吉田 輝雄(よしだ てるお、1936年3月23日 - )は、大阪府高槻市出身の俳優歌手

よしだ てるお
吉田 輝雄
本名 吉田 輝男
別名義 吉田 輝夫
生年月日 (1936-03-23) 1936年3月23日(88歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府高槻市
国籍 日本
民族 日本人
職業 俳優歌手
ジャンル 映画テレビドラマ
主な作品
秋刀魚の味』(1962年)
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来歴・人物 編集

 
秋刀魚の味』(1962年)の撮影現場。吉田、小津安二郎。

高槻市立第一中学校時代は野球部に属していた。北陽高等学校立命館大学経済学部卒業後、1958年湯浅電池に入社(営業部に配属)[1]。翌1959年新東宝大蔵貢社長にスカウトされ、湯浅電池を退職後、新東宝に入社[1]菅原文太高宮敬二寺島達夫ら長身の若手二枚目スターと共に「ハンサムタワーズ」として売り出し、主演スターとして活躍。代表作『地帯(ライン)シリーズ』(監督・石井輝男)では、天知茂三原葉子らと共演。このシリーズは5部作にも及ぶ人気シリーズになった。

1961年、新東宝の倒産に伴い、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹へ移籍。メロドラマや文芸作品が多かった松竹では主に『愛染かつら』、『古都』等で岡田茉莉子岩下志麻倍賞千恵子牧紀子など松竹のスター女優の相手役を務めた。1967年、東映に移籍。東映では主に『網走番外地』シリーズ等、新東宝で一緒だった石井輝男監督作品を活躍の場とし、『徳川女系図』、『徳川女刑罰史』等、1968〜69年にかけての「東映異常性愛路線」では主演及び準主演を務め、石井作品の常連俳優として活躍した。

1970年に東映を辞め、テレビドラマに活躍の場を移すが、脇役に回ることが多くなる。後に大阪や京都でクラブを経営[1]

2002年には、高宮敬二と共に「ハンサムタワーズ」として復活歌手デビュー。

2019年12月3日ラピュタ阿佐ヶ谷で開催された「石井輝男 キング・オブ・カルトの猛襲」のトークイベントに生活拠点の大阪から駆けつけてゲスト出演している[2]

主な出演 編集

映画 編集

※太字は主演作

テレビドラマ 編集

書籍 編集

  • 僕らを育てた俳優のすごい人 吉田輝雄編(アンド・ナウの会)

バラエティー番組 編集

脚注  編集

注釈 編集

出典 編集

外部リンク 編集