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概要編集

石井輝男監督を中心に製作された一連の「性愛路線」が他社にマネられ[3]、商売がやりにくくなったため、当時の岡田茂東映企画製作本部長が、結果的に同時上映に変更された荒井美三雄監督の『温泉ポン引女中』を最後に「性愛路線」から手を引き[3]、「70年安保を控えて映画も映画も時代に即応した強度の暴力が受けるはず」と次に打ち出した「刺激暴力路線」「ゲバルト路線」の一本[3][4]

1969年"性愛路線"の第二弾だった2月公開の『異常性愛記録 ハレンチ』が興収1億5000万円まで落ち込み[5]、各社エロ映画が氾濫しブームも下火になったため[5]、先を見越して"性愛路線"から"ゲバルト路線" "暴力私刑路線"に方向転換した[5]

女ではなく、男が私刑される『徳川女刑罰史』の男性版[6][7]。街の立て看板(タテカン)には「私刑の新手二十一種」と書かれていた[8]

江戸時代から昭和まで、それぞれの時代を反映させた三部からなるオムニバス形式で構成され、やくざ、与太者、チンピラと称される階層の中に生きた人間の様々な刑罰私刑、異常ともいうべき残酷な男の世界を描く[2][9]。第一部では江戸末期ご法度を破った男女の苛酷な私刑を、第二部では、明治大正時代の縄張りに身体を張って生きる男の世界を、第三部では戦後やくざの世界の裏側にまつわる数々の私刑を描いている[9]片山由美子演じる女が、ドラム缶コンクリート詰めで殺されるが、このシーンは実際にミキサー車を持って来て本当の生コンクリートを流した[10]

キャスト編集

第1話
第2話
第3話

スタッフ編集

製作編集

製作にあたり石井監督は「オムニバスは当たらないというジンクスがあるが破ってみせる。時代劇任侠映画、ギャング映画の3本をいっぺんに見たような気分にさせますよ」とヒットメッカ―の自信に裏付けられた豊富を述べた[4]

脚本を担当した掛札昌裕は「短期間で書きました。撮影所でもあんまり批判されませんでした」と話しているが[11]、石井のアイデアであるヘリコプターを使った拷問には、撮影現場で酷いことをすると非難された[11]。掛札は「まあそんなに思い入れはないですね。やっぱり男を責めても……」などと述べている[11]

刺激的な暴力描写に主眼を置いた点は、後の東映実録路線への移行を先取りしていると評価される[4]

キャスティング飯野矢住代編集

第3話で上流家庭のプレイガール・百合を演じる飯野矢住代は、1968年ミス・ユニバース日本代表ヌードはない[12]

同時上映編集

興行編集

石井輝男監督の弟子荒井美三雄監督の『温泉ポン引女中』との同時上映だったが、日活の製作担当・堀雅彦常務が1969年の夏から、日活お家芸の「青春路線」を中止させ[13]、「なんでもかんでも東映のマネをしろ」とプロデューサーに厳命し[13][14]、題名から内容まで徹底的に東映作品のマネをした映画製作を決定した[13][14][15]。当時東宝以外の松竹、日活、大映は東映のマネをしようと必死の努力を続けた[16]。日活はこの年初めに撮影所を売却し経営が苦しく[14][17]、いまにも潰れるのでないかとウワサされたが[14]、"マネマネ路線"[14]"第二東映"[15]と陰口をたたかれながら[14][15]、『博徒無情』と『残酷おんな私刑』を本作『温泉ポン引女中』『やくざ刑罰史 私刑!』にぶつけ、お互いひんしゅくを買う題名の映画で動員数を競い、本家東映を退け興行合戦に勝利し、五社のトップに突如躍り出る異変を起こし映画界を驚かせた[14]

作品の評価編集

  • 伊東守男は「ある程度の残虐は性的興奮を呼ぶものであるが、過度のそれはグロであり、ただの恐怖感を呼び起こすものである。『やくざ刑罰史 私刑!』は男性同士の残虐な責め合い、殺し合いがこれでもかこれでもかとばかり見せてくれるが、ここでは性倒錯としてのサド的快感に通じるものは少ない。もっとも男が責められるのを見て性的興奮をおぼえるサド的な女性もいるだろうが、石井はサド・マゾというよりも恐怖とグロで勝負しようとしているのかもしれない。だがサディズムはその激しさを増していくにしたがって、ついには性的興奮度は0となり、マイナスとなる」などと評している[6]
  • 片岡啓治は「『やくざ刑罰史 私刑!』は東映やくざ映画の表構えに対するいわば裏口のようなもので、鶴田浩二高倉健のさわやかなやくざぶりが昇華された情念の純粋な結晶を表しているとすれば、こちらはついに英雄でありえずして愚かしく、しかし生身の人間でならざるをえない多くの者の在りようが示されていて、両者を表裏としてみれば『やくざ刑罰史 私刑!』はまたやくざ映画あるいは現実のやくざを支えるデウス・エクス・マキナを示しているようで面白く、そこにはそれなりに、いわゆるたてまえの世界を斜に見捨てる石井監督の白い目がゆきとどいていたように私には思えた」などと評している[8]

脚注編集

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出典編集

  1. ^ やくざ刑罰史 私刑 - Movie Walker
  2. ^ a b やくざ刑罰史 私刑! - 日本映画製作者連盟
  3. ^ a b c 「70年安保も商売ダネ 東映が"刺激暴力路線"」『週刊朝日』1969年6月20日号、朝日新聞社、 123頁。
  4. ^ a b c 映画魂 1992, pp. 202-203、340.
  5. ^ a b c 藤木TDC「藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖 第7回 生贄の女・片山由美子」『映画秘宝』2006年10月号、洋泉社、 112頁。
  6. ^ a b 伊東守男「〔特集1〕 性とサド・マゾ映画 〈残酷女リンチ〉〈猫の舌〉サジズム・マゾヒズムこの人類進歩の推進力」『映画芸術』1969年9月号(No.265)、 26 - 29頁。
  7. ^ 『悪趣味邦画劇場 映画秘宝』Vol.2、洋泉社、1995年、99頁。ISBN 4-89691-170-9
  8. ^ a b 片岡啓治「〔特集2〕 サド・マゾとやくざ映画 正統的やくざ映画と石井輝男」『映画芸術』1969年9月号(No.265)、 29 - 32頁。
  9. ^ a b 「師匠か弟子か 石井輝男監督 荒井美三雄監督 《やくざ刑罰史・私刑》と《温泉ポン引女中》から」『キネマ旬報』1969年8月号、国際情報社、 53 - 54頁。
  10. ^ 鈴木義昭「伝説の東映ヒロイン、登場!片山由美子インタビュー」『映画秘宝』2013年2月号、洋泉社、2013年、 76 - 77頁。
  11. ^ a b c 高鳥都「『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』日本初DVD化&石井輝男の世界 共同脚本・掛札昌裕が語る異常性愛路線の作り方」『映画秘宝』2017年9月号、洋泉社、 70 - 71頁。
  12. ^ 「ミスも格落ちしたね」『サンデー毎日』1969年6月15日号、毎日新聞社、 40頁。
  13. ^ a b c 「"貧すれば…"か、日活ヤクザ、ピンクに転向」『週刊朝日』1969年7月4日号、朝日新聞社、 113頁。
  14. ^ a b c d e f g 「日活"マネマネ路線"に屈した本家東映」『週刊読売』1969年7月25日号、読売新聞社、 31頁。
  15. ^ a b c 「清川虹子が助っ人東映やくざ路線」『週刊文春』1969年8月11日号、文藝春秋、1969年、 20頁。
  16. ^ 初山有恒「自壊の中の日本映画・その3『エロとヤクザと観客 ―東映独走のかげに』」『朝日ジャーナル』1969年3月30日号、朝日新聞社、1969年、 23 - 26頁。
  17. ^ 「撮影所を打って 映画は作る?日活 組合は反対で社内に不安」『週刊朝日』1969年3月21日号、朝日新聞社、1969年、 129頁。

参考文献編集

外部リンク編集