オゼッラ・FA1E (Osella FA1E) はオゼッラ・スクアドラ・コルセ1983年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。デザイナーはトニー・サウスゲート

オゼッラ・FA1E
オゼッラ・FA1E、 ピエルカルロ・ギンザーニ車
オゼッラ・FA1E、
ピエルカルロ・ギンザーニ
カテゴリー F1
コンストラクター オゼッラ
デザイナー トニー・サウスゲート
先代 オゼッラ・FA1D
後継 オゼッラ・FA1F
主要諸元
シャシー アルミニウムおよびカーボンファイバーモノコック
サスペンション(前) Koni
サスペンション(後) Koni
トレッド 前:1,750 mm (69 in)
後:1,670 mm (66 in)
ホイールベース 2,750 mm (108 in)
エンジン アルファロメオ 1260 2,995 cc (182.8 cu in), V12, NA,
トランスミッション ヒューランド FGA 5速
重量 565 kg (1,246 lb)
燃料 アジップ
タイヤ ミシュラン, ピレリ
主要成績
チーム イタリアの旗オゼッラ・スクアドラ・コルセ
ドライバー 32. イタリアの旗 ピエルカルロ・ギンザーニ
31. イタリアの旗 コラード・ファビ
30. オーストリアの旗 ヨー・ガルトナー
出走時期 1983年 - 1984年
初戦 1983年サンマリノグランプリ
出走優勝ポールFラップ
13 (9 start)000
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FA1Eはアルファロメオ製エンジンを搭載した初の車であり、技術的に問題があり、信頼性に欠ける車であった。完走したのは3度のみで、いずれもポイント圏外であった。最高成績は10位。

概要

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背景

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アルファロメオ製エンジンを使用するという決定は、従来のコスワースDFVエンジンはもはやフェラーリホンダTAG-ポルシェのターボエンジンと競合できなかったことから実現した。コスワースは1983年中頃から新型のより強力なバージョンであるDFYを提供していたが、DFVより20馬力から30馬力ほどしか上回ることができず、しかも開発コストを負担した一部のチームにしか提供されなかった。オゼッラはそれらの中に含まれなかった[1]。オゼッラはアルファロメオから旧型の自然吸気エンジンを受け取った。これを搭載したFA1Eは過渡的なモデルであり、ターボエンジン搭載のFA1Fが投入されるまでの場つなぎ的役割を果たした。

開発

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FA1Eは前作のFA1Dとは異なり、コスワースDFV V型8気筒エンジンに代わってアルファロメオ1260 V型12気筒エンジンを搭載した。しかしながら、エンジン以外の部分はほとんど同一であり、モノコックやサスペンションも同じで、ボディパーツも同様であった[2]。改修を担当したのはトニー・サウスゲートであった。

アルファロメオのティーポ1260は3.0リッターの自然吸気、バンク角60度のV型12気筒エンジンであった。このエンジンは1979年にアルファロメオのワークスチームが初めて実戦に投入し、82年まで使用した物であった。アルファロメオのワークスチームは1983年からターボエンジンを使用していたため、その後は使用されていなかった。エンツォ・オゼッラは自らのファクトリーで数台のエンジンブロックを引き継いだ[3]。アルファロメオはもはや自然吸気エンジンの開発を停止していたため、その技術レベルは時代遅れの物であった[4]。アルファの自然吸気エンジンのパフォーマンスレベルはDFYに相当する物であったが[5]、重量はDFVやDFYよりも相当重く、燃料消費も多かったためパフォーマンス上の利点は帳消しとなった。加えて、ティーポ1260はDFYよりも信頼性に欠けていた。それまでのアルファロメオのファクトリーチームと同様、1983年のオゼッラはトラブルの大半がエンジントラブルであった[6]

FA1Eは3台が製作された。1号車はFA1Dから改修された。これは新しいエンジンを搭載してその他の部分を調整した物であった。残る2台は新造された[2]。そのため、1号車とは細部で異なる点が多い[7]

レース戦績

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1983年

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FA1Eの1号車は第4戦サンマリノGPピエルカルロ・ギンザーニに与えられた。そこから第8戦カナダGPまでギンザーニのみがFA1Eを、セカンドドライバーのコラード・ファビがFA1Dをドライブした。ギンザーニは4戦で予選落ちし、唯一予選を通過したデトロイトGPも4周目にオーバーヒートでリタイアとなった。2人ともFA1Eを使うようになったのは第9戦イギリスGPからであった。ギンザーニは新造された2号車を使用したがリタイアとなった。その後の6戦でギンザーニは3号車を使用し、5戦で予選通過したが、完走したのはオーストリアGPの11位のみであった。ファビは7戦でFA1Eを使用し予選通過は4回、2度の完走を果たし、オーストリアではチームメイトのギンザーニを上回る10位、オランダGPでは11位でフィニッシュしている。なお、当時ATSのデザイン主任だったグスタフ・ブルナーはFA1Eを「1983年シーズンにおける最悪の車だろう」だと評した[8]

1984年

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1984年でFA1Eが使用されたのは1回のみで、ヨー・ガルトナーがセカンドドライバーとしてデビューしたサンマリノGPで使用された。チームメイトのギンザーニは既にターボエンジン搭載の新型FA1Fを使用していたが、ガルトナーは旧型でそのギンザーニを上回り最下位グリッドながら26位で予選を通過した。決勝レースでは47周目にトランスミッショントラブルでリタイアした。

F1における全成績

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(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1983年 オゼッラ・スクアドラ・コルセ アルファロメオ 1260 3.0 V12 M BRA
 
USW
 
FRA
 
SMR
 
MON
 
BEL
 
DET
 
CAN
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
EUR
 
RSA
 
0 NC
31   コラード・ファビ DNQ DNQ 10 11 Ret DNQ Ret
32   ピエルカルロ・ギンザーニ DNQ DNQ DNQ Ret DNQ Ret Ret 11 DNQ Ret Ret Ret
1984年 オゼッラ・スクアドラ・コルセ アルファロメオ 1260 3.0 V12 P BRA
 
RSA
 
BEL
 
SMR
 
FRA
 
MON
 
CAN
 
DET
 
DAL
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
EUR
 
POR
 
2* 12位
30   ヨー・ガルトナー Ret
  • FA1Fによるポイントも含む。

参考文献

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  • Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Autos, Strecken und Piloten. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
  • David Hodges: Rennwagen von A–Z nach 1945. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1994, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
  • David Hodges: A–Z of Grand Prix Cars. Crowood Press, Marlborough 2001, ISBN 1-86126-339-2.(英語)
  • Pierre Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1. 2. Auflage. Chronosports, St. Sulpice 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)

参照

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  1. ^ Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. 1997, S. 327. DFYエンジンは1983年中盤からマクラーレンティレルウィリアムズによって使用された。
  2. ^ a b Hodges: A–Z of Grand Prix Cars. 2001, S. 185.
  3. ^ Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. 1997, S. 327.
  4. ^ Motorsport aktuell. Heft 20, 1984, S. 9.
  5. ^ Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. 1997, S. 314 und 342.
  6. ^ Ménard: La grande Encyclopédie de la Formule 1. 2000, S. 462.
  7. ^ Hodges: Rennwagen von A–Z nach 1945. 1994, S. 205.
  8. ^ Motorsport aktuell. Heft 29, 1984.

外部リンク

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