)の開拓を迫られていた(ラジオ離れ#1960年代も参照)事がある。その状況に対し、ニッポン放送は1964年4月より「オーディエンス・セグメンテーション」編成を導入し編成方針を抜本的に見直していたが、その動きが深夜に波及したことも影響している。

放送が開始された1960年代後半というのは、いわゆる団塊の世代が大学生生活を送っていた時代であり、『オールナイトニッポン』はそのような大学生、また受験勉強に明け暮れている高校生・中学生にターゲットを絞り、それまでテレビやラジオで流れることはほとんどなかったビートルズレッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスなど海外のロックミュージックからザ・フォーク・クルセダーズなど日本のフォークソングまで、若者世代の最先端を走る音楽をふんだんに流す編成とした。

当時、ニッポン放送新入社員で広報部員だった中川公夫は、「それまでもそれなりにスポンサーはいたわけですからね。それを全部すっ飛ばして新しいスポンサーを探すとか、かなり大胆なことでエネルギーもいる仕事だったんですよ。その作業が大変だったんじゃないかな」と話し、後にDJを務める亀渕昭信も「当時の編成や営業が偉かったと思うのは、今のままじゃいけない、もっと若い人を開拓しないといけないと決断したこと。しかも、始まったばかりでそんなに知られていない番組もスポンサーに安売りをしなかった。我慢した。1年たったら、本当に有名な番組になりましたもん」と話している[要出典]

1967年10月2日深夜から放送開始。放送時間は月曜日〜土曜日25:00 - 29:00(翌日未明1:00 - 5:00)。当初のDJ(「パーソナリティ」と呼ぶようになったのは1969年頃から)はニッポン放送アナウンサーの糸居五郎(月曜日)、斉藤安弘(火曜日)、高岡尞一郎(水曜日)、今仁哲夫(木曜日)、常木建男(金曜日)、高崎一郎(土曜日。高崎はアナウンサーではなかったが、プロデューサー兼DJとしてニッポン放送の番組に出演していた)。初回放送のDJは、前身番組「オールナイトジョッキー」のDJだった糸居が務めた。

当時編成部長だった羽佐間重彰は、番組を立ち上げるに当たって、次のような大原則を立てている。

  • 外部のタレントではなく、アナウンサーやディレクターといったニッポン放送内部の人間を起用する
  • スポンサーを付けない
    • 提供スポンサーから番組内容に口出しされることを嫌ったため、番組開始後半年間はスポンサーを付けなかった。のちにスポンサーを付ける際にも、「協賛スポンサー」という形で、番組内容にはタッチしないことを条件としており、パーソナリティがスポンサー名を読み上げる際、「以上各社の協賛で」と付け加えるのはこの原則に由来する。この原則は現在も守られている。
    • なお、協賛の原則は守っているものの、1988年に始まった『松任谷由実のオールナイトニッポン』以降、土曜のみのスポンサー起用がはじまることになる。2001年の『NISSO サタデースペシャル @llnightnippon.com たまそう音楽堂』からは冠スポンサーがつくようになり、2002年の『TOSHIBA Presents @llnightnippon.com LF+R リスナーズBEST!』以降、土曜のオールナイトニッポンは"○○ presents ××のオールナイトニッポン"を正式な番組タイトルとしている。
  • 狭いスタジオを使う、ゲストは呼ばない
    • 狭いスタジオに閉じこめ孤独感を味わわせることで、聴取者と一対一で喋っているような感覚にさせる。同様にゲストを呼ぶことも禁止した。
  • 下ネタはやらない
    • 『オールナイトニッポン』開始前は、深夜帯はお色気番組全盛だった。高崎も懇意にしていた盛田昭夫から「これではソニートランジスタラジオが売りにくい」と苦言を呈されていたという。
    • 40周年となった2007年10月1日、『BEAT CRUSADERS ヒダカトオルのオールナイトニッポン』に特別出演した斉藤安弘は、「ニッポン放送の品位に関わることであって、それで他局に負けてはならないということで、下ネタはやらなかった。そのため、相手を置かずに一人でやった」と語った。その一方、「下ネタはやらない代わりに、自分は26時になると、トイレの話を専門にしていた」とも言った。

また、亀淵昭信によれば「孤独な寂しがり屋の若い人々に、若者の広場をつくろう」というのが、オールナイトニッポンの番組開始当初のコンセプトだったという[8]

その時の放送中のスタジオの様子について、1968年に入社し、後にディレクターとして名をはせる鈴木隆は「(有楽町の旧社屋の)第5スタジオというのが4階にあって、そこで『オールナイト』をやっていたんだけど、とにかく静かでしたよ。なぜかというと、ディレクターが一人しかいない。ミキサーも兼ねているわけですから。構成作家もいないし、しゃべり手が自分でハガキを選んで曲を決める。基本的にそれだけだし、ちょっと、仕掛けを考えるのも本人ですし。それが第一次黄金時代のパターンですよ。だから、ディレクターにも責任があるし、緊張感ありますよね。僕らが夜中に通ってもスタジオには入れなかったんですもん。外から覗いて『やってるな』という印象は強烈にありましたね」と語っている。[要出典]

番組のコンセプトとして中川は、「基本は音楽番組の発想、何をしゃべるかについては自分で考える。リスナーからのハガキを使ってもいいし、自分の身辺で起こったことでもいい。困ったら曲をかければいいというイージーな部分をありましたね」と話している。番組としてもこれといったコーナーも設けられず、聴取者からのお便り紹介とパーソナリティ自ら選曲した音楽をひたすら流すというシンプルな番組であった。

そのような初期の番組におけるアイデンティティとして、番組の冒頭の「君が踊り僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。太陽の代わりに音楽を、青空の代わりに夢を、フレッシュな夜[9]をリードする オールナイトニッポン」というフレーズがあげられる。このフレーズは80年代まで笑福亭鶴光が大きくアレンジして使っていたほか、初代DJの斉藤安弘がパーソナリティを務める2003年 - 2009年にかけて放送された『オールナイトニッポンエバーグリーン』、全日空国際線の機内プログラム、SKY AUDIOの『オールナイトニッポンClassics』の中で聞くことができた。 この口上は、当時の番組構成作家、山之井慎によるものである[10]

先述の若者をターゲットとした番組は好評を博す。それを表すエピソードとして、1967年9月に解散コンサートを行ったアマチュアグループ・フォーク・クルセダーズが卒業記念に自主制作したアルバムの楽曲『帰ってきたヨッパライ』を、高崎一郎が関西のラジオで評判になったのを聞きつけオールナイトニッポンでオンエアした所リスナーからの反響が大きく、一晩のうちに同じ曲を複数回にわたって掛けるほどとなり、それを切っ掛けに全国圏のブームとなり2か月で180万枚の売り上げを記録したことが挙げられる。こういった昼間のラジオ番組では決してかけられないようなマイナーな曲や、海外からの新しい音楽を含む深夜番組ならではの選曲が若者を刺激した。

初代のパーソナリティの1人である斉藤安弘は「多岐にわたる選曲で、音楽の世界になじんだ人がいっぱいいた。さだまさしも私の放送をよく聞いて、リクエストはがきを何十枚も出したそうです」と番組初期の当時のエピソードを語る[8]。さらに、このラジオパーソナリティという名称も、このオールナイトニッポンが付けたとされていて、斉藤安弘も「自分をぶつけ、放送から人間そのものが伝わるのがパーソナリティーだと思う」とパーソナリティに関する持論を披露した[8]

こうして「年上のお兄さん」的存在だった気取らないアナウンサーパーソナリティ達の人柄に惹かれて、各パーソナリティ宛には毎週2万枚ものリクエストやお便りが届き、人知れずひっそりと始まった『オールナイトニッポン』は、1年もせず当時の若者層に絶大的な支持を受けるニッポン放送の看板番組に成長、TBS『パックインミュージック』・文化放送『セイ!ヤング』と並んで深夜放送そのものが『深夜の解放区』として一種の社会現象となるに至った。

競合番組が乱立する中『オールナイトニッポン』は何よりもリスナーとの対話を重視し、サブタイトルに「ビバヤング」(=若者バンザイ!)を採用。 前述のオープニングのスタイルもサブタイトルを強調し「“ビバヤング”オールナイトニッポン、この番組は…」となる。 また、1968年9月には会報「Viva young」も発行し、発行した5万部は常に完売(印刷物というメディアを持ち込んだのも、オールナイトニッポンが最初)。 こうして、「ビバヤング」(=若者バンザイ!)は60年代から70年代にかけての『オールナイトニッポン』の合言葉となる。

こうした中で、ある日の放送でザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」をサンプル盤として放送したこともあったが、これについて斉藤安弘は「反体制までいかないけど、放送局の自主規制に突っかかっていた。安保闘争など世の中が騒然として活気があり、面白いことをやろうという深夜放送を、受け入れてくれる素地がありました」と当時の時代背景を振り返る[8]

番組が以前にも増して脚光を浴びたのは、1969年。この年の1月に木曜日担当に高嶋秀武が、10月に土曜日担当に亀渕昭信が参入する。亀渕はアナウンサー出身ではなかったが、ディレクター出身のパーソナリティとしてマイクの前に座って、それを逆手にスタジオの中を跳んだり走り回ったりと奇抜かつ斬新なDJスタイルをすることで聴取者から注目が集まり、一気に『オールナイトニッポン』の看板パーソナリティとなると共に、深夜放送に新しい息吹を送り込んだ。亀渕は当時について、「僕は、女の子3人組、モコ・ビーバー・オリーブの『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』とか、前田武彦さんの『ヤング・ヤング・ヤング』といった番組を作っていたんですけど、よくしゃべるし、面白いからお前がしゃべれよと。自由にさせてもらったし、いい時代だったと思いますね」「僕は“制作上がり”でしたから、“てをには”とか早口言葉とかがうまくないわけ。その分、ほかでカバーしないと追いつかない。立ってしゃべったらとか、走り回ったらとか、ハガキを放り投げたら(当時リスナーから届いた2万枚のはがきをスタジオに放り投げ、一番遠くに飛んだハガキ(リスナー)に1万円をプレゼントしていた)とか、一生懸命いろんなことをやりましたね。演出感覚ですね、それがちょっと違ってたんじゃないでしょうか」と語っている。

また、亀淵はある日の放送で歌手の沢田研二の自宅から実況中継を行い、トイレに潜入した時に水を流す音まで放送してしまったのだが、これについては亀淵自身が「くだらないことがいくらでもできた。テレビと違ってスターが“化粧”をしないラジオで、普段の声を伝えたかった」と、当時このような放送をした意図について語っている[8]

また、1969年7月には、同じパーソナリティ仲間の斉藤安弘とともに「カメ&アンコー」としてCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)からザ・フォーク・クルセダーズが別の名義で使っていたザ・ズートルビーの同名の曲である「水虫の唄」という曲のレコードを出し、20万枚を売り上げるスマッシュヒットとなった。この歌は、ベートーベンや、メンデルスゾーンまで取り込んでしまう自在な遊び心と反骨精神が「帰ってきたヨッパライ」に通じていた。

更に、1970年には今仁哲夫と天井邦夫(その後ニッポン放送副社長や顧問を歴任し、2009年12月3日逝去[11])が日本全国を縦断してリスナーと交流するという画期的な企画「ビバくりげ」も行われる。この企画は、もともと学生時代から車好きが高じた天井が、今仁と共に当時発売されたばかりのホンダクーペ9に乗って全国各地でリスナーと握手をするというもので、いわば天井の公私混同である深夜放送ならではの企画だった。斎藤安弘の記憶では、3ヶ月で64万1780人のリスナーが2人と出会ったという。なお、このクーペ9は、ホンダから提供されたもので、あっという間にリスナーからの書き込みによって、真っ黒になっていったとされる。

1970年6月30日深夜(7月1日未明)より、全国ネットを開始。この日の斉藤安弘のオールナイトニッポンでは、「札幌STVラジオ」「静岡放送」「ラジオ大阪」の3局をネット局として、クレジットの読み上げを聞くことができる。また、この日は全国ネット開始の記念放送として、当時の月曜から土曜までのパーソナリティが勢揃いした(火曜深夜・斉藤安弘の他、月曜・糸居五郎、水曜・高岡尞一郎、木曜・天井邦夫、金曜・今仁哲夫、土曜・亀渕昭信)。

1971年には、50歳を迎えた糸居五郎が1月17日13時30分-19日15時30分にかけて放送を続けるといった過酷な企画『50時間マラソンDJ』も行われ、無事完走している。

こうして、最初は関東ローカルであり、協賛スポンサーもニッポン放送サービス(現:ポニーキャニオン)一社だけだった番組も、夜間はラジオの電波が広範囲に届くことから関東のローカル番組であったにもかかわらず日本全国からはがきが届き、それを受けてネット局数が順次増加していき、複数の協賛スポンサーが付くようになった。この時代が『オールナイトニッポン』の第1次黄金期である。

タレントパーソナリティ/2部制導入・迷走期から第2次黄金期へ(1972年 - 1985年)編集

深夜放送ブームは70年代に入っても続いていたが、若者層の嗜好の変化や時代の変化(学生運動世代からシラケ世代への移行など)にあわせ、ニッポン放送も新たな放送スタイルを追求し始めることになる。そのため、1972年6月末をもって、亀淵昭信、今仁哲夫、糸居五郎を除くパーソナリティが降板する。

1972年7月からの1年間は亀渕昭信が『ビバカメショー』と称して、毎日25:00 - 27:00を担当した(9月までは月曜日担当の糸居五郎が継続していたため、月曜を除く毎日25:00 - 27:00。10月から月曜を含む毎日25:00 - 27:00となった)。次いで毎日27:00 - 29:00までは最初は今仁哲夫が担当した『ビバテツショー』が、1973年1月からは池田健[要曖昧さ回避]が担当する『ビバケンショー』が放送された。この時に初めて27時で番組を分割する2部制の概念が生まれる。

この時代はオールナイトニッポンにとっての最初の停滞期となっており、亀渕は「僕一人で週6日番組を担当するのはとてもつらかった。番組は“敗戦処理”みたいな感じで始まったと思います。『オールナイトニッポン』だけじゃなくて、深夜放送全体が駄目になってきていたのね。露出過多っていうか、“晴れの舞台”に出てきてしまった。それじゃ深夜放送になってないんだよね。もう一度変えなきゃいけないと、作り手もしゃべり手も思ってはいたんだが、一度出来上がったものはなかなか変えにくい。ネット局も増えて全員がニッポン放送のアナウンサーというわけにもいかなくなって。でも局アナが基本でしたから、じゃあお前がやれって。形を変えるまでの踊り場みたいな感じかな。それまでは音楽担当の糸居さん、今仁さんみたいな面白いことをやる人の中間みたいな放送をやってたんだけど、『ビバカメショー』になってからはもっと音楽に徹しました。サイモン&ガーファンクルの詞を訳して特集したり、ビートルズの海賊版を流したり、僕自身は楽しかった。テーマの『ビタースイートサンバ』も代えたんだよ。デニス・コフィーというモータウンのファンクギタリストがいて、頼んで作ってもらったり(#テーマ曲参照)。残念ながらレーティング(聴取率)はあんまりよくなかった。でもそれで“よし”としました。とにかく次に大きくジャンプするためには一度縮こまって昔のイメージを壊し、まっさらにするのが僕のやること。今度は制作者としてまったく新しい『オールナイトニッポン』を作ろうと思ったんです」と、当時の苦悩を語っている。

一方で1973年にディレクターになった中川も「転機といえば『ビバカメショー』『ビバテツショー』が始まった段階でステーションのアナウンサーがすっかりやめてしまったときでしょうね」と、転機だったことを明かす。さらに「その後にタレントが入るようになるわけで、番組自体が大きくなって、もっとビックな人でも入ってもらえるようなフィールドができたんです」と1973年のタレントパーソナリティ起用の本音を明かす。

こうして、1973年7月からはタレントや芸人・歌手が従来通り4時間にわたってパーソナリティを担当するという決定的な転機を迎える。このタレントパーソナリティ第1期の布陣は小林克也(月曜日)、泉谷しげる(火曜日)、あのねのね(水曜日)、覆面パーソナリティであるカルメン(金曜日)、岸部シロー(土曜日)である(木曜日は斉藤安弘が一旦復活した。また、カルメンはオールナイト史上初の女性パーソナリティである)。いわば、第二次『オールナイトニッポン』の始まりでもあり、現在のオールナイトニッポンの原型が完成した。

しかし、岸部シローがわずか3ヶ月で降板したのをはじめ、あのねのねを除く各パーソナリティは翌1974年夏までに全て降板し、その後約3年間はパーソナリティが根付かずに短期間で入れ替わる不安定な時代が続く。その原因として、体力的にも話力的にも4時間のロングラン放送に耐えられないという点があった事から、1974年7月からは27時を境にパーソナリティを入れ換える2部制が本格的に導入される。

2部制の導入でパーソナリティの数が足りなくなったことから、1970年代半ばにはタレントや歌手だけでなく一般オーディションの形(オールナイトニッポン主催・「全国DJコンテスト」)でも無名の新人発掘に力を注いでいる。また、番組をネットしていた地方ローカル局のアナウンサーなどにも一時期番組を持たせたこともあった(『飛び出せ!全国DJ諸君』グランプリの柏村武昭など)。一方、タレントパーソナリティ選考に当たっては基本的に番組スタッフが前もってオーディションをした上で採用の合否を決定していったのだが、あくまでラジオ番組をやっていけるだけの話力や実力があるのなら職種や音楽知識の有無に囚われることなくパーソナリティに採用するようになったため、野坂昭如稲川淳二など本来の『オールナイトニッポン』の流れとは明らかに外れた異色のパーソナリティも登場している。この時点で番組当初のコンセプト(ニッポン放送アナウンサーによる音楽主体の若者向け深夜番組)は失われたが、それでも「若者向け」というコンセプトと、主に歌手が番組を持ったことで「音楽番組」としての体裁はかろうじて保たれた格好となっている。

一方、一旦降板していたDJ・糸居五郎は1975年に金曜2部、さらに水曜を経て1977年10月に古巣である月曜(2部)で復活しており、音楽主体からトーク主体に変わった『オールナイトニッポン』において、唯一開始当初の雰囲気とスピリッツを醸し出していた。糸居五郎の月曜2部は糸居が1981年に定年退職するまで続いた。

迷走状態が続いていた1970年代中盤から1980年にかけて最初に頭角を現したのがあのねのね笑福亭鶴光タモリ所ジョージつボイノリオなどの色物系・コミックソング歌手の担当番組であった。

特に笑福亭鶴光は全て大阪弁で番組を通すという特異性から当初は抗議のはがきが多数寄せられたが、「ミッドナイトストーリー」などのネタコーナー、下ネタを含めた話術の高さもあいまり次第に人気を集め、70年代末には番組に送られてくるはがきは毎週2万枚、ラジオ聴取占有率80%〜90%という看板パーソナリティに成長、他の曜日が2部制になった後も鶴光担当の土曜日は4時間の放送を継続した(一時期金曜も4時間放送にするが、1年半で元の2部制になる)。当時大人気のあのねのねは番組中、原田伸郎が当時せんだみつおが担当していた『セイ!ヤング』の生放送中に文化放送のスタジオに電話をかけ、清水國明も『セイ!ヤング』の生放送中のスタジオに乗り込み電話を通して「あのねのねのオールナイトニッポン」と番組宣伝、番組ジャックを敢行しファンの人気をさらに広めた。番組後半に一般のファンにスタジオを公開して「七不思議のコーナー」などいろんな企画を進行していく「あのねのね・ハッピースタジオ」も人気を博した。 タモリは鶴光が同じ話題として取り上げる「なんちゃっておじさん論争」や「NHKつぎはぎニュース」などタモリのアングラなキャラクターを発揮した番組内容で話題となる。

さらに当時全盛であったフォークソングニューミュージック系シンガーの番組に火がつき、武田鉄矢南こうせつイルカ山田パンダ加藤和彦・自切俳人〔ジキルハイド〕(北山修)・桑田佳祐長渕剛松山千春吉田拓郎などそうそうたる顔ぶれが入れ替わりながらパーソナリティを務めていった。これに加え、従来からの流れであるくり万太郎上柳昌彦などのLFアナウンサーも番組を支え続けた。そして、中島みゆき1979年- 月曜1部)やビートたけし1981年- 木曜1部)が登場した1980年代初頭には第2期の黄金時代を迎えることになる。

また1977年以降には『HOUSE ハウス』、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』、『幻魔大戦』などの映画劇場公開にあわせて、ラジオドラマと出演者やスタッフのトークによる4時間のスペシャルが放送された。のちに文化放送が注力するようになる、アニラジのはしりと言える。

現在のオールナイトニッポンの柱となっている「トーク主体」・「コーナー主体」・「ネタはがき主体」の番組構成はこの時代に確立したシステムであり、ハガキ職人が幅を利かせるようになったのもこの頃である。このようにオールナイトニッポンが番組内容やDJを大きく変えたことで番組全体に見切りをつけた聴取者もかなり多かったが、逆にそれまでとは違う「パーソナリティそのものの魅力」に惹かれた新規のリスナーを大量に獲得することになり、結果として番組名と放送時間帯、テーマソングだけはそのままに、番組を「作る人」も「聴く人」も、番組の「コンセプト」でさえも時代とともに移り変わっていくという流動的なスタイルが形成されていくことになる。

このスタイルゆえに時代の変化に対応できなかった『パックインミュージック』『セイ!ヤング』のオリジナル放送が1980年代初めに打ち切られる中で『オールナイトニッポン』だけが時代の波にうまく乗りながら、深夜放送の代名詞として唯一生き残り続ける。第1期黄金期の人気パーソナリティから番組製作・編成部門に戻り、裏方として新時代の『オールナイトニッポン』を模索し続けた亀渕昭信の努力が実を結んだ格好となった。

安定期間から深夜放送長期低落傾向へ(1986年 - 1999年)編集

1986年10月1日には20年目突入を記念して『ALL DOGETHER NOW(オール・ドゲザー・ナウ)』という特別番組が放送され、中島みゆきとんねるず小泉今日子ビートたけしサンプラザ中野ABブラザーズの当時の1部パーソナリティ6組が一堂に会した(公式には1985年6月15日開催の国立霞ヶ丘陸上競技場での「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」のスピンオフ企画とされ、DOGETHERは「TOGETHER」と「土下座」の掛け言葉とされる)。

1980年代中盤以降、約10年間はライバルであるTBSラジオの深夜番組が定着せず迷走し、また文化放送も『ミスDJリクエストパレード』以降長らく深夜放送に力を入れなかったことから、「若者向け深夜放送=オールナイトニッポン」という図式が一番確立していた時代でもある。

1985年に足掛け12年にわたった鶴光のオールナイトが終了し、その後もABブラザーズや圭修が土曜のお笑い枠を引き継いだが(ABブラザーズ時代の1986年4月より土曜も2部制に移行)、1988年からはニューミュージックの大御所・松任谷由実が土曜1部を担当し1999年までの長期にわたる活躍をすることになる。

1980年代半ばから90年代初頭にかけてはバンドブームが沸き起こり、オールナイトのパーソナリティ人選にもその影響が次第に現れてくる。1部ではサンプラザ中野デーモン小暮大槻ケンヂ木根尚登などが、2部では渡瀬マキLINDBERG)・寺田恵子SHOW-YA)・AYAKOPINK SAPPHIRE)・川村かおりTHE東南西北などが活躍し、ブームの一端を担うことになる。続く1990年代前半も電気グルーヴYUKIJUDY AND MARY)、吉井和哉THE YELLOW MONKEY)、大江千里小沢健二スチャダラパーEAST END×YURIなどの有名どころから、コアなファンが多い加藤いづみ石川よしひろまで幅広い層のパーソナリティを輩出した。

お笑い系パーソナリティは1985年に火曜1部でとんねるずが登場、さらに1989年には金曜1部でウッチャンナンチャンが登場する。落語家の弟子であった伊集院光が水曜や金曜の2部で活躍し一気にラジオスターとしての頭角を見せたのもこの頃である。80年代を駆け抜けたビートたけしは途中代役を立てながら1990年まで番組を継続したが、その後はたけし軍団浅草キッドなども担当。1993年松村邦洋が、そして1994年には、2014年9月までパーソナリティを続けたナインティナインが登場する(岡村隆史は2014年10月から単独で担当→ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン)。

また、この時代には70年代の迷走期とは違った意味で、別業種パーソナリティを投入した時代でもある。トップアイドルだった小泉今日子が水曜1部に登場したのは1986年。その後も、女性アイドル担当番組は裕木奈江穴井夕子など散発的に見受けられる様になった。他に、劇団『第三舞台』を主宰していた鴻上尚史、雑誌『週刊プレイボーイ』編集者の小峯隆生、漫画家さくらももこなど。極め付きは1992年に素人であった浪人生松永並子&北原ゆきを水曜2部に起用したことである(前述の穴井夕子は、この2人が受験勉強のために休んだ間の6週間限定での登板であった)。後に芥川賞作家となった辻仁成も、この時代にECHOESのボーカル・「辻 仁成(つじ じんせい)」としてパーソナリティを務めている。福山雅治(1992年から2015年3月まで担当)が、当時若手イケメン俳優・歌手というポジションで認知されていた彼の「素」を本番組で公に広く知らしめた。ただ、この頃になると、オーディションでパーソナリティを探し、番組が育てていくことよりも、知名度ありきでパーソナリティに採用することが増えてきた。

1991年10月には、25年目突入を記念して、中島みゆき、タモリ、ビートたけし、笑福亭鶴光の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送を行った。また、1997年10月から1998年3月まで、番組放送開始30周年を記念して、過去のパーソナリティが担当する『オールナイトニッポンDX』が、19:00 - 21:00に放送されている。

しかし、1990年代中頃になると、テレビの深夜番組の充実化やビデオデッキゲーム機パソコン携帯電話の普及等によって、若年層を中心としたラジオ離れが顕著になり、深夜ラジオ全体の長期低落傾向が目に見えて現れて来る。さらに同じラジオ業界内でも80年代末以降の民放FM局急増、『スーパーFMマガジン』(TOKYO FM)『FMナイトストリート』(JFN)など、民放FM局が深夜帯にAMラジオ的なネタ・トークを中心に据えた番組を制作する様になったことから聴取者全体のパイが分散し、一部の地方局でのCM収入の減少による制作費減少等、AMラジオの深夜放送に対する逆風は強くなっていった。番組に寄せられるはがきやFAXの数も激減し(1997年当時、ナインティナインのオールナイトニッポン宛てに送られてくるはがき・FAXの数はトータルで週3000枚程度であり、60 - 70年代の人気番組の7分の1程度にまで落ち込んでいた)、オールナイトニッポンだけでなく、AMラジオの若者向け深夜放送自体の将来に暗雲が立ち込めていた。その様な中で、ニッポン放送はパソコンや携帯電話、メールなど新しいツールに目をつけ、それらのIT機器とAMラジオの関係を融合させるべく『オールナイトニッポン』を含めた夜帯の大改編を行うことになる。

1998年春の改編では、2部枠(27:00 - 29:00)がR(リラックスの略)がついた『オールナイトニッポンR』に改称。金曜深夜と土曜深夜を除き28:30終了と30分短縮された。この時期にはインターネット放送でのスタジオ同時生中継が試験的に行われ、この試みは後に「LFX488」に生かされた。

LF+R(1999年 - 2003年)編集

1999年春の改編では、開始時間帯を大幅に前倒ししたうえで2部制から3部制になり、夜帯を「LF+R(Love & Friends + Radio)」と称した上で、22:00 - 24:00に今までの旧1部に近い形の『allnightnippon SUPER!』を開始、25:00 - 27:00をインターネットと連動させた『@llnightnippon.com』、27:00 - 29:00、ないし27:00 - 28:30を『allnightnippon-r』と改題したが、「LF+R」開始当初から様々な問題が発生した(LF+Rの項を参考のこと)。

2000年に土曜深夜の23:30 - 25:00の90分枠に『福山雅治のallnightnippon saturday special・魂のラジオ』(『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』の後継番組)を立ち上げ、1998年に降板していた福山雅治を再起用した。

2003年春の改編をもって「LF+R」ブランドは終了し、22:00 - 24:00のSUPER枠は『オールナイトニッポンいいネ!』に改題されパーソナリティを一新。com枠である25:00 - 27:00は4年ぶりにタイトルが『オールナイトニッポン』に、『allnightnippon-r』も『オールナイトニッポンR』と1998年から1年間使用していたタイトルに戻った。

LF+R終了後(2003年 - 2012年)編集

若者層を中心としたラジオ離れやテレビの終夜放送が進むなかで、ラジオ業界はかつて1960年代 - 70年代にラジオを聴いていた団塊の世代など高年齢者を対象とした番組を多数制作するようになる。オールナイトニッポンもTBSラジオJUNK』との競争が激化し若者層聴取が先細りする中で、2003年秋の改編では深夜放送に参入したNHKの『ラジオ深夜便』の好調に影響を受け、若者向けであった『オールナイトニッポンR』の月曜から木曜を打ち切り、代わって中高年層を強く意識した『オールナイトニッポンエバーグリーン』を放送開始、パーソナリティは初代DJの1人である斉藤安弘を再起用した。番組は6年続き、斉藤が2009年春改編にて定年退職で降板した後も、1970年代後半にオールナイトを担当したくり万太郎を起用し『くり万太郎のオールナイトニッポンR』が放送された。

また、2009年11月30日からは22時〜23時台の夜ワイド枠において『オールナイトニッポンGOLD』を開始。深夜枠に放送される本来のオールナイトニッポンよりはやや上の年齢層をターゲットとしたパーソナリティが起用されている。

2006年7月には『オールナイトニッポン』の一部番組でポッドキャストを開始。詳細は「ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション」を参照

2007年10月1日、40周年を記念して週6日放送の生番組では最長であることから、ギネス・ワールド・レコーズに申請した。同日から、『オールナイトニッポンエバーグリーン』は、ニッポン放送では28:30(翌日早朝4:30)で打ち切られるようになった。

一方、2008年1月29日に放送した特別番組『倖田來未のオールナイトニッポン』での倖田の発言が問題となる。番組は事前収録であり、チェック体制が機能しなかったとして、担当プロデューサーの謝罪(『ナインティナインのオールナイトニッポン』・2月8日放送)や制作担当社員のほぼ半数を入れ替える社内処分が行われた。

タイトルを変えての8年半ぶりの2部制復活(2012年 - )編集

2012年4月より携帯端末向けマルチメディア放送として新たにスタートする「NOTTV」のサービスの目玉の一つとして『オールナイトニッポン0(ZERO)』(月-金曜 27:00 - 29:00)の開始、並びにNOTTVによるサイマル放送」が開始された[12]。『オールナイトニッポン0(ZERO)』は2003年秋の『オールナイトニッポンR』月曜 - 木曜が終了して以来8年半ぶりの第2部の位置づけ的番組の復活となった。なお、同枠のパーソナリティオーディションが2012年1月よりYoutubeを利用した一般公募の形式で実施され、19年ぶりに一般人パーソナリティとして本村康祐と西岡隼基が2012年4月から2013年3月の1年間にわたり起用された。

これについて、『オールナイトニッポン0(ZERO)』の制作統括責任者の松岡敦司は「そもそもオールナイトニッポンという番組は、新しい才能をリスナーに紹介する場だったからです。「新しい才能を発掘していくのがオールナイトニッポンだ」という想いが私自身の中にあったのです」と語っていて[13]、1990年代から2000年代にかけて見られた知名度ありきのパーソナリティを起用するという方針から、かつて、1970年代半ばに見られた新人パーソナリティの発掘・育成を図るという方針に転換している事を窺わせている。また、Youtubeを利用した投稿を用いたことについて松岡は「とにかく面白いことができる人であれば何人でもかまわない。とにかく気軽に応募して欲しいということ。これだけインターネットが普及している時代なのでやはり、動画投稿サイトを使うのが良いだろうという結論に達しました」とも語っている[13]

特に、2014年4月から2015年3月に放送された『ウーマンラッシュアワーのオールナイトニッポン0(ZERO)』の場合、27時から29時の放送時間帯にもかかわらず、有楽町にあるニッポン放送本社の出入り口には多くの女性ファンが出待ちする中で、NOTTVにチャンネルを合わせて、この番組を見ていたという[14]

2013年2月22日 22:00 - 2月24日 22:00は「たけし みゆき 千春も登場! 伝説のパーソナリティが今を語る オールナイトニッポン45時間スペシャル」を放送。同番組は24日 9:00 - 12:00「東京マラソン2013」の生中継などを挟みながら45時間の長時間生放送(一部録音)となった。

2013年4月の改編期には、NOTTVが2012年から始まった『オールナイトニッポン0(ZERO)』の映像配信に続いて、火曜日(久保ミツロウ・能町みね子のオールナイトニッポン)と水曜日(ダイノジ 大谷ノブ彦のオールナイトニッポン)のオールナイトニッポン1部でも映像付きの同時生放送が1年間にわたって行われた[15]。また、2014年4月の改編期には、金曜日から水曜日に枠が移動となった「AKB48のオールナイトニッポン」をNOTTVで映像付きの同時生放送を行った[16]

2013年9月16日より21日までの6日間は、「『オールナイトニッポン』×YouTube エンタメウィーク[17][18]連動企画」と題して、史上初めて月曜から土曜日まで旧1部、2部の枠全て(土曜2部を除く)が動画配信された[19][18]

2015年2月2日からニッポン放送と吉本興業が共同で企画制作するインターネット配信番組『オールナイトニッポンw』(月曜日-金曜日19時から10分から15分程度の動画を配信)がYouTubeを用いて配信[20]

2016年6月末をもって、『オールナイトニッポン0(ZERO)』を同時放送していたNOTTVの放送が終了になったことに伴い[21]、この『オールナイトニッポン0(ZERO)』の動画配信は2016年3月28日の放送分からLINE LIVEに受け継がれた[22]

2017年10月にオールナイトニッポンが放送開始50年を迎えることを記念した企画の一環として、「オールナイトニッポン50周年記念ロゴ・制作プロジェクト」が発足し、2016年11月10日から2016年12月15日23時59分までの期間を設け、2017年10月2日にオールナイトニッポンが放送開始して50周年を記念するロゴをプロ・アマ問わず一般公募という形でニッポン放送主催によって行い[23]、その結果、応募総数が1081案となり、2017年2月4日に、最終選考結果を『ニッポン放送 オールナイトニッポン50周年 ALL LIVE NIPPON VOL.5』のステージにて発表すると同時に、オールナイトニッポンの放送開始50周年記念ロゴが正式に決定した[24][25]。応募総数が1081案の中から、オールナイトニッポン50周年記念ロゴに選ばれたのは大分県に住むグラフィックデザイナーがデザインしたロゴで、「ヘッドフォンをつけて、ニヤニヤしながらこっそり聴いているリスナー」だと自らデザインした記念ロゴのイメージについて説明した[25]。また、別のインタビューでは「自分がラジオを聴いていた思いを形にできないかって思って、リスナーさんが夜な夜なイヤホンを付けて、こっそり笑って聴いているっていう」イメージで制作したと説明した上で、「1人でニヤニヤ笑いながら、でも時間だけは共有できている。いろいろなパーソナリティのファンの方がいると思いますが、その中で、みんなで時間共有してるというのは、1つの繋がり、絆みたいなものですよね。そういうものを表現しました」というふうにこのロゴを制作した意図について説明している[26]

2017年1月14日からはオールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』の復活版『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン.TV@J:COM』というJ:COM制作のテレビの「地元密着オトナトークバラエティ」番組として放送[27]

また、オールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、2012年以来、5年ぶりに「新たなラジオパーソナリティ発掘」を目的にした、「オールナイトニッポン50周年・パーソナリティオーディション」をプロ・アマ問わず、行うことになった[28][29]。応募方法は「LINE LIVE」を用いて、自己PR動画を作り、その上で、ニッポン放送のホームページの中にある応募フォームには、動画のURLと必要事項などを書き、エントリーを完了させるという方法を取る[28][29]。2017年1月11日から2月5日23時59分の期間で応募を受け付け[28][29]、2月中旬に、映像をどのぐらい視聴したのかというその数に加え、LINE LIVEの機能の一つである評価した数を考慮したうえで、1次選考を行い、その結果を応募者に連絡し、2月下旬にオールナイトニッポン番組スタッフによる面接を行い[28]、3月22日にこのオーディションに応募した693組の中から新パーソナリティとしてお笑いコンビのランパンプスが選ばれた[30]。また、惜しくも合格できなかった応募した方の中から相席スタートランジャタイ・EMILY(HONEBONE)・高須克弥の4組が2017年9月までに『オールナイトニッポンR』のパーソナリティに起用することになった[31][32]

また、2017年3月22日には50周年記念キャッチコピーとして、「Live & Fun」を制定した[33]。これは、「Live」=「現在進行形で歴史を作り続けている、生の情報を常に発信している」、「Fun」=「オールナイトニッポンの原点、深夜の解放区、常に若者との絆を大切にするスピリッツ」という意味を込めた[33]。なお、前述のオールナイトニッポン50周年ロゴに「Live & Fun」というキャッチコピーを加えたロゴデザインを同じくオールナイトニッポン50周年ロゴを制作した大分県に住むグラフィックデザイナーが手掛けた[33]

2017年4月28日に、第54回ギャラクシー賞放送批評懇談会主催)の入賞作品が発表され、50年の歴史を刻んて来たオールナイトニッポンのパーソナリティとしては初めてとなる「DJパーソナリティ賞」を星野源が受賞した[34]

2017年6月3日・6月4日には『ALL NIGHT NIPPON 50th Anniversary ブリトニー・スピアーズ -JAPAN TOUR 2017-』と題して、2002年以来の来日となるブリトニー・スピアーズの東京公演を「オールナイトニッポン」という冠を付け、オールナイトニッポン放送開始50周年記念公演として行った[35]

2017年7月15日には『ありがとう!オールナイトニッポン50周年』と題して、5時から13時までのレギュラー番組において、「オールナイトニッポンにまつわる曲」を放送し、13時から17時まではパーソナリティに荘口彰久を迎え、「ありがとう!オールナイトニッポン50周年クロニクル」として放送[36]

2017年7月31日からオールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、ニッポン放送が運営しているWebメディア「allnightnippon.com」の新しいサービスとして『オールナイトニッポンi』の運営を始めた[37][38]

2017年8月7日-8月12日にはオールナイトニッポン50周年企画として、「Welcome Ariana!“One Love Manchester” with ALL NIGHT NIPPON」と題して、2017年5月22日にイギリスマンチェスターのライブ会場で行われたアリアナ・グランデの公演でテロが発生したことを受けて行われているチャリティキャンペーン「One Love Manchester」に、放送開始から50年間にわたり、『音楽』と『若者』を大切にしてきた、オールナイトニッポンが、このキャンペーンに賛同した上で、月曜日から金曜日の『オールナイトニッポン』『オールナイトニッポン0(ZERO)』、土曜日の『オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん』『オードリーのオールナイトニッポン』において、メッセージを受け付け、その寄せられたメッセージを紹介[39][40][41]

また、東京ガールズコレクションと放送開始50周年を迎えるオールナイトニッポンとのコラボレーションが実現し、2017年9月2日に開催の第25回東京ガールズコレクション2017AUTUMN/WINTERの中でオールナイトニッポンについてプロモーションを行った[42]

また、オールナイトニッポン50周年企画として、Yahoo! JAPANの協力によって、「MY HOMETOWN」をテーマにしたリスナー参加のスマホムービーコンテストを春夏秋冬の4期(2017年10月から2018年9月まで)にわたって行うことになった[43]

2017年10月から2018年3月のいわゆるナイターオフ期には、オールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、過去に起用されたオールナイトニッポン歴代パーソナリティを起用した『オールナイトニッポンプレミアム』を放送[44]

また、オールナイトニッポンが放送開始50周年を迎えるにあたって、2018年10月までの期間中、「50の企画」を行っている[45]。なお、オールナイトニッポンの50周年記念企画はニッポン放送のすべての社員から募集をかけ、その中から「50の企画」が選ばれた[45]

すでに、「星野源制作による50周年記念ジングル(後述)」「ALL LIVE NIPPON Vol.5」「リスナーの一般公募による50周年記念ロゴ制定」「50周年パーソナリティオーディション」「ブリトニー・スピアーズ JAPAN TOUR 2017」「開局記念日特番「ありがとう!オールナイトニッポン50周年クロニクル」」「Welcome Ariana! One Love Manchester with ANN」「東京ガールズコレクションにオールナイトニッポンのパーソナリティが出演」といった8つの企画を行っている[45]

その50周年記念企画の一つとして、スマートフォンで録音した30秒程度の「私とオールナイトニッポン」をテーマにした音声メッセージをメールで募り、その音声メッセージをCreepy Nuts作曲のBGMに乗せてスペシャルジングルとして放送する「〜あなたの声がオールナイトニッポンで流れる!〜「私とオールナイトニッポン」リスナージングル」を実施[45][46]

そのほか、すでに明らかになっているものとして、

  • オールナイトニッポンなどの番組の裏話やオフショットをつづる「オールナイトニッポン オフィシャルTwitter&Instagramアカウント開設」[45]
  • 50年の歴史を「知られざるエピソード」でつづる「オールナイトニッポン サイドストーリー」[45]
  • 「オールナイトニッポン」をモチーフに、少年少女のリスナーが織りなす60秒ラジオドラマを6話放送する「鴻上尚史書き下ろしミニドラマ「オールナイトニッポン劇場」」[45]
  • 次の時代を築くパーソナリティを一般公募して、2018年4月からの『オールナイトニッポン0(ZERO)』のレギュラーパーソナリティに起用することになっている「〜次の50年を担うパーソナリティは誰だ?〜オールナイトニッポン “next50 オーディション”」[45]
  • オールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティが月替わりで登場して、応募した日本全国の学校の中から、毎月抽選で10校限定で、その学校のみ流れる番組を制作し校内放送で流す「オールナイトニッポン in 校内放送」[47][45][48][49][50]
  • リスナーの中からオールナイトニッポンを担当する放送作家を発掘する「50年に一度の天才を探せ!オールナイトニッポン放送作家オーディション」[45]
  • 50年間にわたり放送してきたジングルを放送する「もう一度聴きたい! オールナイトニッポン ジングルライブラリー」[45]
  • 岡村隆史がプロデュースするライブイベント「岡村隆史のオールナイトニッポン歌謡祭 in 横浜アリーナ2017」[45]
  • 森山良子と行く自身の「ライブ&ディナー」を含めた台湾ツアーを行う「森山良子 音楽的晩餐会 オトナ旅 in 台湾 3泊4日の旅」[45]
  • オールナイトニッポンのパーソナリティが集う初の2日間のライブイベント「ALL LIVE NIPPON Vol.6」[45]
  • オールナイトニッポンとセイコーのコラボレーションが実現した限定500個の「大人の腕時計」「オールナイトニッポン50周年記念限定モデル クロノグラフ腕時計」[45]

といった企画が用意されている。

日曜日編集

日曜深夜にも1985年以前に『オールナイトニッポン電話リクエスト』という、糸居五郎や木藤隆雄、はたえ金次郎(波多江孝文)などが担当した電話リクエスト番組があった。また、

  • 赤坂泰彦のオールナイトニッポン電話リクエスト(1997年10月 - 1999年3月、23:00 - 25:30)
  • @llnightnippon.com HYPER REQUEST SUNDAY!(→Sunday Request Night)(荘口彰久桃乃未琴)(1999年4月 - 2000年3月、23:00 - 25:00)
  • SILVAのallnightnippon Sunday Special “Luv mode”(2000年4月 - 2001年3月、23:30 - 25:00)
  • 中澤裕子のallnightnippon Sunday Special(2001年4月 - 2001年9月、23:30 - 25:00)
  • 中澤裕子のallnightnippon Sunday SUPER!(2001年10月 - 2003年3月、23:00 - 24:30)
  • 飯島愛の@llnightnippon Sunday.com(2001年10月 - 2003年3月、24:30 - 25:30)

などの番組を行っていた時期があった。

他にオールナイトニッポンを冠した番組として、2008年4月 - 2009年3月には、『上原隆のオールナイトニッポン サポーターズ』(25:00 - 25:30)が、2009年10月11日 - 2010年9月12日には、『オールナイトニッポンサンデー』が放送されている。

その後、単発で放送された 『ROLLY谷山浩子のオールナイトニッポンR』(2012年10月14日、27:00 - 29:00)以外は日曜日のオールナイトニッポンは放送されていなかったが、2013年4月改編に「中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ」が放送開始。日曜のオールナイトニッポンレギュラー枠では2003年3月に中澤裕子のallnightnippon Sunday SUPER!と飯島愛の@llnightnippon Sunday.comが終わって以来、10年ぶりとなる。
また、「中島みゆきの月イチ」は一部の局ではあるがネットされており、サンデースペシャルが放送される時間帯ほとんどの局ではネット受けやプロダクション制作の番組の放送やメンテナンスに充てることがほとんどのため、日曜日の枠がネットされるのは初のことである。

テーマ曲編集

  • BITTERSWEET SAMBA(ビタースウィート・サンバ)』
  • テーマ曲として採用された経緯については諸説ある。
    • 実際はA面だった曲(ティファナ・タクシー)を使用していたが、高崎一郎の番組のスタッフが間違えてB面の曲(BITTERSWEET SAMBA)をかけてしまったところ、高崎が「この曲のほうがよいのでは」と言ってこの曲に変更された。ただし「ビタースウィート・サンバ」はアルバム『Whipped Cream & Other Delights』のA面4曲目。ティファナ・タクシーは別のアルバム『Going Places!!』のA面1曲目であり、間違えるはずはないという指摘もある[51]。編集盤やシングル盤という可能性もあるが詳細は不明。
    • 違う曲(レモン・ツリーまたはティファナ・タクシー)がテーマ曲候補に上げられていたが、この曲の収録されたレコードをかけようとしてたまたま同じ面に収録されていた BITTERSWEET SAMBA が誤ってかかってしまい、曲を聴いた高崎がテーマ曲として決定した[52]
    • 上記の説を否定する証言が存在する。
      • 70年代から80年代にかけてプロデューサーをつとめた近衛正通(岡崎正通)は、高崎一郎からテーマ曲選びを依頼された朝妻一郎が最初から「ビタースウィート・サンバ」を選んだのにすぎず、上記のかけ間違え説は高崎が「都市伝説みたいなストーリーを作った」という証言を行っている[53]
      • 斉藤安弘は「もともとこの曲をテーマにする予定だったと聞いていた」と、自身の番組『オールナイトニッポンエバーグリーン』で発言している[要高次出典]
      • オールナイトニッポン40周年記念!笑福亭鶴光と松本ひでおの深夜放送ヒット電話リクエスト』(2007年2月19日放送分)[要高次出典]の中で、松本ひでおがスタッフの間違いではなく高崎一郎が初めから決めていたことだと明らかにし、同時に「スタッフ間違え説」を否定した。
      • 栃木放送開局50周年特別番組『真夜中のビタースイートサンバ』(2014年3月23日放送)[要高次出典]にて朝妻一郎がインタビューでこのことに触れており、高崎からテーマ曲の候補を探すよう依頼され朝妻の会社が著作権を持っている曲のなかで一番良いと選んで高崎に視聴させたところ「演奏はよいがリズム感が......これじゃないだろう」と同じ盤に入っていた他の曲を聞きだした。そのなかでビタースイートサンバを高崎自身が選んだという。その後、高崎が逸話として話を面白くするため「盤を裏返しに…」と話したそうである。
  • タモリのオールナイトニッポン』においてハーブ・アルパートが特別ゲストとして招かれたとき、その当時のテーマ曲のバージョンをトーク無しのフル演奏で流したことがある。
  • 1973〜74年頃のオープニングには、前述のデニス・コフィー(正確には「Dennis Coffey & The Detroit Guitar Band」)による演奏(1973年にキングレコードより国内向けにリリース。原曲は演奏時間2分40秒。[1]テーマ曲として使われた時のイントロは原曲を多少アレンジしてある)でアレンジされた「ビタースイート・サンバ」[2]を採用。ロック調またはディスコ調ヴァージョン、特に出出しのイントロはエレクトリックギターで演奏され、現在使用されているテーマ曲とは異なるリズムで他の楽器としてボンゴを使用している。本楽曲は海外向けにA&Mレコードが1973年にリリースしてB面に収録されている[3][54]。しかし、リスナーの間では評判が悪かったため、後にオリジナル(ハーブ・アルパート)版に戻されている(一部ではCBCラジオのように番組放送後の提供クレジットで流されていた局も存在した)。最後に使用されたのは、1974年末頃の土曜深夜『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』のみで、他曜日のオープニングは随時オリジナル版に戻された。
  • 以前はネット局により午前3時(第1部終了)までの局(全ての局ではないがCBCラジオやラジオ大阪など)はそれぞれの局において、第2部のオープニング(午前3時の時報)までにかかる繋ぎの曲の途中からフェードインしエンディングとして流し、各局のアナウンサーが番組協賛スポンサー及び番組終了のアナウンスを入れていたが、現在は行われておらず、次番組が始まるまでに繋ぎの曲(つまり、第1部のエンディング曲)をフェードアウトしてからコマーシャルなどが入るようになった。
    • CBCラジオの場合、3時で飛び降りる時に前述の「デニス・コフィー&ザ・デトロイト・ギター・バンド」演奏のバージョンが流されていた(2時58分30秒頃から、約1分20秒程)。1986年までは『ビバヤング、オールナイトニッポン。この番組は○○......』のように協賛スポンサーの読み上げも流されていたが、1987年頃は『ビバヤング、オールナイトニッポン。それでは今日はこの辺で。』のみのナレーションが入っていた。1988年頃から使用されなくなり、現在のように各CMが流れて3時を迎えている。
    • ニッポン放送の場合、第1部のエンディング曲を3時の時報前まで流し、時報に入る直前に「○○のオールナイトニッポン」というジングルを入れて時報に入り、第2部(現在のZERO/R枠)に突入する。
  • また、現在は、木曜日の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』、土曜日の『オードリーのオールナイトニッポン』などで一節が繰り返されている物のフル演奏を聴くことができる。また、一部の番組では、先のものとは別の部分を延々繰り返している物を曲紹介・スポンサー読み・コーナー呼び込みまで掛ける事もある。
  • 第2部では番組設置の経緯(4時間の大きな放送枠を便宜上二つに分ける)から、オープニングでは流さず、エンディングに後半部分から流し始め、曲の終了と共に番組も終了するというスタイルが長らく続いていた[55]が、「R」では旧オールナイトニッポンとは別の番組枠となったとしてオープニングにもかけられる場合が多数となった他、エンディングも単なるフェードアウトとなる場合が多くなった(土曜単独となっても行われる。また週によってはニッポン放送飛び降りのところで流されることもある)。「ZERO」では旧・第2部の復活という理由付けを行い、旧第2部と同じ構成で曲が使われている。
  • 1988年10月から1989年1月にかけて昭和天皇の体調の悪化で日本国内が自粛ムードに包まれ、その間全く異なるBGMに差し替えた。
  • 2014年、ニッポン放送開局60周年企画の1つとして行われた投票企画「あなたが『オールナイトニッポン』で出会った忘れられぬミュージックランキング」にて1位を獲得したが、この旨をハーブ・アルパートに連絡したところ「使用されていたこと自体を知らなかった」事が発覚した[56]

ウィークリーソング編集

  • 週替わりで各曜日にかかわらず「ニッポン放送ディレクターズプッシュ」としてヘビーローテーションで新譜が流される。これはかつて月間(月間時のヘビロテの名称は「オールナイトニッポン・スーパーディスク」)であった。
  • 2012年4月から当番組の推薦曲がエンディングで流されるようになったこともある。

番組ジングル編集

CM前とCM明けのジングルを数々のアーティストが手がけており、放送開始から40周年・45周年・50周年を記念した特別番組・特別企画においてはこれらのジングルが様々使用された(90年代後半のものなど、使用されなかったジングルも多い)。現在の通常放送でも、ディレクターの意向により現在使用されていないジングルを放送する場合もある。

1960年代 - 1980年代の担当アーティスト編集

放送開始から70年代は「♪オールナーイトニーッポーン♪」や「♪ビバーヤング! パヤパヤ ビバヤーング♪」のジングルが主流であった。このジングルは、他の担当者では使われなくなっても、笑福亭鶴光担当回では1982年まで使用され続けた。一旦全ての番組で使用されなくなったが、サンプラザ中野担当回では当時唯一「ビバ!ヤング」をタイトルに付けていたため、全国一斉放送のCMの時のみ(毎時00〜30分台)使用されていた。その後、糸居五郎死去の際の追悼番組で流された。
2012年3月までくり万太郎が担当する『くり万太郎のオールナイトニッポンR』で流れていた。過去には斉藤安弘が担当する『オールナイトニッポンエバーグリーン』でも流れていた。70年代、亀渕昭信が担当していた『ビバ・カメショー』にも「カメ、カメー」や、斉藤安弘が担当していた頃の「オールナイートニーッポン、アンコー」(「アンコー」の部分が「アンコーさーん」のヴァージョンもある)など担当DJ専用ジングルもあった。
20周年記念バージョンのジングル。「20th Anniversary」のフレーズが入っている。なお、20周年イヤー以降も該当部分を削除して使用を継続。

1990年代の担当アーティスト編集

AMステレオ放送開始とともに使用。
25周年記念バージョンのジングル。「25th Anniversary」のフレーズが入っている。
  • Selfish(1993年3月1日-1994年5月14日)
  • L⇔R(1994年5月16日-1995年10月7日)
このうちの1パターンはくり万太郎のANNRで使用
30周年記念バージョンのジングル。「thirty Years」のフレーズが入っている。
  • Ram Jam World(1997年11月3日-1999年3月27日)
  • (不明)(1999年3月29日 - 2001年3月31日 『LF+R』の初期)

2000年代の担当アーティスト編集

担当当時は、ボーカル&歌詞を担当する"ああ"とギター&作曲のtakumiのユニットだった。「SUPER!」で使用。
ボーカル・作詞のmyco、キーボードの辺見鑑孝、作曲・ギターの田辺晋太郎。「.com」で使用。
  • サム41(2003年3月31日-2008年9月18日)
海外のアーティストがこの番組のジングルを手がけるのはこれが初。毎日使用していたのは2005年7月1日までである。毎日の使用中止後も、木曜日のナイナイのANNで1パターンのみ使用していたが、2008年9月18日をもって使用を中止した。
毎日使用していたのは2005年7月1日までである。毎日の使用中止後も、木・金のみ使用していたが、木曜日のナイナイは2007年4月12日・金曜日は4月6日をもって使用を中止した。
  • B-DASH(2003年10月3日 - 2009年10月3日「R」)
金・土曜日の「R」専用ジングル。「オールナイトニッポンRだよ〜」と歌っているもの。「ANN」は全て2009年10月9日より25時台と同じものへ統一されたため、「R」専用のジングルは消滅した。
40周年記念バージョンのジングル。「40th」もしくは「40th Anniversary」のフレーズが入っている。
ピアノを基調にしたジングルで、「Allnight-long」「Allnight-nippon」が織り込まれているものが多かった。

2010年代の担当アーティスト編集

45周年記念バージョンのジングル。「45th Anniversary」が織り込まれている。
  • kz(livetune)×八王子P(ボーカル:初音ミク)(2013年4月2日未明(編成上は4月1日深夜) - 2017年1月3日1時台前半(1月2日25時台前半))
後任が使用開始日の放送途中にサプライズ発表となった関係で、発表の直前まで使用された。
  • 星野源(2017年1月3日1時台後半(編成上は1月2日25時台後半)- )
50周年記念バージョンのジングル。「50周年」や「ゆうらくちょう」といったフレーズが織り込まれているバージョンもある。このジングルの使用開始日に「星野源のオールナイトニッポン」の中で、このジングルを星野源自身が作ったことを明らかにした[57]。作成したのは13パターンのジングルで[58]で、そのジングルの作詞・作曲・編曲の一切を星野源自身が担当したもので、その13パターンのジングル[58]は、アップテンポ調・スロー調、あるいはファンク調・メタル調などのアレンジと、まさに、星野源の「アイデア」に加えて「遊びゴコロ」を満載させたジングルに仕上がった[59]

CD・レコード編集

シングル編集

  • 今、僕たちにできる事(ポニーキャニオン)- 歌:オールナイトニッポン・パーソナリティーズ(1992年10月期当時のパーソナリティ全員が参加 対後天性免疫不全症候群運動のために制作された)
  • ビタースウィート・サンバ(ポリドール) - 演奏:ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス(1994年10月26日発売。当初テーマ曲の予定だったティファナ・タクシーも収録。廃盤)

アルバム編集

  • オールナイトニッポン(LP盤)(キャニオン・レコード : 1970年12月)- 最初のオールナイトニッポンのアルバム、当時のパーソナリティ全員参加
  • 海賊放送局(LP盤)(キャニオン・レコード : 1971年11月)- 今仁哲夫と天井邦夫によるビバ栗毛の珍道中記、パーソナリティ全員参加のラジオドラマ、カメカメ合唱団の歌
  • 深夜放送グラフティ オールナイト・ニッポン(エピック・ソニーレコード : 1991年11月)- 糸居五郎、ビバ・カメショー(ゲスト:あのねのね オールナイトニッポンに初めてゲストに招かれ、のちパーソナリティとなるきっかけとなった貴重な録音)、斉藤安弘(最終回、ゲスト:水沢アキ)のそれぞれの抜粋を収録
  • オールナイトニッポン Radio Days Bitter Hits(東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン))
  • オールナイトニッポン Radio Days Sweet Hits(UM3/USM Japan
  • オールナイトニッポン パーソナリティーズヒッツ〜青春 ON AIR〜(ポニーキャニオン)
以上の3作品は、2003年に発売した35周年記念のコンピレーションアルバム
  • オールナイトニッポン EVERGREEN(EMIミュージック・ジャパン、ビクターエンタテインメントほか) - 2008年1月23日に6枚同時発売した40周年記念のコンピレーションアルバム

商品編集

  • 青春のオールナイトニッポン(タカラ
BCLラジオのフィギュア。つまみを模したボタンを押すとジングルや糸居五郎や笑福亭鶴光らの番組の一部音声が流れる。ビタースウィートサンバはオリジナル。2004年発売。
  • 懐かしのオールナイトニッポンキャンデー(ブルボン
番組内容の一部とパーソナリティの持ち歌で構成した8cmCD付きのコーヒーキャンデー(食玩)。2004年発売。
有名なゲーム『スーパーマリオブラザーズ』の一部キャラクターの絵をパーソナリティの顔にしたもの。
1987年、番組放送開始20周年を記念して任天堂と共同製作。
  • オールナイトニッポン40周年記念カップ麺が日清食品、明星食品の制作でサークルK/サンクスにて2007年10月31日発売[4]
  • オールナイトニッポンを作ろう!(mobage
自分で番組運営のほか多彩なゲストと魅力的なスポンサー集めのほか他のユーザーとの交流や名刺の奪い合い、携帯電話のGPS機能を利用した位置でエリア拡大などを詰め込んだ番組運営シミュレーションソーシャルゲーム

ネット局編集

現在、『オールナイトニッポン(1部)』は全国36局ネットであり、AMラジオ番組の中でもネット局数が多い番組の中の1つである。地方でのネット局は主にニッポン放送も加盟しているNRN系列局が多いが、3部制となった1999年のLF+R時代以降、時間帯によってネット局が変わるなど状況が複雑化しつつある。

NRN・JRN回線を使用する際にそれを表示している局の番組表からも分かるとおり、NRN回線は使用していない(単に「LF」と表示されている)。

東海地方編集

東海3県ではJRN単独系列のCBCラジオ(以下、CBC)[60]でネットしており、CBCはニッポン放送から東京都千代田区九段のCBC東京支社経由で番組をネットしている。伝送にはNTTコミュニケーションズの帯域保証のIP回線を使用[61]。これはニッポン放送が番組開始当初、全国ネット拡大を試み、この地区はまずNRN系列の東海ラジオにネットの依頼をしたが、東海ラジオは自社制作の人気番組『ミッドナイト東海』(現在は、『東海ラジオミッドナイトスペシャル』)を放送中でネットを断られてしまった。このため、CBCに依頼したところ、反対に『ミッドナイト東海』に劣勢であったこともあり、ネットを了承したという経緯があったためである。後に東海ラジオは22時枠(『allnightnippon Super!』、『魂のラジオ』、『オールナイトニッポンGOLD』)のネットを開始したため、東海地方ではオールナイトニッポンシリーズが2局でまたがって放送されることになった。

CBCでは1部のみのネットである(2017年4月まで土曜日はRを27時台のみネット。2003年3月までは27時から29時までネット。2009年4月から2010年3月までは平日にRを28時までネットしていた)。AMラジオ局が複数存在する地域の多くが『オールナイトニッポン』を29時までネットしているにもかかわらず、東海地区は27時までという状況となっている(これは東海ラジオが平日27・28時台に『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』を文化放送から受けていることも一因である)。そのような経緯から、平日25・26時台はJRN系の番組が流れないという事態が起こっている。また、東海ラジオが月 - 木曜25・26時台に『リッスン? 〜Live 4 Life〜』のネット受けを2012年10月から開始したため、月 - 木曜の25・26時台はNRN系の番組が表裏になっていた。ただし、2015年10月からは25時台の後番組である『ユニゾン!』のネットは継続する一方、26時台は『リッスン? 2-3』をわずか3ヶ月で打ち切って自社制作枠に戻したため、NRN系の番組が表裏となるのは25時台のみとなっている。

京阪神地区編集

京阪神地区で『オールナイトニッポン』をネットしていたのは長らくラジオ大阪(以下、OBC)とKBS京都(以下、KBS)であったが、2001年4月から3年にわたり独立局のAM KOBE(以下、AMK、現在のCRK・ラジオ関西)でも『SUPER!』→『いいネ!』がネットされた。それまでは自社製作の深夜ワイド番組『神戸アコースティックストーリー』を放送していたが、AMK側の都合で打ち切り、後番組を自社制作にはせず、ニッポン放送からの番販購入の形でこの番組を同時ネット受けすることになった。また、2007年4月からは変則的に『エバーグリーン』の飛び乗りネットを開始し、10月以降は27時からのフルネットに枠拡大した。

2009年7月、京阪神地区で長年22時台に独自の夜ワイド番組(ABCミュージックパラダイス)を製作していた朝日放送(以下、ABC)は、月曜から木曜までの自社製作を打ち切り、ニッポン放送の『銀河に吠えろ!宇宙GメンTAKUYA』をネットすることになった。この枠は2009年11月に『オールナイトニッポンGOLD』に移行したため、在阪局ではOBCに次いでABCでも『オールナイトニッポン』シリーズがネットされることになった。ただし、当該時間帯におけるABCのニッポン放送からのネット受け開始を受けて、CRKとKBSは『TAKUYA』の途中の2009年10月改編で当該時間帯のネット受けを撤退し、KBSは金曜を除いて文化放送の裏番組『レコメン!』を全編ネット、CRKは当該時間帯の自社制作を再開している。また、2010年4月からは『魂のラジオ』についてもABCラジオでネット開始される。

また、2013年10月からは『中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ』を大阪のFM局FM COCOLO[62]がネットするが[63]、オールナイトニッポンの歴史上FM局でネットが行われるのは初となる。さらに2014年4月改編からは『オールナイトニッポンGOLD』のABCのネット終了を受ける形で、FM COCOLOでネットする事となった(金曜を除く。2015年10月からの『オールナイトニッポン MUSIC10』も引き続きネット)[64]

この結果、2015年10月改編時点で、京阪神地区においては、MUSIC10と月イチはFM COCOLO、1部はOBCとKBS、27・28時台はCRK(土曜Rを除く)とKBS、サタデースペシャルはABCとKBSというように、番組ごとにネット局が変わる事態となった(GOLDは金曜のみとなったため、京阪神地区では非ネット)。

KBSは1978年4月に開始しているが、ネット開始する以前(1976年7月当時)は『日本列島ズバリリクエスト』(23:00 - 26:00)と『ミュージック・オン・ステージ』(26:00 - 29:00 木-土曜は別番組の関係で時差開始)を放送していた。

サタデースペシャル編集

もともとは『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』が放送されていた土曜日23:30 - 25:00枠『サタデースペシャル』については、さらにネット局が複雑化している。北海道に関しては以前は25時-29時枠と同様STVラジオがネットしていたが2002年3月に打ち切ったため、1年半のブランクを置いて2003年10月より競合局の北海道放送(HBC)でネットしている。福岡県でも同様に25時から29時枠は全て九州朝日放送(KBC)で流れているにもかかわらず、『サタデースペシャル』枠だけはRKB毎日放送がネットしているといった腸捻転現象がおきている。特にRKBラジオはNRNには加盟していないため、CBC同様特殊なケースとなっている。また、東海地区では『ジャンベルジャン』枠を引き継いだ東海ラジオが『魂のラジオ』放送開始からネットを行っている。2010年4月からは上記の通りABCでもネットを開始した。

ネット局での番組割愛時の対応編集

12月25日AM1:00(新聞上は12月24日の放送欄)からのオールナイトニッポンはオールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソンとして放送される(ラジオ・チャリティー・ミュージックソンの一環)。以前はニッポン放送は関東ローカル独自の放送のため放送されず、裏送りのみされたが、2007年度以降は、ニッポン放送発の番組をミュージックソン非参加局を含む各ネット局がネットしている。一方独自でラジオ・チャリティー・ミュージックソンの企画番組を放送する局はネットは割愛される。

ワールド・ベースボール・クラシックFIFAワールドカップなど日本時間の深夜に日本あるいは海外で行なわれる野球・サッカー中継をニッポン放送が中継・ネットする当日にオールナイトニッポンの放送とかぶる場合は、オールナイトニッポンを放送せず、裏送りのみを行なう。その際、放送される試合によっては放送権の関係でradikoでの放送はできないため、フィラー音楽とその間にニッポン放送のアナウンサーによる「放送権の都合によりradikoでの放送は行ないません。地上波でお聴きください」という説明が放送される。また、NRN系の多くの局も試合の中継を優先するため、オールナイトニッポンは放送されない(場合によっては飛び乗り)。そのため、場合によってはネット受けがラジオ大阪とCBC二局のみの時もある(中京広域圏では東海ラジオ、関西広域圏はABCでサッカー中継をネットすることが多いため)。

一覧編集

  1. オールナイトニッポン MUSIC10(月 - 木曜 22:00 - 24:00:月19局、火 - 木20局)、オールナイトニッポンGOLD(金曜 22:00 - 24:00[注 1]:19局)
  2. オールナイトニッポン(月 - 土曜 25:00 - 27:00:36局)
  3. オールナイトニッポン0(ZERO)(月 - 金曜 27:00 - 29:00[注 1]:11局)
  4. オールナイトニッポンR(土曜 27:00 - 29:00[注 1]:18局)
  5. オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん(土曜 23:30 - 25:00:34局)
  6. 中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ(月1回 日曜 27:00 - 29:00:9局)
  • ※…かつて同時間帯の番組をネットしていたが打ち切りとなった枠[注 2]
放送対象地域 放送局 系列 放送番組 備考 ネット開始年月
関東広域圏 ニッポン放送 NRN 1 2 3 4 5 6 制作局
[注 3]
1967年10月2日
北海道 STVラジオ 1 2 3 4 6 [注 4] 1970年6月30日
北海道放送 NRN/JRN - - - - 5 - 2003年10月
青森県 青森放送 1 2 5 - [注 5] 1973年7月2日[65]
岩手県 IBC岩手放送 1 2 - 4 5 - [注 6]
[注 7]
1972年4月
宮城県 東北放送 1 2 3 5 6 [注 8]
[注 9]
[注 10]
[注 11]
1970年10月
秋田県 秋田放送 - 2 - - 5 - 1979年10月
山形県 山形放送 1 2 - 4 5 - [注 7] 1977年4月
福島県 ラジオ福島 2 - - 5 - [注 12] 1982年4月
茨城県 茨城放送 NRN 1 2 3 4 5 - [注 13] 2001年4月
栃木県 栃木放送 - 2 3 4 - - 1995年7月
山梨県 山梨放送 NRN/JRN 1 2 - 5 [注 14]
[注 15]
[注 16]
1990年4月
静岡県 静岡放送 2 - 5 6 [注 17] 1970年6月30日
中京広域圏 東海ラジオ NRN 1 - - - 5 - [注 18] 1999年10月
CBCラジオ JRN - 2 - - [注 19]
[注 20]
1972年10月
新潟県 新潟放送 NRN/JRN - 2 - - 5 - 1976年4月
長野県 信越放送 1 2 - 5 6 [注 21] 1970年10月8日[66]
富山県 北日本放送 2 - - 5 - 1977年4月
石川県 北陸放送 1 2 - 5 - [注 22] 1982年3月
福井県 福井放送 1 2 - 4 5 - [注 7] 1981年4月
京都府
滋賀県
KBS京都
KBS滋賀
NRN 2 3 4 5 - [注 23] 1978年4月
近畿広域圏 ラジオ大阪 - 2 - - - - 1970年6月30日
朝日放送 NRN/JRN - - - 5 - [注 24]
[注 25]
2009年11月
FM COCOLO Mega
net
1 - - - - 6 [注 26]
[注 27]
[注 28]
[注 29]
2013年10月
和歌山県 和歌山放送 NRN/JRN 1 2 4 - [注 30]
[注 7]
[注 31]
[注 32]
1981年4月
兵庫県 ラジオ関西 独立局 - 3 - - - [注 33] 2001年4月
鳥取県
島根県
山陰放送 NRN/JRN 2 - - 5 - [注 34] 1985年4月
岡山県 山陽放送 1 2 - - 5 - [注 35] 1997年10月
広島県 中国放送 2 5 6 [注 36]
[注 37]
1970年10月
山口県 山口放送 1 2 - 4 5 - [注 38] 1988年4月
愛媛県 南海放送 2 3 4 5 - [注 39]
[注 38]
1979年4月
香川県 西日本放送 2 3 4 5 - [注 39]
[注 7]
[注 40]
1971年4月
徳島県 四国放送 - 2 - 4 5 - [注 38] 1977年4月
高知県 高知放送 2 3 - 5 - [注 41]
[注 40]
[注 38]
1971年4月
福岡県 九州朝日放送 NRN 1 2 3 4 - 6 [注 42]
[注 43]
1970年7月
RKB毎日放送 JRN - - - - 5 - 2000年3月
長崎県
佐賀県
長崎放送
NBCラジオ佐賀
NRN/JRN 1 2 - 4 5 - [注 44] 1970年10月
熊本県 熊本放送 2 5 6 [注 45]
[注 46]
[注 14]
[注 17]
1971年3月
大分県 大分放送 1 2 - 4 5 [注 47]
[注 48]
1979年4月
宮崎県 宮崎放送 1 2 - 4 5 - [注 7]
[注 49]
1977年4月
鹿児島県 南日本放送 2 - 4 5 - [注 7] 1979年10月
沖縄県 ラジオ沖縄 NRN - 2 - - 5 - [注 50] 1977年4月

※ネット局で地元プロ野球チームが優勝した日は優勝記念特別番組放送による休止の場合あり[注 51]

備考編集

  • ニッポン放送とBSフジフジテレビBSデジタルテレビ局)共同制作の番組『お笑いネクストブレーカー』の番組内でお笑い芸人が出されたテーマに、オールナイトニッポンをベースにトークをするコーナー「オールナイトニッポンへの道」があった。
  • CBCラジオでは、2009年2月1日から2月28日まで、親局である長島送信所の施設改修工事に伴い、午前0時から午前4時までの間放送が休止されたため、1ヶ月間オールナイトニッポンの放送が休止となった(協賛部分のみ休止直前の番組でCMとして流した)。
  • 信越放送では2009年4月 - 9月の間、経費削減などのため停波を伴う放送休止の時間に充てるのを伴い、祝日に当たる日にのみオールナイトニッポンの放送が休止となった。なお協賛部分のみ休止直前と再開直後でCMとして流す。
  • KBCラジオでは、北部九州ローカル番組で、月に1回、オールナイトKBCという番組が放送されている。
  • ラジオ福島では東日本大震災以降の方針で2011年7月26日に放送された特別番組『SKE48のオールナイトニッポン』を放送せず、裏番組の『爆笑問題カーボーイ』に差し替えた。
  • ホームページ・メールアドレスは基本的にニッポン放送の深夜放送の番組(オールナイトニッポンの冠が入っていない番組も含む)で使用される「allnightnippon.com」のドメインが使われているが、一部の派生番組(オールナイトニッポン・サンデーなど)では通常番組のドメイン「1242.com」が使われる番組もある。
  • 2017年11月12日には50周年記念特番「熱響の時『オールナイトニッポン50年の系譜』〜オールナイトニッポン50周年特別企画〜」がBSフジで放送される予定(21:00 - 22:55)[67]。MCは久保ミツロウ、能町みね子(以上 元GOLD、ZERO MC)、新内眞衣(乃木坂46、現水曜ZERO MC)[67]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ a b c 地域によって放送時間が異なる。
  2. ^ 1・5については『オールナイトニッポン』の冠がついた番組に限る。
  3. ^ 4は4時30分まで。
  4. ^ 5は2002年3月終了。
  5. ^ 2001年3月まではR(古くはオールナイト2部)も朝5時まで放送していた。
  6. ^ 1は金曜は23時飛び乗り。
  7. ^ a b c d e f g 4は4時まで。
  8. ^ 1は火 - 金曜のみ、23時50分に飛び降り。
  9. ^ 1は2013年4月2日開始。
  10. ^ 3は2013年4月1日開始。
  11. ^ 6は2013年5月12日・6月9日・7月14日に放送。2014年1月12日から再開。
  12. ^ 1は2011年9月終了。
  13. ^ 5は2004年10月開始。
  14. ^ a b 4は2015年3月終了。
  15. ^ 6は2014年8月終了。
  16. ^ ただし、1970年代後半から1983年3月31日までネットしていた事がある。その後1990年にネット再開した。
  17. ^ a b 6は2015年4月開始。
  18. ^ 5は2000年3月の放送開始から。また、ネット開始の時の放送枠は22時枠。
  19. ^ 27時台の平日ネットは2009年4月開始、2010年3月終了(旧タイトルの『オールナイトニッポンR』時代)。
  20. ^ 4は2017年4月終了。
  21. ^ 1については一時期月曜のみ未ネットだった時期がある。1974年6月の2部制導入までは放送終了まで放送。以降は平日のみ第1部終了で飛び降り。2012年4月から2014年3月、2015年4月からは土曜日も第1部終了で飛び降り。
  22. ^ 27時台(土曜のみ)は2005年9月終了。
  23. ^ 5は2005年10月開始。
  24. ^ 1は2014年3月末終了。今後はFM COCOLOでネット。
  25. ^ 5は2010年4月開始。
  26. ^ オールナイトニッポンとその関連番組のネット局の中で、唯一のFM放送局。
  27. ^ 1は月 - 木曜のみ。
  28. ^ 1は2014年4月開始。
  29. ^ 正確な放送対象地域は、大阪府大阪市堺市東大阪市関西国際空港兵庫県神戸市尼崎市京都府京都市奈良県奈良市
  30. ^ 3(当時平日2部枠)は1995年9月終了。
  31. ^ 5は2009年3月終了。
  32. ^ 1は2010年4月再開。
  33. ^ 3は旧エバーグリーン枠(月 - 木曜)を2007年4月から、2012年10月からは金曜もネット開始。2001年4月 - 2004年3月に22時台をネット。
  34. ^ 1は2010年3月終了。
  35. ^ 1は2015年4月開始。
  36. ^ かつては2部も放送していたが、1976年12月6日走れ!歌謡曲のネット局になったため放送打ち切りとなった。
  37. ^ 6は2013年12月開始。
  38. ^ a b c d 4は2013年3月までは、4時まで。
  39. ^ a b 3は4時まで。
  40. ^ a b 1は2010年9月終了。
  41. ^ 3は1995年9月(当時平日2部枠)終了、1998年10月(当時R)再開。
  42. ^ 1は2010年10月再開。
  43. ^ 4は2008年4月 - 9月は4時30分まで。
  44. ^ 4は長崎は2014年3月まで、佐賀は2013年3月までは4時まで。
  45. ^ 3は、2015年3月終了。
  46. ^ 27時台の平日ネットは2010年4月開始、2015年3月終了。
  47. ^ 4は2013年4月開始。
  48. ^ 6は2013年10月開始、2014年3月終了。
  49. ^ 4は2010年1月開始。
  50. ^ 5は2009年3月に一旦打ち切り、2012年4月再開。
  51. ^ 一例として、2013年9月26日の東北楽天ゴールデンイーグルスリーグ優勝時での「オールナイトニッポンGOLD」と「オールナイトニッポン0」を休止した東北放送や、2016年10月29日の北海道日本ハムファイーターズが日本一となった時の「オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん」を休止した北海道放送のケースなど。

出典編集

  1. ^ テレ朝系とは別。余談ではあるが、オールナイトニッポンシリーズを放送している九州朝日放送のテレビ放送のネットワークはテレ朝系に属している。
  2. ^ 『プロが教えるラジオの教科書』(花輪如一 著、199ページ - 203ページ)より。
  3. ^ 放送時間では4時間放送していた笑福亭鶴光が最長である。またアナウンサーを含めると、斉藤安弘は5年半の期間を毎週4時間、エバーグリーンとして5年半、週4日を2時間放送(更に増刊号放送もある)したのが放送時間最長となるほか、糸居五郎は11年半の期間DJを務めている。
  4. ^ 2014年9月まではコンビ(ナインティナイン)で担当。2010年7月 - 11月まで休養のため出演せず
  5. ^ アナウンサーを含めると、番組初復帰は今仁哲夫(1969年9月)である。
  6. ^ アナウンサーを含めると、最長期間での復帰は斉藤安弘は29年3ヶ月である。
  7. ^ 現・フジサンケイエージェンシー。現在は保険代理店とイベント関連のみで、制作事業からは手を引いている
  8. ^ a b c d e “オールナイトニッポン 深夜 若者くすぐり半世紀”. 東京新聞. (2017年1月8日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2017010802000159.html 2017年1月8日閲覧。 
  9. ^ 糸居五郎は「新しい時代の夜」、また「エバーグリーン」当時の斉藤安弘は「フレッシュな夜明け」と言っていた。このように、パーソナリティによっては部分的にアレンジして使うこともあった。
  10. ^ 『月刊ラジオパラダイス』1989年8月号『ニッポン放送35周年グラフィティ』29ページより。
  11. ^ 天井邦夫氏死去 元ニッポン放送副社長 - 47NEWS
  12. ^ スマホ向け放送「NOTTV」は月額420円で4月1日に開始 - AV Watch・2011年11月29日
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  47. ^ 担当パーソナリティは2017年10月はオードリーが、2017年11月は山下健二郎三代目J Soul Brothers)が、2017年12月は三四郎それぞれ務めた。
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  53. ^ オールナイトニッポン50年 黄金期プロデューサーが語る「たけし伝説」(3ページ目) 文春オンライン、2017年8月20日
  54. ^ 1973年12月30日放送の「あのねのねのオールナイトニッポン」のオープニング 参照(冒頭午前1時の時報から1分29秒より当時のテーマ曲。イントロから清水國明と原田伸郎のトーク、女性アナウンサーによるスポンサー及びネット局(当時15局ネット)紹介、再度清水と原田のトークまで約1分50秒間聴くことが出来る。このテーマ曲はのち1978年にアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(ジョン・トラボルタ主演)が日本で上映され、ディスコが大ブームになった頃の『タモリのオールナイトニッポン』スペシャルで、おすぎをゲストに招いて、ディスコファン中心のリスナー公開で放送されたときのオープニングに、約4年ぶりに使用された。ちなみに海外向けにリリースされたレコードのA面は『Theme From Enter The Dragon(燃えよドラゴンのテーマ)』)。
  55. ^ しかし、土曜2部の『川村かおりのオールナイトニッポン』や『電気グルーヴのオールナイトニッポン』では第1部と同じくオープニングに「ビタースウィート・サンバ」を流して番組を始めており、例外も存在している。
  56. ^ 2014年12月19日放送「オールナイトニッポンGOLD 忘れられぬミュージックスペシャル」にて吉田尚記が発言
  57. ^ “星野源『オールナイトニッポン』50周年ジングルを制作 ファンクやメタル調も”. オリコンスタイル. (2017年1月3日). http://www.oricon.co.jp/news/2084059/full/ 2017年1月4日閲覧。 
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  60. ^ 2013年3月までは中部日本放送がラジオ放送免許を持っていたが、2013年4月1日をもって、CBCラジオに分割譲渡・免許承継され、ラジオ単営放送局のCBCラジオとして再出発。
  61. ^ 中部日本放送 編「CBC技術報告会」第55回、中部日本放送、2012年3月
  62. ^ 現在の運営会社であるFM802はニッポン放送が筆頭株主という資本的繋がりがある。
  63. ^ MEDIA INFO - NAKAJIMA MIYUKI OFFICIAL SITE
  64. ^ 史上初、『オールナイトニッポンGOLD』がFM COCOLOでもレギュラー放送開始,BARKS,2014年3月18日
  65. ^ 出典・1973年6月と7月の東奥日報・RABラジオ欄から(五所川原市立図書館にて閲覧)。
  66. ^ 1970年10月8日 信濃毎日新聞 ラジオ欄
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参考文献編集

  • 夜明けの紙風船(ペップ出版八曜社、1975年刊行)
  • 夜明けの紙風船 パート2(ペップ出版八曜社、1977年刊行)
  • オールナイトニッポン大百科(主婦の友社、1997年刊行)- オールナイトニッポン30周年記念。
  • 村野まさよし『深夜放送がボクらの先生だった』(実業之日本社、2008年刊行)
  • 文化放送&ニッポン放送&田家英樹『セイ!ヤング&オールナイトニッポン70年代深夜放送伝説』(扶桑社、2011年刊行)

関連項目編集

外部リンク編集