ガブリエル・ガルシア・デ・ラ・トーレ

スペインのサッカー選手

ガブリGabri)ことガブリエル・フランシスコ・ガルシア・デ・ラ・トーレ(Gabriel Francisco García de la Torre, 1979年2月10日 - )は、スペインカタルーニャ州サジェン英語版出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代は主にMFとして右サイドや中央でプレーし、時には右SBも務めた。

ガブリ
名前
本名 ガブリエル・フランシスコ・ガルシア・デ・ラ・トーレ
Gabriel Francisco García de la Torre
カタカナ ガブリ
ラテン文字 GABRI
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1979-02-10) 1979年2月10日(45歳)
出身地 サジェン英語版
身長 174cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF / MF / FW (RB / CH / RWG)
利き足 右足
ユース
1993-1997 スペインの旗 バルセロナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2000 スペインの旗 バルセロナB 67 (9)
1999-2006 スペインの旗 バルセロナ 129 (7)
2006-2010 オランダの旗 アヤックス 86 (7)
2010-2011 カタールの旗 ウム・サラル 13 (3)
2011 スイスの旗 シオン II 2 (1)
2011 スイスの旗 シオン 5 (0)
2012-2014 スイスの旗 ローザンヌ 28 (1)
通算 330 (28)
代表歴
1994-1995  スペイン U-16 8 (2)
1996-1998  スペイン U-18 10 (1)
1999  スペイン U-20 7 (3)
1999-2001  スペイン U-21 16 (0)
2000  スペイン U-23 6 (3)
2003-2004 スペインの旗 スペイン 3 (0)
2000-2006 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 4 (0)
監督歴
2014-2015 スペインの旗 バルセロナB (アシスタント)
2015-2017 スペインの旗 バルセロナ (ユース)
2017-2018 スイスの旗 シオン
2018-2020 アンドラの旗 アンドラ
2021 スペインの旗 オロト
2021-2022 スペインの旗 リェイダ・エスポルティウ
2022 スペインの旗 サバデル
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2000 男子競技サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

FCバルセロナでプロとして7年, 下部組織時代を含め13年在籍し、その間に4つの主要なタイトルを獲得するが、主に控えだった。また、アヤックス・アムステルダムで4年プレーした。

スペイン代表としてUEFA EURO 2004に出場した。

経歴 編集

バルセロナ 編集

カタルーニャ州バルセロナ県サジェンスペイン語版に生まれたガブリは、14歳の時にFCバルセロナカンテラに加入。1997年、セグンダ・ディビシオンに属するFCバルセロナBでプロキャリアを始め、1年目の1997-98シーズンに28試合4得点を記録した。

1999年にトップチームに昇格を果たしてから4シーズンの間はレギュラークラスとしてプレーしていたが、ビッグクラブ故の選手層の厚さと2004-05シーズンのホームで4-1と勝利したレアル・サラゴサ戦で深刻な負傷に見舞われた[1]ため出場機会が激減。このシーズンと2005-06シーズンにチームは、プリメーラ・ディビシオン連覇, UEFAチャンピオンズリーグ, スーペルコパ・デ・エスパーニャとタイトルを次々獲得し黄金期を迎えていたが、2005-06シーズンも再び負傷[2]とあまり影響を与えることは出来なかった。

アヤックス 編集

2005-06シーズン冬の移籍市場でプレミアリーグのチームに引き抜かれそうになったが、親友のシャビ・エルナンデスをはじめとする多くのチームメイトに引き留められて残留したが、シーズン終了後にバルセロナとの契約更新はなく[3]、バルセロナの元アシスタントコーチでアヤックス・アムステルダムの監督に就任したヘンク・テン・カテの誘いに応じる形で2006年6月6日に自由移籍で元同僚のロジェール・ガルシアと共にアヤックスに加入した[4]

8月にヨハン・クライフ・シャールでライバルのPSVアイントホーフェンを3-1で下し[5]、早速タイトルを獲得するなど良いスタートを切った。ガブリはレギュラーとしてチームに貢献していたものの、リーグ最終節で得失点差わずか1でPSVにタイトルが渡り、優勝を逃した。

2007年5月、KNVBカップ決勝戦で79分にレッドカードを貰い退場したものの、チームはPK戦の末にAZアルクマールを破り優勝した。同年8月のヨハン・クライフ・シャールでガブリは唯一の得点を決め、再びPSVを破りタイトル獲得に貢献した[6]

後年 編集

アヤックスはリーグ戦で2位だったにも関わらず出場数13と出場機会が少なかったガブリは、2010年5月27日、31歳の時にカタールウム・サラルSCと契約を結んだ[7]。翌年7月4日、再び国とチームを替えスイスFCシオンに加入した[8]

2012年7月25日、リーグ戦にあまり出場出来なかったガブリは同じスイスのFCローザンヌ・スポルトに移籍した[9]。現役引退後の2014年6月30日、FCバルセロナBのアシスタントコーチに就任した[10]

2017年10月25日、FCシオンの監督に就任することが発表された[11]

2018年12月、FCアンドラの監督に就任した。

2021年1月、UEオロトの監督に就任した[12]

2021年6月1日、リェイダ・エスポルティウの監督に就任した[13]

代表 編集

U-20代表として1999 FIFAワールドユース選手権で優勝を成し遂げた。更に2000年にU-23代表として背番号10を背負い、シャビ・エルナンデスカルレス・プジョルダビド・アルベルダアルベルト・ルケカルロス・マルチェナらと共にシドニー・オリンピックで銀メダル獲得に貢献した。

2003年4月30日のエクアドルとの親善試合でA代表デビューした。UEFA EURO 2004のメンバーに選ばれたが、チームはグループリーグで敗退し、ガブリに出場機会はこなかった。

タイトル 編集

クラブ

FCバルセロナ

アヤックス・アムステルダム

代表

脚注 編集

外部リンク 編集