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広島東洋カープアカデミーオブベースボール(ひろしまとうようカープアカデミーオブベースボール、スペイン語:Academia de Beisbol Hiroshima Toyo Carp)とは、ドミニカ共和国サンペドロ・デ・マコリス郊外にある野球アカデミー。通称、カープアカデミーメジャーリーグベースボール(MLB)のアカデミー制度を参考にし、外国人選手の発掘・育成のため、広島東洋カープが1990年11月に6億円を投じてドミニカ共和国に作った日本球界史上初のアカデミーである。

概要編集

1987年秋、オーナーの松田耕平がMLBのウィンターミーティングを視察した時、MLBでは年俸が安く野球が国技といわれるほど盛んなドミニカ共和国に目を付け、現地にファームチームを設立する動きが始まっている事実を知る。1988年4月、オーナー代行の松田元とチーフスカウトの備前喜夫が同国を訪問し、日本球界では初となる自前で選手を発掘・育成するための野球学校を設立することが決定した。

同年11月には、首都サントドミンゴから東へ約80kmのサンペドロ・デ・マコリス郊外に、旧広島市民球場の10倍の用地を確保し、1990年11月29日にドミニカ共和国大統領、国防相、文化相、スポーツ相ら閣僚らを招いた開校式が行われスタートした[1]

MLB傘下のドミニカン・サマーリーグ(MLBを1軍とすると8軍に相当)のサンベドロ・デ・マコリス地区に所属し、現地責任者として招聘したセザール・ヘロニモ[2]らの指導の下、1993年・1994年に連続地区優勝、1995年には各地区の代表が争うプレーオフをも制覇するチームに成長した。

しかしその直後、巨額のリーグ参加費を請求されるようになり、1995年をもってリーグから撤退する[3]。その後、MLB球団のアカデミーが相次いでドミニカに進出し、金銭面で劣り、リーグから脱退したカープアカデミーには、MLBのアカデミーで通用しなかった「セカンド・タレント」と呼ばれる選手しか集まらなくなる[4]。さらに2004年の球界再編を契機にセ・パ交流戦開催が決定したことで、それまでの巨人戦を中心とした放映権収入の減少が予想されたため、球団は経費削減の一環としてアカデミーの運営費圧縮(年間1億円→同7,000万円)を決断[5]。2005年からは野手育成を諦め、投手育成に専念するようになった。

2007年から在籍者の一部が四国アイランドリーグplusや、広島球団が提携を結ぶ中国野球リーグ広東レパーズに派遣されるようになったが、1990年代に30〜40人いたアカデミー契約選手は、2012年には4人に減少[6]、実戦練習には現地の社会人チームの協力が必要な状態になっていた。

2012年12月、ドミニカを視察したオーナーの松田元は、2005年以降凍結していた野手育成を再開する方針を表明する[7]。それまで荒廃していたアカデミーの施設は2013年までに再整備され、2名しかいなかった現地のスカウトも増員された。2014年には新たに総額1億円以上をかけたアカデミー各施設の改修工事が行われた。

2014年1月31日には、アカデミー練習生だったライネル・ロサリオが、2005年エスターリン・フランコ以来、野手として10年ぶりとなる選手契約を結んだ後、2016年にはサビエル・バティスタアレハンドロ・メヒアが育成契約後、翌2017年に1軍昇格する。2018年にはヘロニモ・フランスアが育成契約を結んだ。

施設概要編集

現在、ドミニカ共和国にはMLB30球団のうち28球団が野球アカデミーを開校しているが、カープアカデミーは進出時期が早く充分な敷地を確保できたおかげもあって、今なお施設面はMLBのそれに劣らない規模を誇る[8]

  • 敷地面積:27万平方m
  • 第1グラウンド:試合用、両翼100m・センター125m 
  • 第2グラウンド:練習用、両翼100m・センター125m 
  • 第3グラウンド:内野守備練習用(芝生) 
  • 第4グラウンド:内野守備練習用(土) 
  • 室内バッティング練習場(3打席)
  • 投球練習場(5箇所)
  • ウェート・トレーニングルーム 
  • その他施設
    • 選手専用宿舎(48ベッド)、コーチ専用宿舎(5部屋)、トレーナールーム、ロッカールーム、シャワールーム、ランドリールーム、ダイニングルーム、多目的ルーム、ミーティングルーム、マネージャールーム、接客ルーム、スタッフルーム、車輌倉庫

生活編集

選手たちは、月~金曜日は施設内にある寮に泊まり込みで練習し、土日は実家で過ごしている。練習は基本的に午前中のみで、昼食後は各自のトレーニングなどを行っている。これに並行して、現地のスカウトたちが見つけてきた選手のトライアウトが週に2回ほど行われている。寮費、食費は無料[9]。また、日本からの留学生によって週に2、3回ほど日本語の授業が行われている[10]

練習時間はメジャーのアカデミーの倍以上となる約4時間半にも及び、全体練習後には、タオルを使ったシャドーピッチングや数百回の素振りといったカープアカデミー独自の練習も課される[11]

練習生は無給だが、契約選手となれば契約金に加え、バットやスパイクなどの用具と月給が支給される。殆どの選手はメジャーのアカデミー出身だが、ルーキーリーグや1Aのチームで芽が出ず、セカンドチャンスを求め門をたたいた選手たちも多い。アカデミーには4人のスカウトと8人の情報提供者がおり、トライアウトにはスカウトが目を付けた選手らが毎週5~10人ほど訪れる。トライアウトを受けた選手の中で練習生になれるのは年間20人ほどで、その中で成長が認められた者だけが契約選手となり、そこからさらに選ばれた選手が春秋のキャンプに練習生として送り込まれる[11]

2004年から3年間、広島でプレーしたファン・フェリシアーノ投手コーチは「彼らはメジャーのアカデミーで技術的なことをあまり教わっていないが、ここで指導を受ければまだ成長できる。米国の野球は楽しむものだが、日本の野球は仕事。勝つための野球を教えている。それを理解して頑張った者だけが日本に行ける」としている[11]

出身選手編集

括弧内は特に断りのない限り日本プロ野球での業績を示す。

広島と選手契約を交わした選手編集

1992年契約
1994年契約
1995年契約
1996年契約
1997年契約
1998年契約
1999年契約
2000年契約
2002年契約
2004年契約
2005年契約
2006年契約
2007年契約
2009年契約
2010年契約
2014年契約
2015年契約
2016年契約
2018年契約
2019年契約

広島と選手契約を交わさなかった選手編集

広池浩司1997年秋にカープの入団テストに合格したが、編成の都合で指名漏れとなり、1998年に自費でカープアカデミーに参加していた。その年秋のドラフトでカープに入団した。

脚注編集

  1. ^ 1999年9月30日 中国新聞紙面『特集カープ50年 CARP年表 1988年(上)』から抜粋
  2. ^ ドミニカ共和国出身で、MLBではシンシナティ・レッズ時代にビッグレッドマシーンの一員としてプレーし、ゴールデングラブ賞を4度獲得した実績を持つ。現役時代はシーザー・ジェロニモと呼ばれた。
  3. ^ 2010年11月27日中国新聞紙面
  4. ^ 『ドミニカで“日本式野球”を布教する男』東洋経済オンライン
  5. ^ 中国新聞 2004年12月12日付記事
  6. ^ またドミニカで“お宝”発掘 松田オーナー直接視察へ』 スポーツニッポン 2012年12月11日付記事[リンク切れ]
  7. ^ 『広島 再度野手育成へ ドミニカ・カープアカデミーのスカウト陣強化方針』 スポーツニッポン 2012年12月28日付記事
  8. ^ たとえば、2008年4月、総工費800万ドルで作られたサンディエゴ・パドレスの施設は、6万平方mの敷地に芝のグラウンドが2面、内野守備用練習用のグラウンド、室内練習場、ブルペン、選手の宿舎を持つ。
  9. ^ 【広島好き】ドミニカカープアカデミーに行ってみた” (日本語). J SPORTS. 2019年2月20日閲覧。
  10. ^ 【広島】フランスア&バティスタがカープアカデミーの秘密明かす : スポーツ報知”. hochi.news. 2019年3月15日閲覧。
  11. ^ a b c バティスタら育てたドミニカ共和国「鯉の穴」に潜入 - プロ野球 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2019年2月20日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集