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Chilean battleship Almirante Latorre 1.jpg
「アルミランテ・ラトーレ(旧:カナダ)」
艦歴
発注 アームストロング社
起工 1911年11月
進水 1913年11月
就役 1915年9月
退役
その後 チリ海軍に売却
除籍
性能諸元
排水量 基準:25,000 トン
(1931:28,600トン)
満載:32,000トン
全長 625 ft (201.5 m)
全幅 92 ft 6 in (28 m)
(1931:31.4 m)
吃水 33 ft 最大 (8.8 m)
(1931:8.5 m)
機関 竣工時:ヤーロー式石炭・重油混焼水管缶21基
+パーソンズ高圧型直結タービン2基&同低圧型直結タービン2基計4軸推進
1931年時:ヤーロー式重油専焼水管缶21基+パーソンズ式ギヤード・タービン4基4軸推進
最大出力 37,000 hp
航続性能 10ノット/4,400 海里
燃料 石炭:3,300トン
重油:520トン
最大速力 22.75 ノット
兵員 竣工時:1,160 名
1920時:1,175 名
兵装 竣工時
Mark I 35.6cm(45口径)連装砲5基
Mark XVII 15.2cm(50口径)単装砲16基
76.2cm(45口径)単装高角砲2門
47mm(50口径)単装速射砲4基
21インチ水中発射型魚雷発射管4基
1931年時
Mark I 35.6cm(45口径)連装砲5基
Mark XVII 15.2cm(50口径)単装砲12基
10.2cm(45口径)単装高角砲4基
47mm(50口径)単装速射砲4基
20mm機銃4丁
21インチ水中発射型魚雷発射管 4基
装甲 舷側:115~229mm(水線部)
甲板:102mm
司令塔:200mm
砲塔:254mm(前盾)
バーベット:100~254mm
司令塔:150~279mm

カナダ (HMS Canada) は、イギリス海軍超弩級戦艦。しばしば外観からアイアン・デューク級戦艦の一隻と見なされるが、アイアン・デュークの主砲は34.3cm砲に対し本艦は35.6cm砲と異なる。

艦形について編集

 
1913年に撮られた本艦
 
艦尾方向から撮影された本艦。

船体形状はアイアン・デューク級と同じく短船首楼型船体で、艦首形状はこの頃のイギリス式設計の特徴である艦首浮力を稼ぐために水線下部は前方向にせり出した形状となっていた。傾斜のまったくない艦首甲板に35.6cm連装砲塔を背負い式で2基装備し、2番砲塔基部から上方から見て菱形の上部構造物が始まり、甲板一段分上がって三角柱型の艦橋構造を基部として頂上部と中段に見張り所を持つ三脚式の前檣が建っていた。その背後には間隔の狭い2本煙突が立つ。煙突の周りは艦載艇置き場となっており、煙突の間に設置されたジブ・クレーン1基により運用された。2本の煙突は前後で大きさが異なっており、1番煙突の断面は円形だが2番煙突は前後に長い小判型をしていた。2番煙突の背後から中部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基、その後ろに後部見張り台と単脚式の後檣が立ち、艦尾甲板上に35.6cm連装砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基が配置された。

船体サイズは主砲に35.6cmを採用したためにアイアン・デューク級よりも船体長を約11.4m伸ばし全長は201mとなった。これは、当時のグランド・フリートの戦艦では最長のエジンコートの204.7mに次いで長かった。また、船首楼甲板は短くなった代わりに後部甲板の面積は広くなった。完成当時のイギリス海軍の超弩級戦艦の中で本艦は最も全長が長く、均等に配置された主砲塔配置と相まって最も強力かつ見栄えのする戦艦と称された。

 
1930年代に上空から撮影された本艦。

本艦は1929年から1931年にかけてイギリスのデヴォンポート造船所にて近代化改装を受けた。外観面では水雷防御を強化すべく船体の水線部にバルジを追加したために艦幅は31.4mとなり排水量も常備28,662トン・満載32,800トンへと増加した。 老朽化した機関もボイラーが重油専焼水管缶へ換装されて推進機関もギヤード・タービンとなったが煙突の本数は変わらなかった。この時に7.6cm速射砲2基を撤去し、対空火器として「10.2cm(45口径)高角砲」を単装砲架で艦橋の側面と後部マストの側面に片舷1基ずつの4基を追加した。

1932年にカタパルト1基とフェアリー III型水上機1基を搭載した。1938年に「ヴィッカーズ 4cm(39口径)単装ポンポン砲」を単装砲架で2基と「オチキス 13.2mm(76口径)機関銃」を単装砲架で2基を追加した。1944年にカタパルトと水上機を撤去し、13.2mm単装機銃4丁を追加した。1950年代に4cmポンポン砲を全てと13.2mm単装機銃全てと53.3cm水中魚雷発射管4門を撤去し、「エリコン 2cm(70口径)機関砲」を単装砲架で19基を搭載し、SG型対空レーダーを装備した。


武装編集

主砲編集

 
艦首から撮られた本艦。

本艦の主砲には新設計の「Mark I 35.6cm(45口径)砲」を採用した。その性能は重量719kgの砲弾を最大仰角20度で22,310mまで届かせることができた。この砲を連装砲塔に収めた。俯仰能力は仰角20度・俯角3度である。旋回角度は1番・2番・4番・5番主砲塔は船体首尾線方向を0度として左右150度の広い旋回角度を持っていたが、2番煙突と後檣基部に囲まれた3番主砲塔のみ艦尾方向を0度として左右15度の死角があった。主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に水圧で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分2発である。

副砲、その他備砲、雷装編集

 
1923年時の本艦の武装配置と装甲配置を示した図。

本艦の副砲は当初の設計では4.7インチ (12cm) 砲22門の予定であったが、火力不足であるとして6インチ (15.2cm) 砲に変更された。当時のイギリス戦艦には15.2cm砲は搭載されていなかったため、本艦のために新たに「Mark XVII 15.2cm(50口径)砲」が開発された。性能は俯仰能力は仰角15度・俯角7度である。旋回角度は160度の広い旋回角度を持っていた。主砲身の俯仰・旋回・装填は人力を必要とした。発射速度は毎分5~7発である。

これを単装砲架で16基、16門を搭載した。搭載位置は艦橋の左右と船首楼甲板に片舷2基計4基、その下に片舷4基計8基を配置し、後檣の基部に後ろ向きで片舷2基計4基を配置した。しかし、後檣基部の4門は位置が低いために波浪被害もさる事ながら、3番主砲塔の爆風被害を直接受けるため、後に1917年頃に撤去され副砲は12門となった。

その他に陸上からの爆撃機への対応として、「76.2mm(45口径)高角砲」を後部見張り台の前部に単装砲架で片舷1基ずつ並列配置で計2基を配置した。対水雷艇用に47mm単装速射砲を4基、45cm水中魚雷発射管単装4基4門を搭載した。魚雷発射管の配置は、1番砲塔の左右に1門ずつ計2門、5番砲塔基部に左右1門ずつ計2門を配置した。

防御編集

防御方式は当時の主流として全体防御方式を採用しており、艦首甲板半ばから艦尾甲板中部までの舷側全体を覆っていた。1番主砲塔から5番主砲塔にかけての水線部の装甲厚は229mmであった。甲板部の水平防御については、主防御甲板の装甲厚は102mmである。防御能力的にはアイアン・デューク級が舷側305mm装甲を持ち、弩級戦艦のコロッサス級でさえ279mm装甲を施されていたことを考えれば、本艦の舷側防御はかなり見劣りがする。反面速力はアイアン・デューク級より優速であり、巡洋戦艦的な性格の艦である。

艦歴編集

当初はチリ海軍によってリベルター (Libertad) として議会に建造が承認されたが、その後発注段階において改名されバルパライソ (Valparaíso) としてアームストロング社に発注された。1911年11月に起工されたが、進水前にフアン・ホセ・ラトーレ提督に敬意を表してアルミランテ・ラトーレAlmirante Latorre)と改名された。第一次世界大戦勃発時には未完成状態であったが、1914年9月にイギリス政府によって購入され、カナダと改名された。

就役後はグランド・フリートの第4戦隊に所属し、1916年のユトランド沖海戦に参加した。その後は第1戦隊に所属する。戦後の1919年から1920年8月までデヴォンポート造船所で戦訓に基づき水平防御強化を初めとする近代化改修が行われた。

本艦は改修中の1919年にチリに売却され、アルミランテ・ラトーレAlmirante Latorre)の艦名で1921年2月から就役した。なお、アルミランテ・ラトーレがイギリス政府に購入された際、船体が建造中であった姉妹艦のアルミランテ・コクラン (Almirante Cochrane) も共に購入されている。しかしながらアルミランテ・コクランは戦艦としては完成せず、航空母艦イーグル (HMS Eagle) として完成したため、チリ海軍には売却されなかった。ちなみに当時の南米はアルゼンチンブラジル弩級戦艦2隻を保有しており、チリが超弩級戦艦2隻を保有する事はバランスを崩す可能性があったのだが、結果としてチリ海軍は超弩級戦艦を1隻のみ保有する事となり、軍事バランスが均衡する事になった。イーグルは1942年に戦没している。

1931年9月、アルミランテ・ラトーレの乗組員は賃金カットに抗議して反乱に参加した(艦隊の反乱)。その後もチリ海軍での近代化改修によってアルミランテ・ラトーレは1958年まで現役任務を継続することができた。

アルミランテ・ラトーレは1958年に売却、1959年に日本でスクラップとして廃棄されたが、当時最後まで残った第一次世界大戦参加艦の1隻でもあった。本艦の部品は三笠が復元される際にチリ政府より寄贈された。三笠もイギリスで建造された艦であり、カナダは三笠よりも10年以上後に建造されたものの、多くの部分で共通点があった[1](建造した会社は異なるものの、同じイギリス製で比較的年代の近い軍艦だと互換性のある部品や同じ規格の装備が使われているケースが多かったからである。実際、上記の通り、三笠を建造したヴィッカーズ社製の砲台も装備していた時期もあった)。

参考図書編集

  • 「世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第83集 近代戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史」(海人社)
  • 中山定義「一海軍士官の回想」(毎日新聞社)

出典編集

  1. ^ 中山定義『一海軍士官の回想』(毎日新聞社、1981)p.98

関連項目編集