藤木孝

ふじき たかし
藤木 孝
本名 遠藤 與士彦
別名義 藤木 敬士(旧名)
生年月日 (1940-03-05) 1940年3月5日(77歳)
出生地 日本の旗 日本静岡県富士宮市
民族 日本人
身長 173cm
職業 俳優歌手
ジャンル 映画舞台テレビドラマ
活動期間 1959年 - 現在
事務所 ホリプロ
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
映画
網走番外地 北海篇
女囚さそり けもの部屋』 etc.
テレビドラマ
夜明けの刑事
赤い嵐
学校へ行こう!
ナニワ金融道』 etc.

藤木 孝(ふじき たかし、1940年3月5日 - )は、静岡県富士宮市出身の俳優歌手ホリプロ所属。本名は遠藤 與士彦(えんどう よしひこ)。

昭和40年代後半から50年代にかけて、藤木 敬士(読みは同じ)と芸名を改めて活動していた。

目次

来歴・人物編集

玉川学園中等部卒業[1]

東宝芸能学校卒業後の1959年、歌手として渡辺プロダクションと契約。

歌唱力とダンスの才を活かし、1960年代前半には『レージィ・ギター』『踊れツイスト』『ツイストNo.1』『ママのツイスト』『24000のキッス』などのヒット曲を連発し、「ツイスト男」の異名で当時のツイスト・ブームを牽引した。

1962年、人気絶頂の中で歌手引退を表明して渡辺プロを退社、同年文芸プロダクションにんじんくらぶに入り、俳優へ転身する。演技を基礎から学ぶため文学座の研究生を経て、1966年には劇団欅の結成に参加した。1976年からは劇団雲劇団欅の統合により誕生した劇団昴に所属し、主に翻訳劇などで活躍したが、2006年に退団した。

ミュージカルなどの舞台に立つ一方、悪役から刑事までこなす俳優として、映画やテレビドラマでも数多くの作品で活躍した。その特異な存在感で怪優としての再評価も高く、1986年には第12回菊田一夫演劇賞2003年には第38回紀伊國屋演劇賞個人賞を、2005年には第45回ACC CMフェスティバル演技賞を受賞している。

現在はかつての所属事務所の同業他社のライバル会社であるホリプロに移籍している。過去に渡辺プロダクションに所属していた人物のホリプロ移籍は非常に珍しい事例である。

出演編集

※「 - 」は役名

舞台編集

映画編集

  • 狂熱の果て(1961年、大宝) - 中岡陽二
  • 豚と金魚(1962年、東宝) - 山名時男
  • 涙を、獅子のたて髪に(1962年、松竹) - 水上三郎
  • 真赤な恋の物語(1963年、松竹) - 赤木健二
  • 踊りたい夜(1963年、松竹) - 島津公仁夫
  • 乾いた花(1964年、松竹) - 葉
  • 網走番外地 北海篇(1965年、東映) - 金田
  • 日本ゼロ地帯 夜を狙え(1966年、松竹) - 杉
  • フォークで行こう 銀嶺は恋してる(1966年、松竹) - 真田松男
  • 神火101 殺しの用心棒(1966年、松竹) - 高
  • 獄中の顔役(1968年、東映)
  • 夜の手配師(1968年、東映) - 佐伯
  • ある色魔の告白 色欲の果て(1968年、青山プロ / 日活) - 逢坂順
  • 狙撃(1968年、東宝) - 花田
  • 新宿の肌(1968年、松竹) - 石井
  • やくざ刑罰史 私刑(1969年、東映) - 島津昇平
  • 明治大正昭和 猟奇女犯罪史(1969年、東映) - 渋谷
  • 悪魔が呼んでいる(1970年、東宝) - 藤村
  • 野良猫ロック 暴走集団'71(1971年、日活) - ゲッペルス
  • やくざ刑事 俺たちに墓はない(1971年、東映) - 横尾雅也
  • 現代ポルノ伝 先天性淫婦(1971年、東映) - 安川悟
  • 女番長ブルース 牝蜂の挑戦(1972年、東映) - 影山
  • 混血児リカ ひとりゆくさすらい旅(1973年、東宝) - 課長
  • 女囚さそり けもの部屋(1973年、東映) - 谷田
  • 必殺4 恨みはらします(1987年、松竹) - 老蔭間
  • シン・ゴジラ(2016年)[3] - 川又副知事

テレビドラマ編集

オリジナルビデオ編集

ウェブドラマ編集

脚注編集

  1. ^ 玉川学園同窓会事務局だより No.8 玉川学園同窓会
  2. ^ BENT ベント| PARCO STAGE
  3. ^ “キャスト”. 映画「シン・ゴジラ」公式サイト. http://shin-godzilla.jp/cast/ 2016年4月16日閲覧。 

関連項目編集

外部リンク編集